番外編・ギネヴィアとランスロット

『月下香の恋』


 春はキンポウゲ。夏はシロツメグサ。秋はコスモス。

 少女たちは花かんむりを作り、お姫さまになりきって互いの頭に飾った。本当のお姫様もこの遊びが大好きだった。

 ロデグランス王の娘ギネヴィアは同い年の少女たちと一緒に、じぶんの護衛についてきた騎士たちをまきこんでお姫さまごっこを楽しんでいた。 

「どうぞお手を、お姫さま」

「サー・アベレウス、ありがとう」

 すました表情ではきはき答える。まだ幼いが、ギネヴィアは将来美人になるに違いないと思わせる顔立ちだった。まっすぐな金髪と深い緑色の瞳をもった、愛らしい少女だった。

「ギネヴィアはどんな人と結婚するの? やっぱり王様?」

「ええ、わたしは王さまでもとくべつ立派な方と結婚するの。強いだけじゃなくて、立派なふるまいで、心から高貴な王さまよ」


 ギネヴィアも少女たちと夢を語ることがあったが、同世代の子と比べて、彼女の言葉には実現させるという強い意志がきらりと光っていた。




 じっさいにギネヴィアは16の春、大王アーサーにみそめられた。大王アーサーは「ブリテンに2人とこのような素晴らしい王は現れない」とほめ讃えられる最高の王だった。彼のもとに勇敢で気高い騎士たちがおおぜい集まり、これほど華麗な宮廷の華がひらいたことはなかった。

 ギネヴィアの父はアーサー王からの申し出がくると有頂天になって喜び、大きな“円卓”を彼女に持参させた。円卓には不思議な力があって、すばらしい騎士があらわれると名前が浮かぶのだ。

 婚礼のために盛大な儀式がおこなわれた。高々とそびえたつ聖ステパノ教会にアーサーが入場し、ついで純白と黄金の衣装をまとったギネヴィアが入った。

 大司教がギネヴィアとアーサーの手を結び合わせる。そしてギネヴィアの髪から白バラの花かんむりをとりさり、王妃のあかしである黄金の王冠をかぶせた。

 ギネヴィアは王冠の重さにおどろいたが、それでもアーサー王に選ばれたことをとても誇らしく感じていた。選ばれた喜びで胸がいっぱいになり、ともにブリテンを作っていく使命感が彼女をときめかせた。理想に燃える若きアーサーを好ましく思う気持ちもふくらみつつあった。これが愛なのだと、その時のギネヴィアは思った。


 大広間には円卓がさっそく置かれた。円卓のまわりに背もたれの大きな椅子がならべられ、それぞれの背には、その席に座るべき騎士の名前が黄金の字で記されている。

「なんてすばらしい贈り物だ。まだ名前のない空席がいくつかあるが、なぜだろう?」

 アーサーは自分の横に立つ魔術師のマーリンにたずねた。

「いずれ定められたときに満たされるよ」

「もう誰が座るか決まっているのか」

「ああ、すでに。とくに左の空席にすわるベンウィックのバン王のご子息、サー・ランスロットは特別だ。ランスロットは最高にすぐれた騎士にして、君にもっとも親しい者になるだろう。そしてもっとも大きな喜びと、もっとも深い悲しみをもたらすだろう──…」


 二人の会話を小耳にはさみながら、ギネヴィアはうさんくさい目でマーリンを見た。

 ……変なの。もっとも大きな喜びはわかるけれど、深い悲しみをもたらす騎士なんて迎えいれるべきじゃないわ。そんな騎士がアーサー王のもっとも親しい者になるなんて。

 マーリンの不気味な予言に逆毛がたつのをギネヴィアは感じた。祝賀の日にこんなことを言うなんて。寒く感じるのはブリテンの城が石造で広いせいよ、とかき消そうとしたが。

 予言はいつまでもギネヴィアの心の中に残った。



■□■□■



 それから十年の歳月がたった。かわいらしく利発な少女は本当の知恵を身につけ、賢く美しい理想の王妃に成長した。

 円卓の騎士たちの顔ぶれもすこしだけ変わった。無謀な冒険で命を落とした者、王の命令で遠くにいる者、歳をとって姿が変わってしまった者など様々だったが、円卓の騎士たちはアーサー王の栄光を体現していた。

 永遠に歳をとらないアーサー王と円卓の騎士たち。美しい王妃ギネヴィア。

 いつからひびが入ったのだろう? 表面からみればまったく分からなかったが、細かい割れ目がはいり、ある日突然に割れてしまう陶器のようにアーサー王の宮廷は在った。


「サー・ランスロット」

「王妃さま……」

 宮廷の奥まった庭園の、さらにその奥で。ぐうぜんに出会った二人は互いの目をみつめた。夜の帷(とばり)は降りて、彼らを見ているのは夜空と月下香の花だけだ。

「王妃さま、どうかお許しを」

「いいえ。ランスロットはなにもわるくありません」


 ランスロットはまったく悪くなかった。心の中で言葉を繰り返したギネヴィアは自責の念にかられた。彼は、私に手を差し伸べてくれたのだ。

 歳月が過ぎても、アーサーは変わらずにギネヴィアを愛してくれた。永若のアーサーに普通の人間であるギネヴィア。しだいに彼が向ける愛は、ギネヴィアの心をむしばんだ。

 おかしな話かもしれないが、ギネヴィアもアーサーを深く愛していた。ブリテンを理想の国たらしめんとするアーサーを尊敬し、彼を支えたいと思っている。だが、彼の愛とギネヴィアのそれは違ったのだ。

 気付いてしまった違和感は彼女をじわじわと蝕んだ。やがて黒い穴となり、ギネヴィアの足元に無数の闇がひろがっていた。

 ──ランスロットは私に手を差し伸べてくれた。

 彼は、騎士に叙任されるとき手助けしてくれた王妃を不憫に思ったのだろう。だが優しさはゆっくりと燃え上がり、消えることのない罪の炎になって心を焦がす。


「いけません。貴女だけが自分を責めるなど」

 彼の瞳にはギネヴィアへの愛がやどっていた。

 奇妙なことにランスロットがアーサー王に向ける忠誠心も、ギネヴィアへの愛と両立していた。ランスロットが彼女にかける想いは、王を支えるギネヴィアの献身的な姿を尊敬し、支えたい、いたわってあげたいという愛。

 ギネヴィアが持っているアーサー王への愛とも重なる。二人は互いを大切に想い、不幸にもその気持ちが通じ合って慈しみあった。どちらも真実の愛だった。


 ──アーサーはまちがいなく気付いている。彼の周りにいる親しい騎士たちも……。


 二人は罪の意識をもちながら愛を重ねた。肉体的ではない。言葉で、視線で、たがいが交わるだけで罪の炎は燃えつづけた。

 そしてこの庭園で2人はついに密会した。夜の帷の中、月下香の香りにまどわされて手が王妃に触れた。王妃も騎士の手をにぎりかえした。たった一瞬の交わりが、十年の歳月に大きなひびを入れた。


「あの場を見ていた者がいたのでしょう」


 翌朝、ランスロットは自分の領地に急いで去った。ガウェイン、ガヘリスとトリスタンらが動いたのは同時だった。

 アーサー王の甥サー・ガウェインの求婚状。人々の関心をあつめた噂は、アーサー王の宮廷でひろがりかけたランスロットと王妃の醜い噂を覆い隠した。

 そしてガウェインが家にとどめているという少女に会い、ギネヴィアはようやく彼らの思惑を理解した。


『王妃様が義姉に似ていて驚いたのです』


 ……なるほど。噂をもみ消すだけでなく、何人も令嬢をまねいた理由がわかった。ガウェインたちは、ギネヴィアとランスロットの密会証言をうやむやにするために、王妃にそっくりな女性を『噂の真実』に仕立てようとしているのだ。

 もし万が一、二人が会っていたと証言する者が人々の前にあらわれても、「あれはランスロットの恋人だ」と言うつもりなのだろう。

 それゆえ宮廷にいる令嬢ではなく、あまり顔と素性が知られていない田舎領主の令嬢にガウェインの求婚状が送られていたということか。

 だが、そうやって招かれた不幸な少女と共にいたガウェインは、王への忠誠心だけでその場にいるという顔ではなかった。ギネヴィアは二人を見て微笑んだ。



「ねえ、ランスロット。私たちの恋は終わりにしなければ」

 一連のできごとが収まり、宮廷に戻ってきたランスロットとギネヴィアは再び言葉を交わすために密会した。庭園のあかりは消え、鳥の声すら聞こえず眠っているようだ。月下香の白い花が闇にうかんでいる。この花の香りは夕方からだんだん強くなり、月夜に濃厚な香りをはなつのだ。

「周りの人々を巻き込んで、傷付けてしまったわ。アーサーをはじめ、無関係な騎士や令嬢たちを。とりわけガウェインとアネット……。

 この恋は未来に、より多くの人々を傷つけるかたちしか見えない。だからどれだけ愛していても、終わりにしなければ」

「王妃さま…」

「私たちの愛が真実であったとしてもよ。わたくしがどれだけ貴方を愛していたとしても」


 二人は触れることを恐れるように離れた位置に立っていた。でも十分にたがいの声も視線もとどいた。王妃と騎士は言葉をわずかに、視線を交わし合い、二人の間にながれてきた歳月を慈しみ合う。

 ランスロットも口を開いた。

「私も、あなた様を心からお慕いしています。その気持ちを疑いません。貴女がそこまでおっしゃるのであれば私は身をひきましょう。二度と近づくことはいたしません」

「………」

「ですが、ひとつだけ許して欲しいのです。

 ──もし貴女の命があやうくなったとき。私が貴女のもとに馳せ参じることを、許してくださいますか」

「ええ。でも約束して、ランスロット。その行為がアーサー王の名誉を傷つけるのなら、私よりも王への忠誠を優先して。約束よ」

 

 花のつよい香りが夜風に流れていった。まるで夢が覚めていくように、静かで冷めざめとした哀しみが二人の心にあった。その瞬間、まるでいくつもの季節が通り過ぎていったようだった。

 ギネヴィアは愛にこがれていた季節を。ランスロットは真の愛をもとめていた季節を。

「承知しました」

「よかったわ」

 二人は、おだやかな表情で互いを見合いながら遠ざかっていった。




「王妃様。何か良いことがございましたか?」

「そう? わたくし、いい表情をしているかしら」


 侍女に髪をとかされながら、ギネヴィアは昨晩のことを思い出していた。

 美しく哀しい記憶だった。これから何度もあの夜を思い出すだろう。でも、さびしそうに見えるというなら分かるが、どうしていい表情だと言われるのだろう。

 ギネヴィアは考えた。

 ──そうだ。私とランスロットの噂がおさまれば、あの忠義な騎士は少女に会いにいくだろう。

 ギネヴィアとランスロットのせいで色々と迷惑をかけてしまったが、なにも失った人ばかりではなかった。事実、得るものがあった人もいるのだ。

 ギネヴィアは未来をみつめることにした。


「きっとこれからいいことがあるのよ。信じていれば、私たちにもきっとね。」




<月下香の恋・おわり>


これにて連載終了です。お付き合いくださり、誠にありがとうございました。

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