第二十三節 瞻仰(せんぎょう)との別れ
それから暫くの間、夜通し
その手に詳しい占い師に頼ろうとしたときは、メシア蘖が止めている、と言うより以前に、他人に私が不能であると知られるのが嫌で、流石に止めた。
それ以外にも、私には大きな課題があった。
問題というのは、
私の前で
「
うるさい。
「
うるさい。うるさい。
「嗣跟さんを売り渡したではありませんか! 嗣跟さんが
「聞けば、
「ヒコはそんなことは言っていない!!!」
耐えられなくなり、私が声を荒げると、皆一様に凍り付いた。そして平伏して、私に赦しを請うた。
違う、そうじゃない。私は確かにメシア蘖の兄だった。だが直系ではなく遠縁だったし、彼等の言う理屈で言うなら、私だって
彼等が
それは、別に良い。どうでもいい。
ただ、私の
「すみません、少々祈らせてください。皆さんも祈ってください。
そういうと、彼等は平伏を止め、互いに顔を見合わせた。
「司教様のお祈りに適う程の信仰を持てるように、祈ります。」
「………。」
私は
ところが、部屋に前に来たとき、喧嘩が聞こえた。ここでもやってるのか、と、私は胸が苦しくなる。中に入るのが億劫だ。桂冠が殉教した今、これを仲裁するのは私の役目だ。
況して、彼等は十二弟子だ。他の信者達では、仲裁は不可能だ。
「なんでだよ、神授!
「駄目に決まってるでしょ! 駒桜ちゃん、落ち着くんだ!」
「僕がここで、なら絞め殺してやる!」
慌てて私は扉を開けた。羽交い締めしている神授が、徐々に徐々に、駒桜を通して悪霊に引き摺られ、
「何考えてる! 何でもかんでも悪霊のせいにするな、今のはお前の悪い心そのものじゃないか!」
「悪霊を追い出すんだから、正しい心に決まってるじゃないか! 司教なのにそんなのもわかんないの!?」
「駒桜ちゃん、止めなさい!」
「―――おいおい、目が覚めちまったよ、なんだ一体。」
その時、重たく気怠い声がした。一瞬静寂に包まれたかと思うと、駒桜は立ち上がって、足下に纏わり付く神授も意に介さず、鮮魚運に掴みあげ、激しく揺さぶった。
それを見て、私の身体が重くなる。苦しい。
「淫売の分際で、よくも
嗚呼、お前も。
駒桜、お前も、
「ペッ。―――ハッ! いくらだって? あいつにそんな価値あるもんか、タダで引き渡してやったよ。あんな穢れた金、受け取れるか!」
「
「ハン、お前がどう思おうと知ったことじゃないね! ぼくの定めた権威が命じない限り、ぼくはここを動かないよ。―――分かったら出てけ、まだ身体が重いんだ。」
言わなければ。言わなくちゃ。私が言わなければ、私が言われ続ける。私は右脚を折りたたんで正座をし、背筋を伸ばして、深呼吸した。
言わなければ。私が言われ続けるからではなく、
―――私では、出来ないから。
「
「ん?」
息が苦しい。私は言葉を発しているんだろうか。
「どこも怪我してなかったか? 疲れただろう、ぼくのことは良いから、お休み。」
「………。」
そう言って、
「
違うだろう、そうじゃない。私が言うべき言葉はそうじゃない。だが
「どんな外国人にも、それこそ、もしこの先、メシアの恵みで小鳥や鹿と話せる聖者がいるなら、彼等にだって、教えるべきだ。」
これでもない。分かっているのに、言葉も考えられているのに、出てこない。
「仮に彼等が人祖の罪の裔でなかったとしてもだよ。それくらい素晴らしいことだと思うんだ、福音て。」
「そうだな、ぼくもそう思うよ。」
「だけど、だけどね。」
言え。言え。言うんだ!
「おいら達は弱いんだ。メシアみたいに―――
言えない。どうしても言えない。エルサレム教団の為に出て行ってくれなんて言えない。声に出したくない言葉が、涙となって流れていく。
「ごめん、ごめんね、ごめんなさい
ごめんなさい。ごめんなさい。弱くてごめんなさい。いつも護ってくれた、自慢の兄さん。大切な者を任せたいほどに大切だと、私のことを評価してくれた、優しい兄さん。
「明日の夜までに、ここを出て行って。」
だが、
「そっか。言いにくいこと言わせたな。ごめん。明日と言わず、今から準備するよ。」
「
私は咄嗟に、そう言ってしまった。神授のそういう意思を聞いたことはない。だが、司教命令だと言えば従うだろうし、
「それは楽しそうだ!
きっと神授は行きたくないのだろう。だからそんな悲しい顔をして、引きつった声で言うのだろう。ああ、ドコまでも駄目な人選だ。私は何もできない。
「せ―――。」
「身体、洗ってくる。」
取り消そう、とした時、
「神授、ごめん。自分勝手に決めて………。」
「なあに、おじいちゃんも
神授は立ち上がれない私を助け起こし、しっかり目を合わせて言った。
「
「―――うう……っ。」
年長者というのは、ただそれだけで、何かがあるのだろうか。
私はすぐに
そして私は、駒桜に、宣教の旅を命じた。罰とも何も言わず、ただ、『行け』とだけ。
怒りは伝わらなかっただろうか。悲しみは伝わらなかっただろうか。
だが駒桜は、無言で私を見つめ、すぐに、分かりました、と、準備に取りかかった。
神授と
皆分かっている。次に同じ食卓に着くときは、神の国で、メシア蘖が来るときだ。
そして恐らく、その席に私達はいない。何故なら、穢れを癒やしてもらえなかったからだ。
「………。どうした、お前達。そんなに悲しそうな顔して。兄ちゃんの門出を祝ってくれよ。」
「………。」
酒も進み、本音が漏れ出してくるころになっても、私達は心の淀みを言わなかった。
どうして
和と
歩き出すと言うとき、
「ん?」
「先生…。」
私は冷や汗が出た。何を言うのかと。
「いえ、お父さん。私を嫁がせてくれてありがとうございます。私、きっと
言わなかった。
「そうか。」
そして、私の眼を見て言った。
止めてくれ。見透かさないでくれ。
「頼むぞ、
ごめんなさい。
「どうやらぼくは、いつの間にか娘の父親になってしまったらしいからな。」
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
「ああ、兄や義父なんて、おいらには無縁の人だと思ってたけどね。…
「頼んだよ。」
嗚呼、吐き気がする。
それから何ヶ月も、私達は夫婦になることが出来なかった。
「誰が穢れているお前達の子供なんか欲しがるんだ。そんなことより井戸水を汲んでこい!」
そう言って、教えてくれなかった、と、悔し泣きをされた。私としては夫婦の事情を家族に知られていたというのが大問題だったのだが、気持ちは受け止めることにした。
ところが、三ヶ月後、
私達が、夫婦にならないうちに。」
「ああ、吐き気がする。」
「産んでも良いですか。私の罪が、この子に降りかからないように、お祈りしてくださいますか。」
私は何も言えなかった。だが、私の方こそ、頼んだ。
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