迷犬日和

ゆみかか

星々を眺めて

華やかに化粧した山々が段々と色褪せていく、一寸寂しい、そんな季節。

冷たい空気が肌を刺す。ノブから走る静電気もまた。

でも、こんな季節だからこそ、強く輝くものがある。

其れは、澄んだ夜空にきらめく色とりどりの星々。

金色に赤色、白色から、青色の星まであるという。

――――幼き頃、未だ僕が弱くてちっぽけな子供であった頃に、そう本で読んだことがあった。

始終しょっちゅう懲罰室で夜を明かしていた僕にとって、夜空の星を数えることなど遠いまぼろしに過ぎなかった。

でも、其れはもう過去に過ぎない。

たった今、僕の頭上には無数の綺羅星が瞬いているのだから!


「いやぁ、この季節は星がよく見えるねぇ。」

「そうですね。僕、真面に星を眺めたことがなくて、とても新鮮です!」


僕――――中島敦の傍らに立つのは、上司で僕の命の恩人、太宰治さん。

真っ黒な婆娑羅髪が夜空に溶け込んでいて、何やら怪しげな雰囲気を醸し出しているが――――――


「こんなに星が美しい夜に死ねば絵になるんじゃないかなぁ、よし、ちょっくら死んでくる!!」

「やめてください!!縁起でも無い!」


見ての通り自殺嗜好じさつマニアとかいう地球誕生から滅亡までにひとりの肩書きを持つ変人である。頭も顔も良いのだが、日常で見せる奇行がその才能を上書きしてしまっている所謂残念なイケメン、というやつだ。


「オイこら太宰ッ!!早速何をして居るかッ!」


空気を劈く怒声。其方を見れば、此方に近付いてくる人物がいる。

長い金髪を一房纏め、シンプルな眼鏡を掛けた長身の男性。

僕の先輩で、通称「武装探偵社のお母さん」、国木田独歩さんだ。

風に揺れる金色の御髪の美丈夫であるが、基本は険しい表情で近寄りがたい気を纏っている(その主な原因は太宰さんである)。

激昂する国木田さんに、また何時もの自殺癖だ、と説明する。

直後、何時もの如く拳が飛んだ。

物凄い打撃音とともに太宰さんが地面に倒れ伏した。

最早日常茶飯事と化したこの光景に、僕は嘆息する。

痛そう、なんて他人事のように呟いて国木田さんのほうを向くと、彼は質素な鞄を漁りながら云った。


「俺は彼奴の相手をしに来たのではないのだ。ほら、受け取れ。」


国木田さんの掌中には、一本の筒。

微かに水音がしたので、此れは飲み物だと確信する。


「わあ、有難う御座います!早速頂きますね!」僕は流れるように蓋に手を掛ける。

「一寸待て敦、お前確かネ――――


そう云い終わるか否か、その堺。

刹那、熱が口内を蹂躙する。

熱が痛みへと昇華し、味蕾を突き刺す。

目尻より生温い涙が零れ、外気に触れ、温度を失う。

まるで永遠とも感じられる。痛み。熱さ。

僕の脳味噌は最期に、こんなことを思った。

嗚呼、人が死ぬ直前って体感時間が遅くなるっているけど、本当だったんだな――――。

――――――そこで、吹っ切れる。


「――――ゥゥッ、うぁぁぁっつぁあぁぁあぁぁ!!」

「敦?!?」


天津星輝く空に、僕の悲鳴が轟いた。

獣の咆哮によく似た其れは空気をびりびり裂いて、結果的に周りからの痛い視線を得ることとなった。盛大に咳き込み、大袈裟に膝をついて呆然とする。

僕を見下ろす国木田さんが、ぽつりと呟いた。


「……………猫舌………。」

「何か悪意を感じる!」地面に寝転がった儘の太宰さんが盛大に吹き出した。













「ふぅ、ふぅ………。」


先程の大失敗を踏まえて、今度はしっかり冷ます。

『魔法瓶』とかいう文明の利器により保温されたホットココアから立ち上る湯気で隣に立つ国木田さんの眼鏡が白く曇った。

そっと水面に舌を近づける。ちりり、と、微かに舌が痛んだ。


「――――美味しい………。」


ほぅ、と、深く息を吐く。

ぬくもりが身体の隅々まで渡るのを感じる。


「其れは良かった、が。真逆敦が猫舌だったとはな。初めて会った日に茶漬けを食わせたときは冷ましもせんであんなに………。」

「あ、あの時はとてもお腹が空いていて………。」

「猫舌…………ネコ科……。」

「やや、やめてくださいよ!僕は虎ですからね!ネコ科の中でも、虎ですからね!」

「――――っふふ、そうだな。敦は強い虎だからな。」


その時、ふと国木田さんの表情が綻んで、久しぶりに彼の微笑みを見た。

普段の仏頂面からは想像も出来ないような、屈託のない笑顔。


「俺はそろそろあの能天気に活を入れてくる。」

「はい。――未だ起きないんですか、太宰さん。」

「ああ………。全く、本当に面倒な奴だ。」


態とらしく溜息を吐いた国木田さんの背中を見送る。

なんだかんだ云って矢っ張り世話を焼いてしまう、そんな天邪鬼な性質こそが、彼を社のお母さんたらしめる所以だろう。

――――数秒後、何か固いモノが粉砕される音と共に潰れた蛙のような断末魔が僕の耳に届いたが、きっと気のせいであろう。

ひとりになって、僕は再び星空を見上げる。

白くけぶった天の河が空を渡っている。そのまわりに星達が輝く。

無作為に散りばめられた星々を繋げて、動物や物体、神様や人間に例えるような、浪漫ちっくなことは僕には出来そうにない。

でも、三角形とか、単純な図形であればつくれるのでは………。


「敦くん!何してるんですか?」


僕が夜空に向かって両手を掲げ、不格好に試行錯誤していたところへ、僕よりも年下の少年の声がした。


「ああ、此れはね………星座を見つけてみようと思って……。」

「星座ですか!敦くんも星、好きなんですね!」

「好きだよ。全然、詳しくなんか無いんだけどね。」


向日葵の如き金髪に、雀斑が特徴的な少年、宮沢賢治くんは、垢抜けた笑みを頬に湛えたまま僕の隣に立った。

もうとっくのとうに沈んだはずの恒星の放つ陽光を防ぐための麦藁帽子を首に掛け、暑いのか寒いのか、上にジャンパー、下に半ズボンというなかなかにちぐはぐな格好をしている。


「判るので云ったら、天の河……ぐらいかな。星座じゃないけど。」

「天の河!丁度空に掛かってますね、天の河。」

「うん、すっごく綺麗に見えてる。あれが全部星で出来てるだなんて本当吃驚だよ。」

「ええ、僕も最初は星だなんて思っていませんでした。皆さんはじめからあのぼんやりと白いものがちいさな星々だなんて思わず、名前にある河だとか、乳の流れたあとだとか、そんなふうに考えていました。」


賢治くんの僅かにささくれた指が白くけぶった光の帯をなぞる。


「でも、よっく見てみたら、其れは毎晩の如く見るお星様。そんな摩訶不思議な幻想が僕たちの頭上に拡がっているもんですから………。衆生が皆星空に魅了され、詩に遺して征くのはさきのからの宿命、次のしょうまでめぐれども、輪廻、乃至ないし流転のどこどこまでも続くのでしょうね。」


彼の声帯を震わせ紡がれるその教示は、僕の四つ下の男の子の思想を遙かに超え、いっそ神々しい。夜陰を以て曖昧になる輪郭が、なにやら朧気に少年の像を映す。

微笑。僅かに細くなった双眸。僕は声を絶した。


「ええ、で、すから、こう、して、ぼく、たちの、てんじょう、に、おわす、る――――――。」

「…………えっ」


あまりにも唐突に、僕の耳朶に触れる声音が止み、同時に肩に軽く衝撃が伝わる。

思わず素っ頓狂な声を上げ、瞬間的に真横を見ると、其処には僕に寄り掛かり気持ちよさそうに船を漕ぐ、賢治くんの姿があった。


「そうか……賢治くん、何時もならもう寝てる時間だから……」


日が昇れば起床し、日が沈めば就寝する。

其れが此の少年、宮沢賢治くんのルーティン。

きっと、慣れない徹夜に耐えきれなかったのだろう。

ゆったりと上下する肩。無垢で年相応の幼い寝顔に、僕は思わず笑みを零した。


「此の状況如何しようかなぁ……。」













「あーっはっはっはっはっ!矢っ張りそうなると思っていたからね、ちゃぁんと準備しておいたのさ!御覧、此の文明の利器ってやつを!」

「ら、乱歩さん、賢治くん起きちゃいますッて……。」


天真爛漫、放縦不羈、そんな言葉の似合う我らが武装探偵社の主軸にして通称、江戸川乱歩さんがからから笑うその横で、武装探偵社『東西のヘタレ』、その一角を担う(もう片方は僕である)18歳、谷崎潤一郎さんがそう窘めた。その目の前には折りたたみ式の屋外用寝台ベッドが据え置かれており、その上で賢治くんがすやすやと寝息を立てている。


「あ、良いこと思いついた!先刻さっき国木田がくれたココアにマシュマロを入れれば………。」

「あ、其れ美味しそう。」

「そうに決まってるだろ?僕という稀代の名探偵が云ってることなんだから、誤りなんて無い!」


そう言葉を交わした後に、乱歩さんは一個、谷崎さんは数個、マシュマロをココアの中に放り込んだ。


「谷崎、お前、流石に入れすぎじゃないか?」目を見張る乱歩さん。

「すいません、ボク甘党なンです。」苦笑する谷崎さん。

「あの、僕にも下さい。」其の輪に入る僕。


ん。そう小さく喉を鳴らし、ひとつマシュマロを差し出してくれた乱歩さんに僕は一言、こう云った。


「あ、もうひとつくれますか。」

「真逆、敦くんも甘いもの好きだったりする?」

「い、いえ、好きなんですけど、此れは違くって――」

「はいはーい!僕が当てる!あのコだろう?」


僕の必死の言葉を遮って乱歩さんが自慢げに胸を張って宣言する。

乱歩さんの読みづらい視線の先には、嗚呼、矢っ張り。

闇の中にひとり、儚げに佇む少女――泉鏡花ちゃんの姿があった。


「あー、鏡花ちゃんかァ。」「はい。」


僕は一寸照れ臭くなって俯きがちにそう返す。

鏡花ちゃんは先刻からずっとひとりっきりで居た。

確かに、ひとりっきりで見る星々は、とても美しい。

静寂の中で見上げる星空。自分の白い息と瞬きの音。星たちのおしゃべりだって聴こえてきそうなものだ。

でも、折角みんなで来ているのだから、楽しくお話しながら見る星もあっていいんじゃないか。

唯のお節介かもしれない。傍迷惑な話かも知れない。


「鏡花ちゃん。」「………。」


だけど僕は。鏡花ちゃんには賑やかで、喧噪の絶えない、そんな空気の中で星を見ていて貰いたい。そう、思う。


「ずっとひとりで何してるの。」「考え事をしていた。」


彼女は短くそう答えた。

長い前髪の掛かった彼女の表情は、凪いだ水面の如く落ち着いて、静かだ。


「聞いても良い?」

「――――てっきり私は、夜が暗いばっかりのものだと思ってた。」


鏡花ちゃんの長い睫が物憂げに伏せられた。


「でも、今こうして星を見に来て………気付いた。夜は、暗いばっかりじゃない。光がある。街に犇めくネオンに呑まれて、見えなかっただけ。」


其処で鏡花ちゃんの表情に、僅かに光が差した。


「………其れに気付かせてくれて、ありがとう。」

「――――」


彼女の透き通った瞳に細かい星々が映る。

鏡花ちゃんとバッチリ目が合って、思わず視線を逸らしてしまう。

あ、ああ………。きっと今の僕の顔はまっかっかになっているんだろうな。

しかし、此所で逃げてしまってはいけないのだ、中島敦。

此所は素直に、自分の今の気持ちを、伝えるべきなのだ。


「――――僕からも、ありがとう。」


そう僕が吐露してしまった後に、ふと彼女の頬が自然とやさしい弧を描き――。

其れは其れは可憐に、微笑んだ。













「鏡花ちゃん、彼方に行ってみんなでお星様を見よう。みんなで一緒に。」

「うん。………行く。」







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迷犬日和 ゆみかか @monokuro9841

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