第17話 ななつめ。
ついに七不思議の六つ目と出会ったわけで、残るは最後の一つとなった。「と、その前に」と私は言って先ほどの廊下に戻る。
「うわぁ……全然元に戻ってない」
バラバラになった人体模型である。そのまま何も変わらずそこにあった。伯父さんが『勘弁してくれ』という風に頭を掻いて、その場にしゃがむ。
「てか泣いてない? 微かに泣き声が聞こえる」
父と伯父さんも聞き耳を立て、「本当だ」と言った。「うわー、人体模型泣かせたー」と私は伯父さんを横目で見る。伯父さんは「わかったわかった。直せばいいんだろう」と散らばった人体模型に手を伸ばした。
伯父さんはテキパキと人体模型を組み立てていく。こういうことが前にもあった気がするな、と思ったがあの時は確か江良くん(子供の姿)だった。この人は本当に手先が器用なんだなぁと感心する。
じっと見守っていた父が「ここは膵臓ですね、それからここが肝臓で」と指示し始めた。伯父さんは「助かる」と言いながら言われたとおりに嵌めていく。
「ん? ここに謎の空洞ができるんだが」
「パーツが足りないみたいですね。どこかに飛んでいってしまったのかな」
「それ探すのが人体模型のミッション?」
「この暗いなか探し出すのは骨が折れそうだが……」
不意に、人体模型の腕が動いた。私たちが何か言う暇もなく、その腕は伯父さんのお腹に伸びる。見間違いでなければ音もなく貫通し、そして何かを大事そうに掴んで戻っていった。そうして突然人体模型は立ち上がり、足音を響かせて廊下を歩いて行ってしまう。ようやく声を発することができた私は「何あれ。伯父さん、大丈夫?」と尋ねた。伯父さんもどこか放心していて、「ああ……何も異状ない」と呟く。
「今ので、クリアしたんでしょうか」
「そうっぽいね……。伯父さん、本当に何もない?」
「ああ。何だったんだろうな」
現状何も支障がないなら、今考えても仕方のないことだろう。私たちは立ち上がり、顔を見合わせた。
「……とりあえず、これで六つのミッションをクリアしたってことでいいのか?」
「そうすると、ついに最後の一つになるね」
「長かった……ですね」
そういえば七つ目というのは確定していないんだった。ひとまず父が言っていた『夜の教室で幽霊たちが授業』という説を採用することにした。
「でも、どの教室なんでしょうか。これまで走り回ったりしましたが、それらしい教室はなかったですね」
「そりゃあ、ゲームのセオリー的には一つしかないよ。リスポ地点にもなってる、最初の教室」
「胸熱だな」
早速、私たちは移動を開始する。その間私はちょっとだけ人体模型を探したが、もうどこも歩いてはいなかった。
教室の前に立つ。そういえば中から出るばかりで外から入るというのはほとんどしていなかった。
「いよいよだね」
「そうだな。これでやっとお前たちのことを帰せるわけだ」
「……それで、あなたは」
「わからん。言ったろ、運次第だよ。どちらにせよここから帰れなきゃ、死んだのと同じだ」
行くぞ、と言って伯父さんは引き戸を開ける。教室の中は妙に明るい。窓から夕日が射しこんでいた。
そこには、ただ一人の少女がいた。少女はこちらを振り向き、にっこり笑う。
『一緒に帰ろ、江良くん』
伯父さんは呆然と、「奈津……?」と呟いた。
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目を細めた奈津という女性が、『遅いよ江良くん。待ちくたびれちゃった』と話す。伯父さんはただうろたえていた。
『一緒に帰ろ』
「奈津……君は……」
『ねえ、江良くん』
窓を開けた奈津さんが微笑みながら『夢はいつだって綺麗だね』と言ってそこから飛び降りる。「奈津っ」と叫んだ伯父さんもそれを追いかけようとした。そんな伯父さんの腕を私と父で掴んだ瞬間、教室は崩れていく。
「な……何? 何が起こるの?」
「危ない、伏せてください」
一面、薄い青色の海。目に刺さる夕焼け。並んでいる、男女。これは大人になった伯父さんと奈津さんだ。私たちはそれを見ている。私だけじゃなく、父も伯父さんもだ。
やがて若き日の伯父さんが口を開く。
『この街を離れることにしたんだ』と。そして奈津さんは目を見開き、『いつまで?』と問いかける。
『……たぶん、もう戻って来ない』
沈黙。潮騒。笑おうとした奈津さんが、上手く笑えずに『どうして。妹さんのため?』と質問を重ねた。伯父さんはひどく澄んだ目で『妹と、お腹の子のためだ』と答える。
『そっかあ……そっか、そうなんだ……』
『すまない』
俯いた奈津さんが『別にいいよ。私も、結婚するの。前から決まっていたけど、いよいよ。知ってるよね』と話す。伯父さんは頷いた。
また沈黙が辺りを包む。奈津さんの方が何か言おうとして口を開いた。だけど悲しそうに唇を噛むだけで、夕日は少しずつ落ちていく。
『……俺は元から君につり合わなかった。今まで、相手をしてくれてありがとう。結婚の祝い一つあげられない男で本当にすまない』
そう言って、伯父さんは奈津さんに背を向けた。思わずという風に奈津さんがその背中に抱き着く。
『もし……もし、お互いに今抱えてるもの全部捨てて、二人で生きていこうって言ったら……どうする?』
そう、奈津さんが言った。伯父さんはハッとした様子で奈津さんの手に触れ、どこか痛そうにそれを撫でる。
『それは、出来ない』
奈津さんは腕に力を込めた。ぎゅっと抱きしめて、唐突に力を緩め伯父さんを離す。『そうだよね』と彼女は言った。『私、江良くんのそういうとこがすごく好きだった』と。
『私、幸せになるね。子供なんか五人ぐらい産んじゃって。後になって妬かないでよね』
『妬くよ。みっともなく妬くよ。そうしたら君は、俺を散々笑ってくれ』
笑った奈津さんが、『江良くんも……体に気を付けてね』と言う。伯父さんは頷いて、『君の幸せを願ってる。友達として』と言いながら今度こそ彼女に背を向けて歩き出した。
伯父さんの姿が見えなくなったころ、奈津さんは子供のように泣き出した。声を上げ、その場に泣き崩れる。日は沈んでいき、辺りは暗く、ただ波の音だけが残った。
私は隣にいる今の伯父さんの顔を見上げる。前髪で隠れて、その表情は見えなかった。「伯父さん」と呼んだが、返事はない。
ふと歌声が聴こえた。洋楽だろうか、不明瞭だがそれは英語の歌詞のようだった。女性の美しい声だ。だけれど波の音にかき消されそうな弱々しい声だ。
白い服を着た女性が、何か腕に抱えながら海に入る。そしてゆっくりと沈んでいく。
私の隣にいる伯父さんが動いた。しっかりとした足取りで、彼女を追って海に入る。私は動くことができなかった。伯父さんは彼女の腕を掴んだ。奈津、と言った声があまりに幼く響く。
「奈津、俺だ。許してくれ」
待って、と私は叫んだ。叫んで走り出した。波は生ぬるく、私の足元を攫う。
彼女は伯父さんの首に腕を回し、『来てくれて嬉しい』と言った。そして二人はキスをする。沈んでいきながらキスをする。私は溺れた。溺れている時、二人の恋人たちが幸せそうに沈んでいくのを見た。
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