第2話
「鬼の仕業よ!」
足が見つかってからというもの、宮中ではその話題で持ち切りだった。誰とも知れぬ足が一本、発見されたのである。その出来事は、京の人々を震撼させるに十分であった。
「間違いないわ。見つかったのは、消えた女房の足よ」
「私もそうだと思う。その見つかった足の甲には、大きな火傷の痕があったそうじゃない。消えたその人にもあったのよ。間違いないわ」
「使いで来ていた人だって聞いたわ」
「そうよ、二日ほど前から、行方が分からなくなっていたって」
「この女房だけじゃないわ。最近、よく行方が分からなくなる女の人がいるって話よ」
十五、六ほどの歳の若女房たちは、身を震わせこそこそと話に興じている。
「鬼が近くにいるんだわ」
「毎夜、鬼が女を攫うのよ」
「鬼が、あの女房の身体を食べたんだわ!」
「なんて恐ろしい」
きゃあ、と甲高い声が上がる。
「けれど」
そこで落ち着いた美しい声を出すのは、中でも特に見目麗しい女房である。
「謎の男が、足を持ってきたのでしょう? その男が殺したんじゃないのかしら? 鬼の仕業だなんて、そんなこと」
美しい女房の言葉に被せるように、女房たちが次々に口を開く。
「だけど、おかしいわよ。自分で殺しておいて、足だけを持ってくるの? そんなこと、普通しないわ」
「そうよ、おかしいわよ」
「きっとその男が、鬼が人間に化けた姿だったのよ」
「そうよ、そうに違いないわ」
「美味しそうな人間を下見に来たのかも」
「やだ、怖いことを言わないで」
女房たちは、不安げにお互いの身体を寄せ合っている。しかし、美しい女房だけは一人、「そうかしら……」と、どうにも納得のいかない顔で口元に手を当てた。
するとそこに、武官の装いをした若武者が現れた。
「こんにちは。お取込み中、申し訳ありません」
一斉に、その少年武官に視線が注がれる。きゃあ、と歓声が沸く。「あらやだ! 相模の君の昔馴染みよ」という小さな声に、美しい女房、相良の君が一歩前へ出た。
「大変なことになりましたわね。お聞きになりましたでしょう?」
相模の君に対し、若武者は、慎重な顔つきで頷いた。
「はい。ここへ来て一年ほどですが、このようなことは初めてで……鬼の仕業だと、言われているようですね」
他の女房たちは、何度も頷いている。相良の君は、肯定も否定もしないまま、言った。
「お経を読みに来てもらうみたいですけれど……陰陽師が来て、魔除けもしてもらうようですわ。こんな恐ろしいこと、早く解決してもらいたいわ」
「そうですね。私も、力の限りを尽くします」
少年武官が力強く頷いた時、女房の一人が、二人の間に割り込む。
「ですけど、その太刀でどうにかなるものだとは思えませんわ。逆に食われてしまったり……」
その様子を想像したのか、女房たちからきゃあ、と声が上がる。少年武官は、持っている太刀に手を触れた。そして微笑んだ。
「私は小心者ですから、鬼に遭遇して、勇敢に戦えるかどうかは分かりませんが」
「いいえ、このところ、ますます男ぶりが上がられましてよ」
女房がうっとりした様子で言うが、「ははは、そうでしょうか……」と少年武官は控えめな態度である。
「まあ、一年前、田舎から出てきた時よりは、ですけれど」
相模の君は、つんとした態度でそう言った。
「相模の君は、ずいぶんお厳しいのねえ」
「そんなことはないですわ。とにかく、夜な夜な女を攫うという話ですけれど、気を付けて下さいね。物の怪の前では、男も女もありません。本当に鬼の仕業かどうかは、まだ分かりませんけれど……」
相良の君は、周りの女房を気にするように、小声であった。その言葉は、周りの女房たちには聞こえなかったようだが、少年武官にははっきりと聞こえたようだった。
「はい。重々気を付けます」
一礼し、少年武官が去って行く。その後ろ姿を、女房たちは見えなくなるまで見つめ、一斉に溜息を吐いた。
「いつ見ても素敵だわ」
「昔馴染みだなんて、羨ましいわよ」
そんな言葉と共に、相良の君に視線が注がれる。
「そう? そんなことはないと思うけれど」
「またそんなこと言って。素直じゃないんだから。それにしてもあの方、私の文にもつれない態度なのよ。意中の人でもいらっしゃるのかしら?」
「文? あなた文なんて渡しているの?」
「相模の君から渡してもらっているわ。だけど、駄目なのよねえ」
相良の君は頷いた。
「ええ、確かに渡しているわ。だけど今は、そういう気分じゃないのかもしれないわ」
「だったら、私が渡しても駄目かしら?」
「相模の君に頼んでみなさいよ。渡すだけならいいでしょう?」
「そうね、また渡しておくわ」
相模の君は笑顔で応じた。
そして、鬼の話はどこへやら、若女房たちは恋の話に興じ始めた。相模の君は、相槌を打ちながら、ふと表情を暗くする。気付いた女房が声をかける。
「あら、ご気分でも悪いの?」
「いいえ、大丈夫よ。それより、そろそろ戻らないといけないんじゃない?」
すると、時間を忘れて話し込んでいた女房たちは、「そうだわ」と次々に声を上げた。
「あんまり話が長いと、怒られちゃうわ」
女房達は、散っていく。
一人になった相模の君も片づけを初め、ふと気付く。そこに置いてあったのは、謎の男が持ってきた、足を包んでいた布を入れている箱である。確かに布がこの箱に入れられたのを、相良の君は騒ぎの遠くから見ていたのだ。誰も気味悪がって触れようともしない布は、ありきたりなものであり、犯人を示す証拠とはならないとして、あまりにも無造作な形で置いてある。
「こんなところに置いていていいのかしら。まさか、置き忘れているんじゃ……」
相良の君は近づき、箱をじっと見つめた。そして周りに人気がないことを確認してから、好奇心そのままに蓋を開けた。
そこには、血塗られた布が入っていた。
「…………っ」
相良の君はすぐに蓋を閉め、箱ごと奥へ押しやった。顔色を悪くして、目を閉じる。
「鬼だなんて」
ぽつりと言う。
「…………恐ろしい」
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