終話

「アネット、そろそろ中に入ったらどうだ。そこは冷えるだろう」

「ううん、お父様。もうすこしだけ外を見ていたいの」


 春が近づいていた。まだ寒さが残る空気の中に、うっすら芽や花の匂いがまじっている。

 アネットの父エドモンドは塔の窓から外を眺める娘をみた。娘は少し身長が高くなった気がする。サー・ガウェインの館に滞在したのは1ヶ月だけだったが、娘は見違えるように大人びて帰ってきた。

 それからずっとアネットは遠くを眺めるようになった。


「何か心配事があるのか?」

「……王都にいらっしゃる義姉様が心配なだけよ」

 アネットは振り返らないまま言った。「大丈夫です、お父様。もうわがままは言いません。私はお父様の薦めてくれた方と結婚します」

 きっとアネットは、王都に行ったまま戻らない義姉を案じている父を慰めるために言ったのだろう。エドモンドは胸をえぐられたように感じた。

「アネット、無理をしなくていいんだ」

 何でもないように振る舞う娘のすがたは痛々しかった。

 戻ってきて約半年。しだいに強くなる不安やさびしさに堪えながら、アネットはただ遠くを眺めた。そんな娘を慰める言葉を、父は持っていなかった。これまでも、ずっと。

 エドモンドは自分を恥じた。──娘にこんな発言をさせてしまうなんて。

「もういいんだ」

 父は娘に語りかけた。ずっと言えずにいた言葉を、ようやく告げることができた。

「お前は優しい子だから、父の不安を消そうとしてくれたんだな。

 お前は小さい頃から好きなことを我慢して、私と家のために尽くしてくれた。母親を早くに亡くしたせいかな。だがアネット、母親が死んだのはお前のせいじゃない」

「お父様……」

「お前が産まれたとき、私たちは喜んだ。彼女は病に苦しんでも、お前に会うときは笑顔だった。産んだことを後悔していなかったさ」

 父は手を伸ばして娘の頭をなでた。もっと早くこうしてあげればよかった。

「私がジェイダと再婚したとき、お前はなにも言わずに受け入れてくれた。だが、ジェイダはお前に意地悪だったな」

 アネットは驚いた表情で父を見た。

「私が困らないように黙っていたんだろう。すまなかった。お前が大きくなるにつれ母親に似て、どう関わったらいいか分からなかったんだ」

「………」

「だが許してやって欲しい。ジェイダはあれでもお前を思っている。…それに、ああいう気が強いところも私は好きなんだ」

 少年のように頬を赤らめた父に、アネットはほほ笑んだ。父が義母に惚れていることぐらい知っている。アネットが何を言おうとも関係なかったのだ。

「結婚はお前が望む相手とすればいい。お前が家を継がなくても、グレイスがよろこんで結婚相手と継いでくれるさ」

「お父様……」

「だからお前は、自分の幸せを一番に考えなさい。大事だと思ったものを選ぶんだ」



 アネットは目を閉じた。

 ──わたしにとって、大事なもの。

 昔はお父様だけだった。今、アネットが恋しく慕うのはあの人だ。


「でも、お父様。その人は私を忘れてしまったでしょうから……」


 アネットの視線の先には、ずっと遠く王都からつづく道が伸びていた。望みをかけて目をこらすと、遠くの先でかすかに土埃が立った。しだいに馬で駆ける轟きが加わり、人影が現れる。……立派な鎧を身につけた騎士だ。金髪が太陽にかがやいて、青い目はあおぞらのように澄んでいる。

「サー・ガウェイン!」

 アネットはおどろいて声を上げた。隣にいた父と目が合い、父はにこりと笑って頷いてくれた。アネットは急いで塔を駆け降りる。胸を高鳴らせ、たまらなく嬉しい表情を浮かべながら。



 結婚──女の子ならだれしも夢想するものだ。

自分を愛してくれる理想の相手を。


 愛を手に入れるため、少女たちは大人へと成長する。




 <おわり>

 



 最後の大人は“レディ”と読んでいただいても。

 ご拝読いただき、誠に有難うございました。番外編が2話あります。もしよければ、もう少しお付き合いくださいませ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る