第4話 約束しよう、一緒に帰るって。

12


 伯父さんは私の前で顔を覆い、「どうして」と言う。

 戻ってきたのだ。私は自分のくしゃくしゃの顔を拭きながら伯父さんに近づき、前から抱きしめる。


「ね……伯父さん、帰ろう。お母さんが待ってる」


 もしこれで殺されたとしても、それでもよかった。ただ強く伯父さんを抱きしめながら、「今までたくさん辛い思いをしながら、私たちのことを守ってくれたんだよね。私、夢を見たんだよ。伯父さんの夢」と話しかける。

「どうして今まで、知らないままでいられたんだろう。私たちのこと、大事にしてくれてありがとう。愛してくれてありがとう。伯父さん、私たちも伯父さんのことが大事だよ。大好きだよ。だから伯父さんも、もっと自分のことを大事にしてね」

 伯父さんは何も言わない。私は何度も、「大好き、伯父さん。一緒に帰ろう」と繰り返した。


 私は本当に、何も知らなかったのだ。当たり前のように受け取っていたこの人の愛が、優しさが、自身は様々なものに裏切られ踏みにじられながらそれでも失くさずにずっと持っていたものなのだということ。そしてそれをほとんど無償で私に向けていてくれたこと。

 だから帰ろう、伯父さん。これから私、たくさん返したいと思うから。


「ああ……ああ、そうだよな。すまない、少し気が動転していたみたいだ」


 そう、伯父さんが言った。私はパッと顔を上げ、伯父さんと目を合わせる。伯父さんはひどく疲れた様子だったが、しかし完全に正気に戻ったようだった。「どうかしていた。大丈夫だ」と深く息を吐く。


「佳乃子、お前……泣いてるのか?」

「ううん。泣いてないよ」

「俺、変なこと言ったかな。さっきの部屋からこっちに来るまで、あんまり記憶がないんだ」

「大丈夫。ただ、私は何も知らなかったんだって思っただけ」


 私は伯父さんに手を差し出す。「一緒に帰ろう」と言うと、伯父さんはその手を取って「もちろん」と言いながら立ち上がった。

 不思議な気持ちだった。私は今まで知らなかったことを知っているが、伯父さんは私が知っているということを知らない。

「ねえ、伯父さん。大好きだよ」

「なんだ急に。こんなところで言うことじゃないだろう」

「これからたくさん言うんだ。本当に大好きだよ。大事だよ。ずっと一緒にいて」

 伯父さんは顔を赤くしながら、「お前こそおかしくなったんじゃないだろうな」と私の額に手を当てた。


 ちょっと目を見て、なんだか可笑しくなり二人で笑う。私たちはようやく、探索を再開することにした。


「しかし妙な家だな」

「まあ、全体的にね」

「さっきからどの部屋に入っても子供部屋だ。気付いてたか?」

「えー……それは全然……言われてみればそうかも……」


 伯父さんは腕を組み、「もしかしたら普通の家じゃなかったのかもしれない。子供がたくさん住む……寮とかだったのかな」と考えている。私はそもそもこの建物を人が住んでいたものと考えていなかったので、そんなことを考える必要があるかどうかわからなかった。私にとってこの建物はただの舞台だった。

「それからオルゴールの音、聞こえてるだろ? 近くなってる」

「言われてみれば……?」

 伯父さんはドアを開け、部屋を出るよう促した。私はおっかなびっくり伯父さんについて部屋を出る。

 それから伯父さんが隣の部屋のドアに耳をつけ、またその隣の部屋にも同じようにした。それから「この部屋みたいだな」と指さす。

「オルゴール?」

「ああ。この部屋が一番大きく聞こえる」

「何かあるのかな」

「少なくともオルゴールは」

 私たちは顔を見合わせた。

「オルゴール以外にも何かあったらどうする?」

「……お前のことは俺が守るよ」

「やめてよ、絶対無茶するでしょ。伯父さんも一緒に帰るんだからね」

 深呼吸をして、ドアを開ける。確かにひときわ大きくオルゴールの音が聞こえた。しかし、それだけだ。人がいるとかそういうことはなかったし、今までと同じような子ども部屋のように見えた。


「何もない」

「そうだな……拍子抜けだ」


 伯父さんはベッドを軽く叩きながら何かないかと探している。私も本棚を眺め、いくつかの本に手を伸ばしてみた。

 何の変哲もないノートを見る。表紙には『トムとジア』と書かれていた。交換日記だろうか。本当にこの家に人が住んでいたんだなぁ、と思いながら開いた。


『ぼくたち、魔女の家に来ちゃったんだ! 父さんも母さんも洗脳されてた』

『トム。ぼくたちは魔女に食べられちゃうのかな。太らせて食べるつもりなんだよね?』

『ジア。その前に魔女を倒さなくちゃ!』

『クメルが先生はとてもいい人だって。ぼくたちのことを魔女に告げ口するって言うんだ』

『あいつも魔女に洗脳されてる。気をつけろ、僕たちだって危ない』

『いつやる?』

『今日やろう』

『失敗しちゃったね』

『でも魔女はぼくたちのこと、殺さなかった。まだチャンスはある』

『ねえ、トム。ぼくは洗脳されちゃったのかな』

『ダメだジア! 早く魔女を倒さなきゃ』


 私は伯父さんにそのノートを見せ、「この魔女っていうの、あの化け物かな」と軽い気持ちで言った。伯父さんはちょっと黙って、「そうかもしれない」と言いながら目をつむった。

「でも報われないもんだな」

「? 何が」

「いや、何でもない。次の部屋に行こうか」

 そしてドアを開けた瞬間、不意に声が聞こえた。


『お前たちのせいだ』


 子どもの声だ。『お前が』『お前たちが』『こんなことをしなければ』といくつもの声が重なって聞こえる。身を竦ませていると、いきなり黒い影が何十も現れた。今までの女の背格好ではない。子どもだ。何十人もの子供の黒い影が部屋の中に現れたのだ。私と伯父さんを指さし、『お前たちがやった』『お前たちのせいだ』と責め立てる。

「な……何!?」

「落ち着け。とにかく部屋を出るんだ」


 すぐさま部屋を飛び出し、隣の部屋に入った。声はまだ聞こえている。『どこに行った?』『逃がさない』と部屋の前を子どもの足音が通り過ぎた。しかしまた戻ってきて、ヒステリーのような声はどんどん大きくなっている。

 伯父さんは私に、ベッドの下に隠れるよう言った。

「お、伯父さんは?」

「俺は別のところに隠れる。落ち着いたころ、合流しよう」

「一緒にこの部屋にいようよ」

 私の頭に手を置いて、「佳乃子」と名前を呼んだ。

「俺のこと、信じるか?」

「し、信じるけど……」

「よし。やつらはかくれんぼはそれほど上手くない。もし危なくなっても、慌てずにしっかり隠れれば大丈夫だ」

 私は頷く。伯父さんは目を細めて、「また後でな」とどこかへ行ってしまった。


 一体どれくらいの間、そうしていたのか。騒ぎはすっかり収まっている。何も聞こえはしない。

 私はベッドの下から這い出し、立ち上がった。伯父さんと合流しなければならない。

 ふと人形を見ると、伯父さんの人形がいくらかほつれていた。腕や首が取れそうになっている。私は驚いて、すぐに部屋を出た。


「伯父さん! どこ!?」


 すると私の腕の中で、伯父さんの人形はさらさらと砂のようなものになって消えてしまった。

 私は呆然として、「やだ……やだ……」と言いながらその砂をかき集めようとする。しかしそこにあったのは、銀色の小さな鍵だけだった。


 館中、伯父さんを探して歩いた。泣きながら歩いた。

 だから言ったのに。絶対無茶するんだから、って。一緒に帰ろうって言ったじゃんか。


 途中、黒い影がこちらを見ていることに気付いた。女の背格好でも、子どもの背格好でもない。大人の、男のような姿をしている。その影はただこちらを見ているだけだった。

 私は涙を拭い、「伯父さんのこと返してよ!」と怒鳴る。影は不意に両腕を上げて近づいてきた。

「許さないから! 伯父さんのこと返してくれなきゃ許さないから!」

 黒い影はどんどん近づいてくる。私はぐっと拳を握りしめ、しかし結局逃げ出した。情けなかったし、悔しかった。


 追いかけられて逃げていった先に、玄関のドアがある。私は迷いながら、先ほど現れた銀の鍵をドアのカギ穴に差し込んだ。綺麗にはまって、くるりと回すだけで鍵が開いた。開いてしまった。

 私はきょとんとして、ドアをまじまじと見る。

「伯父さん……伯父さん、開いたよ」


 振り向けば、黒い影がじっとこちらを見ていた。なぜだか、笑っているように見える。それから影は、私に向かって手を振って見せた。


「……伯父さん?」


 影はただ手を振っている。私は思わずその場に膝をつきながら、「やだ」と叫んでいた。

「一緒に帰ろう、伯父さん。一人じゃ行けないよ」

 影はゆっくり背を向けて、奥の方へ消えていく。「行かないでっ。行かないで、伯父さん」と私は縋った。

 私は自分の手元を見る。包丁と、私の人形だ。


 神様。

 神様。私は鍵を開けましたが、外へ出ていません。だからまだ、ゲームはクリアしていないはずですよね?


 私は包丁を握りしめ、自分の人形に向かって思い切り振り下ろした。


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