第五節 銀糸

第11話 悪縁屋敷


「全治1か月。しばらくは安静に、だね」

「一か月……」

 医者は一通りの処置が終わった鼓太郎の姿を見てそう言った。

 これから一か月間、杖を使用して生活することになり、できるだけ安静にするよう言われてしまった。まあ、瓦礫の下敷きになってこれで済んでいるのだからと幸運に思う自分もいる。

 暁月の家で気を失ってから鼓太郎が診療所で目を覚ますまでそんなに時間はかからなかったらしい。疲労も相まって一時的に深く眠っている状態になっていたという。診療所に通う子供の足音や声で目を覚ましてから、ほとんど眠気はなかった。

「鼓太郎」

「時枝さん。待っててくれたんですか」

 診察室を出ると、待合室には顔を真っ青にした時枝がおり、鼓太郎に駆け寄った。杖を握る手を優しく握り、語り掛ける。

「鼓太郎。……強引に鼓太郎を裁ち屋に巻き込む形になって、しかも、こんなことになって。本当にすまなかった」

「時枝さん、そんな……よしてください」

 頭を下げてくる時枝の身体を支え、それを制した。時枝はゆっくりを顔を上げて鼓太郎を見る。

「アンタと雪は本当に、希望なんだよ。私しかいなかった裁ち屋にとって、未来につながる大切な存在なんだ」

 か細い声がそれだけ言った。時枝のこの声を聴くのは、初めて鼓太郎が縁を切った日以来ではなかろうか。

「わかっています。この一件で、俺にしかできないことがあるって改めて自覚しました。もう、覚悟はとっくに決めているんですよ」

「……本当にありがとう。すまないねぇ……」

 このような被害が及ぶのであれば関わらせるのは避けたかった。しかし、希望にも思っていた。その複雑な感情が鼓太郎にも伝わってくる。……わかっている。事情が分かるからこそ、時枝が苦しんでいるのがわかり、心が痛くなった。

「これからも、任せてください。従妹や家族の方に、気軽に会いに行けるようにしますから」

 時枝は安心したような、覚悟を決めたような顔をしていた。

「うん。……よろしくねぇ、鼓太郎」

ーーー

 数日で次の依頼はやってきた。鼓太郎は杖を突きながら布屋に向かう。足の痛みは杖を突いて歩く分には特に感じない。しかし家族にはすぐに帰ってくるように言われた。怪我をしたことで相当心配をかけたらしいが、今はとにかく依頼をこなしたくてしょうがなかった。

「雪。遅れてすまなかったな」

「とんでもないです! 鼓太郎様、その……僕が言うのもなんなのですが、本当に大丈夫なのですか?」

 心配そうな雪の頭に手を置き、鼓太郎は笑顔で答えた。

「大丈夫。むしろやりたいくらいだよ」

「そうですか……。何かありましたらすぐに知らせてくださいね? それでは時枝様……時枝様?」

 そこには荷物をまとめて扉に手をかける時枝がいた。てっきり以来のことは任せて時枝は布屋で待っているものとばかり思っていた二人は驚いた顔をする。

「今回の依頼は危険を伴うから、私もついていくよ」

「そんな、危険な時こそ時枝さんは……」

「危険な時だからだ。二人に何かあれば、もう後がない」

 鼓太郎と雪は一度顔を見合わせてから、目配せをする。気を引き締めないといけないと思うと同時に、時枝の同行を受け入れることにした。

 いつも通り、行先の途中で内容を聞いていく。どうやら今回は悪縁が張り付いた屋敷があるらしく、その悪縁を断ち切るという依頼らしい。

「依頼主は誰なんです?」

「診療所の西城先生さ。鼓太郎もこの間お世話になっただろう?」

「ああ。あの」

 優しそうな笑顔を思い出した。そんなに老けておらず、それでいて若すぎない医者だった。診療所にお世話になるのはめったにないから初めて見たが、よい印象を持っている。

「診療所には子供がいないんだが、夜中や昼間に足音や騒ぐ声が聞こえるらしい。それで何かおかしいと思ったみたいだね」

「子供の…声」

 鼓太郎は数日前の自分について思い出してみる。目が覚めるとき、確か子供の声に起こされていたはずだ。

「僕が診療を受けた日も子供はいましたよね?」

「いなかったよ。別に。……ああ、赤ん坊はいたけどねぇ」

「え」

「どうした?」

 鼓太郎は少し青ざめて時枝を見る。時枝は首をかしげて続きを話すように促した。

「俺、子供の声と足音で目が覚めたんです」

「それは本当か?」

「本当です。てっきり診療所に来ている子供かと思ったのですが……じゃあれはいったい……」

「それが、今回の依頼の声だったんじゃぁないのかい?」

「だとすると…その正体は」

 そこでようやく雪が口をはさむ。彼は何か恐ろしいものを見ているようだった。

「今回は昔診療所で命を落とした子供たちの霊との縁を切るのです。死者と繋がっている悪縁は前にも見たことがありましたよね?」

「遊善さんの屋敷で受けた依頼だな」

 陶芸家である高原遊善と義理父の悪縁を切ったことを思い出す。思えばあれが初めて縁を切った時だった。

「あ、こちらです」

 雪が足を止める。そこはほんの数日前に訪れていた診療所だった。夜だからか人気はなく、どんよりとした空気をまとっている。悪縁がある場所特有のこの重い空気にも徐々に慣れ始めていた。

「中にはどうやって入るんだ?」

「悪縁と思しきものは、庭にあるそうですね。時枝様に下見していただきまして」

「鼓太郎を連れて行った日に妙な空気の場所は目星をつけていたよ」

「なるほど、そうでしたか」

 三人は庭に足を踏み入れて、顔をこわばらせた。庭一帯に悪縁がはびこっており、地面を這いずっている。そしてその中心に子供がたくさんおり、さらにその真ん中に、大きな人影が見えた。

「誰だ……?」

「わからない」

 そっと足音をなるべく立てずに近づいていく。月明かりに照らされて、徐々にその姿がはっきりとわかった。全貌が見え、三人は足を止める。

「西城……先生……」

 その大きな人影は、他でもない、医師の西城だった。鼓太郎を見た瞬間、嬉しいような、困ったような笑顔を浮かべている。

「ああ……これはどうも。裁ち屋の皆さま」

「……どうして」

 子供と手を繋ぎ、彼は嬉しそうにこちらを見ている。

「ここで亡くなった子たちです。僕も精いっぱい頑張ったんですがね。どうしても救うことができなかった。すべてもう二度と戻らない命です。……でもこうやって夜に会えるんですよ」

 狂ったような目で子供たちが全員こちらに向いた。時枝の身体が強張ったのが分かり、鼓太郎は時枝を庇うように一歩前に出る。

「会えることが嬉しいのなら、今回縁切りの依頼をかけたのはなぜですか? 縁を切ってしまえば、このように会うこともできなくなるかもしれないのに」

「それは……私の意思であり、私の意思ではないのです」

「?」

 西城の言う意味が分からず、混乱する鼓太郎に、子供たちの霊が近づいた。事前に雪から受け取っていた鋏を慌てて取り出す。

「ちょっと、西城先生!!」

「申し訳ない…申し訳ない…」

「先生、どうして……」

「家族を、人質に取られているんだ……この子達を餌に使ってでも、君たちにここに来てもらう必要があった」

「人質って……誰に?」

「和合様に……」

 その名を聞き、鼓太郎は一気に顔が熱くなるのと感じた。どうしてこんな非道なことをするのか。心底理解できない。

「本当にすまないと思っている。しかし、家族の為なんだぁぁぁあああ!!!」

 医者は声を張り上げる。その声に反応して子供たちの霊が三人を取り囲んだ。

 もともと杖を突かないと歩けなかった鼓太郎は体制を崩し、倒れそうになる。襲い掛かってくる霊と悪縁に杖が絡まり、身動きをとることができない。

「鼓太郎様!!」

「大丈夫……だが杖が抜けない! もう少しで…っ…!」

 杖の周りにはびこる縁を切れば、悪縁の威力は弱まっていった。二人も縁に捕まっているようで、状況はかなり悪かった。

「無理はなさらないでください! ここは僕が!……あっ」

 今度は雪が足をとられ倒れる。雪が触れられる縁が使われているなら、和合那央真が何か仕掛けている可能性が高かった。実体を持つ縁は雪の動きを封じ込めたことがある。

「っ……」

 時枝さんはものすごい勢いで先生を睨んでいる。

「時枝さん、もう少しだけ待っていてくださいっ!」

「……!」

 暴走した細い黒糸が時枝に襲い掛かる。このような光景を見たのは初めてだった。

「時枝様! 絶対に動いてはなりません!」

「雪?」

「銀糸が、時枝様に巻き付きました!!」

「くそっ……」

 時枝にはなるべく鋏を使わせたくない。誤って銀糸を切ってしまう可能性があるからだ。しかし身動きが取れないのであれば、焦って鋏を使ってしまうだろう。

 拘束しているのが銀糸というのだからなおさら危険だ。

「よし!」

 ようやく杖が抜けて鋏を持ちかえることができた。これで一番太い悪縁を切ることができれば、すべてが終わる。

「うあ!!」

「雪! ちょっと待ってろ!」

 その前に雪に絡まり続けている悪縁を何とかしなくては。悪縁は鼓太郎と時枝よりも雪に大量に集まっている。何か理由がありそうだが、今はそれを考えている場合ではない。

 切っても切っても他の部分に絡まってくる。でも着実に、絡まる数は減っていっていた。

「だめだ! 鼓太郎!!」

 そしてひときわ太い縁を握り、鋏を振りかぶった瞬間、時枝の声が聞こえる。鼓太郎はその声に驚いて手を止めた。木の根のように太い縁がうねり、鼓太郎に振り下ろされる。咄嗟に避けたが、掴んでいた縁を放してしまった。

「時枝さん!」

「さっきの縁を切ればおそらく大丈夫だ。しかし……」

 鼓太郎は振り返り、襲い掛かってきた縁を受け止めた。

「大丈夫です! もう一度試します! 雪!」

「鼓太郎様、そのまま切っていただいて大丈夫です」

 杖を持ち換えて縁を強く引き、雪を開放する。雪は華奢だから少しの隙間を開ければ身動きがとれるようになった。雪が縁を掴み、鼓太郎の前に差し出した。背後で大きな音がする。おそらく悪縁が襲い掛かろうとしているのだろう。その前に目の前の縁を切れば、それも止まるはずだ。

「今だ!!!」

 鼓太郎がひときわ太い縁を断ち切ると同時に……。

「っ……!」

 ぷつりと、何かが切れる音がした。


続く

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る