地下牢にて

鍵崎佐吉

名も無き少女

 先日、一人の少女がこの城に連れてこられた。十歳ほどだろうか。小柄で痩せ気味の、如何にもか弱そうな少女だった。使い走りの衛兵はしかめ面でこう言った。


「にわかには信じ難いが、このガキ、人の心が読めるらしい」


 なんとも奇怪な話だ。だがここに連れてこられたということは、あながち嘘ではないかもしれない。当の少女はじっと黙りこくったまま、その細い手首にはめられた枷を見つめている。


「使えぬようなら始末しても構わん」


 不機嫌そうな衛兵はそう言い残してそそくさと去っていった。少女は俯いたままじっとしている。衛兵の言葉が聞こえたのかもしれない。さて、どうしたものだろうか。子どもの扱いには慣れていない。とりあえず衛兵にもらった鍵で手枷を外してやった。


「逃げようなどと思わぬことだ。ここはこの世の地獄、入り口はあっても出口はない。死にたくなければせいぜい働け」


 顔を上げた少女と目が合った。澄んだ綺麗な瞳だった。




 少女は実に寡黙だった。怯えているのか、それとも元来そういう性分なのか。だがどちらにせよ都合が良かった。子守をする気などさらさらない。ただ飯を食わせておくのもしゃくなので、部屋の掃除を言いつけた。ぎこちない手つきだったが、怠けているようには見えなかった。


「お前、本当に心が読めるのか?」


 あらかた掃除が終わったあたりでそう尋ねた。少女は小さく頷いた。


「なら俺の名を当ててみろ」


 心の中で自分の名を唱えた。少女は目を閉じ、そして答えた。


「……ジャック」


「正解だ」


 どうやら本当に人の心が読めるらしい。だとすれば儲けものだ。面倒な手間を大いに省くことができる。


「で、お前の名は?」


 少女は俯いて答えなかった。いや、答えられないのかもしれない。こんなところに連れてこられるような子どもだ。攫われたか売られたかのどちらかだろう。名はおろか、親の顔すら知らなかったとしても不思議はない。


「まあいい。そのうち適当な名を付けてやる」


 少女は何も言わなかった。




「さて、何から始めようか」

 久々の仕事だ。といってもやりがいを感じたことはない。俺はただ与えられた命令をこなすだけだ。目の前には若い男が一人。今朝衛兵たちがここへ連れてきた。男は手足に枷をはめられ、鉄の椅子に縛り付けられている。そんな状況でも男の目には強い意志が宿っている。だからこそここへ連れてこられたのだろう。


「無駄な問答をする気はない。苦痛から解放されたければ、お前の仲間について知っていることをすべて話せ。そうでなければお前は永遠に地獄を味わい続ける」


 男はただ黙って俺を睨み続けている。その挑発的な視線はあまり愉快なものではなかった。とりあえず左目からいくか。戸棚からスプーンとフォーク、それから塩を取り出す。勿論食事をするわけではない。こういった身近な物の方がかえって恐怖を抱きやすいものだ。男の表情が僅かに変わった。男の瞼を指で押さえつける。抵抗はされなかった。すべての苦痛を耐えきる覚悟なのだろう。ここではそういう者が一番損をする。

 その時背後で扉の開く音がした。見れば例の少女が何やら物憂げな顔で立っていた。人の心が読めるのならば、これから何が始まるかは大体察しが付くだろう。そのうえでここに来たということは何か言いたいことがあるのか。ここでは俺がルールだ。誰の指図も受けるつもりはない。


「何しに来た」


 少女はすぐには答えなかった。そして俯いたまま、絞り出すようなか細い声で言った。


「働く」


 一瞬、言葉の意味が理解できなかった。だがすぐに数日前の自分の言葉を思い出した。確かに俺は『働け』と言った。思わず笑みがこぼれた。まだ子どもだと思っていたが存外頭の回る奴らしい。


「いいだろう、働かせてやる」


 少女の力は本物だ。だが少女自身がどこまで役に立つかはまだわからない。それを確かめる必要がある。男は予想だにしない展開に困惑しているようだ。少女は部屋に入り、男の前に立った。だがしばらく待っても何も言わない。どうやらこれだけでは駄目なようだ。男の意識をある程度集中させないといけないのかもしれない。


「仲間はどこにいる」


 当然男は黙ったままだった。少女は目を閉じ、しばらくして口を開いた。


「街の西、靴屋の向かいの空き家。北の森、泉のそばの廃墟」


 今度は男が声を上げた。唖然とした表情で俺と少女を交互に見つめている。また男に問いかける。


「仲間は何人だ」


 再び少女が答えた。


「二十七」


「やめろ!」


 かき消すように男が叫んだ。少女に心を読まれていることを状況から察したらしい。しかしこうなってしまってはもはや抗う術はない。


「次は何を企んでいる」


「要人の屋敷を襲撃して親族を人質にする」


「やめろ! やめてくれ! 俺は仲間を売りたくない、裏切り者にはなりたくない!」


「組織の資金源はなんだ」


「盗品の売買、闇市の経営。それと秘密裏に隣国からの援助を受けている」


「もうやめろ! 殺せ! 殺してくれ!」


 男の剣幕に怯んだのか、少女は数歩後ずさった。とりあえずはこのくらいでいいだろう。普段通りにやれば数日かかってもおかしくない作業だ。大幅に時間と労力を省けたことになる。なおもわめき続ける男を後に部屋を出た。少女は黙って俺の後についてきた。


「今の話、本当だろうな」


 少女は小さく頷いた。男の反応から見てもそれは事実だろう。だが一つ言っておかねばならないことがある。


「ここに連れてこられるのは皆悪人だ。大罪を犯しながら自らの責任から逃れようとするクズどもだ。だからここでは同情や憐みは禁物だ。でなければ心が壊れてしまう。そういう奴らを幾人も見てきた」


 少女は静かに俺を見つめている。しっかりしているようだがこの子はまだ幼い。どれ程俺の言うことを理解しているか、見当はつかない。だが役に立たぬ者がここにいられるはずもない。なんにせよ、生きていくにはこうするしかないのだ。


「とにかく、残酷になれ。お前は俺の道具として生きていくほかないのだから」


 ここには一人として人間はいない。すべては王のために存在する道具に過ぎない。そういう意味では俺とあの男はまったく同じだった。


「私は……」


 消え入りそうなか細い声が聞こえた。目が合うと少女はすぐに視線を逸らした。


「私は、言われたとおりにした。あの人の、ためじゃない」


 そう言って少女はまた俯いた。心が読める以上、俺の言わんとすることも分かっているということだろう。少女に手を伸ばし、その頭に手を置いた。少女はじっとしている。


「それでいい」


 やはり普通の子どもではないようだ。まあ、その方がかえって扱いやすい。扉の向こうから男の泣き声のような雄叫びが聞こえた。少女は一瞬顔を曇らせたが、それだけだった。




「もう終わっただと? どういうことだ」


 衛兵が声を荒げる。無理もない。尋問は時間のかかる作業だ。どれ程の腕を持っていようと、これほどの短期間で情報を吐かせその裏を取ることは不可能だ。


「こいつを使った」


 俺の傍らで少女は俯いたまま黙っている。衛兵は目を丸くした。


「まさか、本当に心が読めるのか」


「ああ、間違いない」


「そんな……」


 衛兵は何かを言いかけたが、すぐに口ごもってしまった。立場上、こいつらは俺の言うことに異を唱えることはできないからだ。泳いでいた衛兵の視線が少女を捉えた。


「おいガキ! 今の話、本当だろうな?」


 詰め寄ろうとする衛兵から逃げるように、少女は俺の背後へ隠れた。衛兵のわざとらしい舌打ちが聞こえる。


「報告は以上だ。とっとと行け」


「言われるまでもねえ」


 何やらブツブツとつぶやきながら衛兵は速足で去っていった。これで仕事はひと段落だ。しばらくはまたこの薄暗い地下で、無為に時を過ごすだけの日々が始まる。


「なんで」


 不意に少女が口を開いた。いささか予想していないことだった。少女が自分から言葉を発したのは初めてのことだ。


「あの人、怒ってた」


 その目には子どもらしい純粋さが宿っているように見えた。心は読めても、何故そんな感情を抱いていたのか理解できなかったのだろう。


「あいつは俺が嫌いなのさ」


「どうして」


「あいつと俺は同類だ。人をいたぶって飯を食ってる嫌われ者だ。だけどあいつはそれを認めたくない。だから俺を嫌うことで、自分は違うんだと言い聞かせてるのさ」


 ここには鬱屈し、ねじ曲がった負の感情が渦巻いている。自分を守るために他者を切り捨て、憎悪しなければならぬ時もある。それは俺だって決して例外ではない。


「少なくとも俺のことは嫌うなよ。仕事がやりづらくなる」


「……わかった」


 少女は思いのほか従順だった。これから長い付き合いになりそうだ。反抗期などこなければいいが。




 捕らえられていた例の男が昨夜処刑された。ここに連れてこられた時点で、遅かれ早かれそうなることは決まっている。無駄に苦しまなかっただけ運がいい方だと言えるだろう。普段なら仕事が終わった後も、道具の点検だとか血まみれになった部屋の掃除だとか、いろいろな雑務があるのだが、今回はそういった事後処理は必要なかった。俺としても楽ができるのならそうしたいというのが実のところだ。拷問にしても今更心を痛めたりはしないが、殺さぬように相手をいたぶるというのは中々繊細な作業で、それなりの技術や集中力を要する。だが少女がいれば俺は適当に質問をしているだけでいい。楽な仕事だ。

 当の少女はというと、相変わらず無口で何を考えているかよくわからないが、逃げ出すような素振りはなかった。泣きもせず遊びもせず、部屋の隅でじっとしている。本当に変わった子どもだ。暇つぶしに色々尋ねてみたがあまり多くは語らなかった。自分の名も知らぬような奴だ。生い立ちなど分かるはずもない。ただ、ここに来る前は目の悪い老婆の世話をさせられていたこと、そして老婆が死んだ後大人たちに売られ、ここに連れてこられたのだということを、そのたどたどしい話から察することができた。


「いつから心が読めるようになったんだ?」


 少女は少し考えてから答えた。


「ずっと」


 ずっとそうだった、ということだろうか。つまり生まれつきのものだったらしい。その人智を超えた力はともすれば信仰の対象にすらなり得ただろう。それがこんな辛気臭い場所で拷問の手伝いなどさせられているのだから哀れなものだ。結局人間は運命には抗えない。ここに来た者が決して生きては帰れぬように。


「私は、好き。ここは、静かだから」


 もうあまり驚きはしなくなっていた。少女と話していると時折こうして思考の先読みのようなことをされる。過酷な環境で生きていくために身につけた、この子なりの処世術なのだろう。おそらくはそれが原因で人の心が読めることを見抜かれたのだろうが。


「お前は本当に変わってるな」


 好きとか嫌いとか、そんなことは考えた事もなかった。どうせここからは逃れられないのだから、考える意味がない。無意味な思考、答えのない問答は心をすり減らす要因の一つだ。それなら惰眠でも貪っていた方がいい。睡眠はこの場所で唯一の娯楽だ。仕事もないので有難く享受することにした。


「おやすみ」


 そんな声が聞こえた気がした。

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