森義仁『ボクたちはみんな大人になれなかった』

森義仁監督『ボクたちはみんな大人になれなかった』を観る。内省/内向的な映画だなと思った。そして、最初のうちは私はこの映画に肯定的な印象を感じることができなかった。映画は恐らく今年46歳になろうとする(もしこれが正確なら、私と年齢面では一致するのだけれど)男の「大人になれなかった」半生をイ・チャンドン監督『ペパーミント・キャンディー』よろしく逆向きにたどっていく構成を採っている。故に、過去にあまりにもこだわりすぎているから「後ろ向き」な映画に感じられたのかもしれない。だが、この映画は最後の最後で前を向く。かなり誠実に語られた映画であることが伺える。


46歳といえば「ロスジェネ」という言葉で括れる年齢である。ベビーブームから必然的に訪れる受験戦争を勝ち抜いても、就職活動において「氷河期」を経なくてはならなくなり辛酸を嘗め、なんとかありついた仕事でも薄給/低賃金に甘んじるをえない。そんな年齢だ。この映画の主人公もテレビ業界の片隅でテロップを作る仕事をしているが、自分の仕事にやり甲斐なんて持てず腐りかけている。そんな中、Facebookを通してかつての恋人の存在を知る。その恋人との1995年での出会い、そして一緒に一生懸命に生きた日々が蘇ってきた。彼は小説を書こうとする。自分の半生を……そんなストーリーだ。


映画は90年代の渋谷を描き、その後も2020年のコロナ禍に至るまでを描く(だが、既に述べたように2020年から逆向きに描く構成を採っている)。渋谷からの文化を描くのに小沢健二『犬は吠えるがキャラバンは進む』を持ってくるのはまあ、想定内に収まる。だが、この映画ではその小沢健二の近くに大槻ケンヂを併置しているのがポイントが高いと思った(大槻ケンヂもまた、ある種の女の子たちにとっての「王子様」だったはずだ)。あるいはエルマロやドゥーピーズの名を出すところもマニアックで、当事者として生きた私のような人間の心理をくすぐる。そのあたり、決して安い志で作られたものではないなと唸らされた。


だからこそ、この映画は先に述べた『ペパーミント・キャンディー』や、ただ思いつくから名を挙げるのだが例えばメアリー・ハロン監督『アメリカン・サイコ』のような、自分たちを苦しめた政府や政治経済そのものに対する「外向きの」怒りが感じられないのだ。自分の貧乏暮らしも先行きの全く見えない状況のやりきれなさも、全てを自分で抱えてしまっているように感じられる。具体的にはこの映画は3.11や加藤智大が起こしたあの事件こそ少し挿入されるが、それだけでオウム真理教事件のような重大なトピックを真正面から捉えることはない。そこが最初は物足りなく感じられた。


だが、それでもいいのかもしれないな、とも観終えて思った。そうやって(いかにも「セカイ系」的に?)国レベルの混迷を自分の実存の生きづらさと一緒に抱え込み、あまりにも誠実にうずくまってしまったのが「ロスジェネ」なのではないか、とも(私怨に基づく暴言として)嘯きたくなってしまったからである。その心象風景が外に出れば、どうしたって撃つべき敵が見えないまま鬱屈した日々を、別の言い方をすれば「終わりなき日常」(宮台真司)を生きなければならない。もう作中で言及される『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』が描いた「学園祭の前日」のような日など一日たりとも来ない、と絶望しながら……。


なら、その巨大過ぎる絶望は映画にされたわけだが一体ロスジェネ「以外の」誰に届くのだろうかとも心配になってしまったのである。この映画はタイトルに反してある種の成熟、つまり「大人になれ」た境地を示しえた作品であると私は受け取った。だからこそ嫌な言い方をするがただファッションを表層だけ舐めたような映画と一緒に語られたくないな、とも思ってしまったのだった(もちろん、一緒に語られてもその強度が削げ落ちることはない映画かなとも評価はしたいのだが)。今回の鑑賞、いつもにも増して「私語り」に終止してしまったようで気が引ける……。

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