第6話 テオドライト王国には無能と呼ばれる王女がいる
テオドライト王国王城。
巨大な威容を誇るその城の尖塔の一つから窓の外を見やる人物がいた。
第一王女 レイア・トレビュース・テオドライド。
今年で二十七歳になる彼女は王族の住まう厳重なセキュリティが施された居住区ではなく、この高く物寂しい尖塔に私室を構えていた。
魔術による結界は最低限、衛兵はわずかで使用人に至っては専属の者が一人もいないという有様だ。
とても直系の王族の待遇ではないがレイアはこれで構わなかった。
三歳の時に行われた『聖女の儀』、そこで周囲が望む結果を出せなかったレイアは徐々に冷遇されるようになり、今ではご覧の状態だ。
短く切った金髪に淡い褐色の瞳、整った目鼻立ちは周囲を引きつけるに足る美貌だがそれが役に立ったことなどほとんどない。
レイアはこの城の中、いないも同然の扱いを受けている。
その目が見据えるのは遥か遠く、隣国ロレンヌとの間に横たわっている沼地だ。淀む瘴気によって紫の靄がかかった沼地は、数多の強力な魔物が巣食っている。
年々濃くなっていく瘴気は人の住まう地に確実に近づいてきており、辺境の街に到達するのは時間の問題だ。
眉間にしわを寄せ、険しい顔つきで想いを馳せる。
父である国王イグニウスも、兄である第一王子ライオットもこの瘴気を見て見ぬ振りをしていた。それどころか、瘴気によって民の住む場所が奪われそうならば、他の土地を用意すれば良い、という考えに至っている。
停戦を結んだロレンヌの土地を奪えば良い、と。
父も兄もどうかしてしまった。やっと戦争が終結し、平穏が戻ってきたというのに最近では口をひらけばロレンヌへ侵攻する策略ばかりだ。
どうにかするべきなのはロレンヌではなく、あの沼地に住まう毒竜のほうだというのは明白なのに。
「いや、それも……私に聖女としての力がないせいか」
レイアに聖女の力があるならば全ての話はもっと簡単だった。
王家に伝わる浄化の魔術によって瘴気を払い、空気を清める。瘴気さえなければ人の侵入も容易いから、国の戦力を投入して毒竜を叩けば良い。
それが出来ないのはひとえに己に才能がないせいだ。
そもそも瘴気が酷いとはいえ、なぜ毒竜がこの地に来たのだろうという疑問もある。
毒竜といえば百年も昔にこの国にいたかの英雄魔術師、ビュート・アレクサンダーにより封印されたはずの竜だ。ビュートは力の源である<竜核>を抜き取り、北の果ての氷の洞窟に強力な魔術を施して毒竜の本体ごと半永久的に封じた。
それはテオドライト王国史にも記載されている歴とした事実で、当時人類を脅かしていた強力な邪竜が封印されたことは大きなニュースだったという。
ビュートはこの事件以降姿を消し、消息は不明だが国では今も人気者で城には彼の彫像と毒竜を封印した一幕を描いた絵画が飾られている。
そんな竜が今になってなぜ、戻って来たのか。
封印が解かれたのか? 誰が? どうやって? 何の目的で?
街という街を破壊し尽くしたという竜はどうして十二年も大人しくしている?
テオドライト王国上層部は、国民に竜の存在を公にはしていない。
言えばパニックに陥るだろうから当然のことだ。しかしいつまで竜が大人しくしているかなんて誰にもわからないし、突然気が変わって襲いかかってくるような事態になれば逃れようがない。
王都の結界は頑丈だけれど、辺境の街はその限りではないのだ。
毒竜の腕の一振りで壊れたって不思議ではない。
だから。
レイアは剣を手に取った。
軽いながらも最高強度を誇る白銀の甲冑を身にまとい、胸元には魔石の嵌った細く銀色に光るネックレスを煌めかせ出立の準備をする。
聖女になり得なかった彼女が選んだのは、剣を武器に、魔術を守りに戦う魔剣士だった。
扉を開き、長い長い螺旋階段を降りていく。
「レイア様……どちらへ向かうので?」
「オズボーン侯爵か」
廊下を歩いている最中、特級魔術師のドットーレ・オズボーン侯爵に声をかけられる。身長三メートルもある彼は武闘派として知られており周囲からは敬遠されがちだが、さりげなくレイアの味方をしてくれる魔術師で彼女としてはありがたい存在だ。あまり表立ってこちら側につくとアシュロン率いる開戦過激派に目をつけられるので、あくまで水面下での話だけれど。
今も武装して一人歩いているレイアのことを気にかけ、心配そうな表情をしている。
「ちょっと毒竜の討伐にな」
「それは……臣下としてお止め申し上げます」
「では王女として命じる。止めてくれるな」
キッパリ告げると、オズボーン侯爵は片眉を吊り上げた。レイアは苦笑する。
「オズボーン侯爵だってわかっているだろう? あれを放置して良い事は一つもない」
「しかしお一人で行って倒せるような相手ではありません」
「わかっている。それでも行かせてくれ。私にできる事はこれしかないんだ」
胸元に揺れるネックレスをギュッと握った。
「妹に約束している。必ず国を平和に導くんだと」
それを聞いたオズボーン侯爵は瞳に悲壮な色合いを宿した。魔術師らしからぬ無骨な見た目だというのに、素でいるときには顔に感情が現れやすい男だ。
「アンヌ様は、レイア様が死にに行くような事は望んでいないと思います」
「なあに、危険があれば逃げるさ」
「どうしても行くのであれば私もご一緒いたします」
「それはいけない。オズボーン侯爵はこの国のバランス取りに必要不可欠な人物だ」
レイアは随伴の案を一蹴した。そして声をグッと落とし、囁くように言葉を漏らす。
「父も兄も、今やアシュロンの傀儡だ。貴殿までもがいなくなれば国は奴に完全に乗っ取られてしまう」
事実、アシュロン・ベルモンゾ侯爵の影響力たるや凄まじいものだった。
魔術機関は副官であるはずのアシュロンの意のままに動き、政治の重要会議には必ずアシュロンの姿がある。玉座の間では王の傍にアシュロンが控えていることが多く、何かを決定するときに父は彼の意見をまず伺っている、というのは周知の事実だ。
「今この国にいるのが……アシュロンではなく彼であったなら……」
「彼?」
「オズボーン侯爵の同期の彼さ」
「ああ」
脳裏にその姿を思い浮かべる。
イシルビュート・ヴァンドゥーラ。
脅威的な魔力量、記憶力、そして天才的な魔術の才能を有する彼は魔術師養成学校で前代未聞の優秀な成績を残したという。難解な古の魔術陣の解読。凶悪な魔物の単独討伐。新たな魔術陣の開発。
その結果、平民である彼はわずか十七歳で特級魔術師に上り詰めた。
目立ちすぎる功績はやっかみを買い、やがて彼は冤罪をかけられることになる。古参の貴族達によるその包囲網は鮮やかで、イシルビュートの味方をする者は一網打尽に投獄された。戦争反対の咎で追放されたかの天才魔術師が今どこで何をしているのか、レイアに知る術はない。
けれども、規格外の力を持つ彼なら毒竜だってなんとかしてくれるに違いないという気持ちにさせられる。
「まあ、いないなら仕方ない。いる者たちでなんとかするしかないだろう」
「レイア様、お待ちを!」
「行ってくるよ、オズボーン侯爵。悪いが後のことはよろしく頼んだ。くれぐれも追いかけてこないでくれよ」
にこりと微笑みを一つ残し、テオドライト王国王女レイアは歩き出す。
下げた剣に手を当てて、命に代えても倒すべき相手を遠い地に見据えて。
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