ピザ配達人は遅れてやって来た

福田 吹太朗

ピザ配達人は遅れてやって来た




「急いては事を仕損じる」何事も我慢が肝心だ。

しかし我慢にも限界がある。

私はもうかれこれクローゼットに入り込んで20分になろうか? いや、30分だろうか?

クローゼットの扉の隙間から見えるのは、三人の男達の姿。皆目出し帽を被り、一人は拳銃を手に持ち、一人は懐中電灯を持ち、もう一人は何やら訳の分からない器具を手にしていた。

私はといえば・・・じっと息を潜め、気配を殺し、ただただ時間が経つのを待つだけであった。

しかしながら、今まで生きてきた中でこれほど長かった30分、いや20分、いやもうすでに40分は経ったかもしれない。これほど長い隠れんぼをした事もないし、子供の頃はよく電柱の陰に隠れて女の子を驚かせはしたが、せいぜい2,3分のことだ。しかも命の危険など微塵もなかった。

三人の男達は幸いにも、部屋の隅に置かれた金庫の方に気を取られて、クローゼットの方向を見ようとすらしない。三人のうちの一人が、妙な器具とタブレットを繋いで、金庫のダイヤルを回して、開けようと試みていた。コイツらはきっとプロ中のプロだな。そんな事、子供にだって分かっただろう。心配なのは金庫の中身ではない。

実のところ、あの金庫の中の貴重品はたまたま数日前に銀行の貸金庫に預けたばかりで、入っているのは僅かばかりの現金と、書きかけの小説だけだった。そうとも知らず、屈強な男達は・・・。せいぜい小説を破かれない事だけを祈るのみである。しかしながら・・・。

今一番危惧しなければならないのは、この私の命である。しかも、拳銃を手にした男が突然鋭い指摘をした。

「オイ、ここに携帯が落ちてるぞ? ・・・普通、出かけるんだったら携帯は持って行くよな?」

「・・・何が言いたいんだ?」

懐中電灯を持った男はむしろ、凡人程度の脳ミソの持ち主だったらしい。

「・・・それに、俺たちがこの部屋を外から確認した時、灯りがついてなかったか?」

「・・・だから、何が言いたいんだよ?」

相変わらず懐中電灯の男は頭の回転がイマイチらしい。

しかし、拳銃を持ったいっそのことFBIの捜査官か諜報機関のエージェントにでもなった方が適職であったであろうそのバッドガイは、床に落ちている私の携帯を素早く拾い上げた。不幸中の幸いで、ロックがかかっているので、30分・・・いやそれ以上前に警察にかけた事は分かるまい。

・・・しかし、その有能な悪役の捜査官はなおも怪訝そうだった。目出し帽を被っていても、その気配だけは察することが出来た。その証拠に、ヤツは部屋の中をグルリと見回した。私はこの時ばかりはシベリアで氷漬けにされたマンモスにでもなったかのように、じっと息を潜めて自分自身に「決して動くな。動いたらそれで一貫の終わり。」などと暗示をかける事しか出来なかった。

さらに悪い事に、懐中電灯のちょっとオツムの残念な男は、目出し帽を脱いでしまったのである。これで私は見つかったら間違いなく命を奪われる。

「・・・オイ! 何やってんだ・・・!」

「いやぁ・・・こう暑くちゃやってらんねぇよ・・・何怒鳴ってんだよ?」

「馬鹿野郎・・・! まだ部屋の中に隠れてるかもしれないんだぞ! 顔を見られたらどうする? 少しは用心しろ。」

「バカなことを言ってんじゃねぇ。・・・いる訳ないだろ? この真っ暗な部屋の中に・・・あ!」

ようやく事態が飲み込めたのか、そのIQの少し低い男も慌てて目出し帽を被り直し、手にしている懐中電灯で辺り構わず照らし始めた。するとすかさず、金庫のダイヤルをさっきから一心不乱にいじくっている男が苛立ったように舌打ちをした。

「・・・オイ! ちゃんと手元を照らせよ? ・・・あとちょっとなんだ・・!」

私の命もあとちょっとなのか。金庫の中身が無価値だと分かれば、きっとそこいら中、粗探しを始めるに違いない。そうなったら当然、クローゼットも開けられて・・・。

思えば先週交通違反のキップを切られたばかりだが、この時ばかりは警察が無性に愛おしくなった。しかしなぜ来ない・・・? まさか交通違反の腹いせのつもりか? いったいスピード違反一度ぐらいで、人一人の命を危険に晒してもいいとでも言うのか? マッタク、不条理極まりない。不合理である。奇妙な怒りが何故だか突然込み上げて来た。・・・そういえば、奴らがこの部屋に踏み込んで来る少し前に、私はピザを注文したのをすっかり忘れていた。ピザ屋でさえも遅れているではないか? これはきっと何かの陰謀か? 皆で寄ってたかってこの私を不幸という名の奈落の底へと叩き落とそうとしているんだな? そうに違いない。

ピザはもうすっかり冷めてしまっているだろう。あるいは一度溶けたチーズは固まってしまっているに違いない。どっちにしろ、もう何もかもが手遅れなのだ。私の人生もおしまい、ピザも食べることは出来ない、せめて最後に熱々のピザを・・・もちろんベーコンはカリカリがいいに決まっている。・・・何だかそんな事を考えていたら、腹の虫が鳴ったようだった・・・この静かな部屋の中で・・・。

しかしちょうどその時、ダイヤルをいじくっていた男が大きな声を上げた。

「・・・やったぞ! こんな安物のシロモノ一つにこんなかかっちまうとは、俺も腕が鈍ったな。」

男が金庫の扉を開ける。これで私はおしまいだ。中身の書類、おそらく男達は株券か有価証券か札束の山かなどと期待していただろうが、ただの三文小説である。それも書きかけの・・・。

その時、玄関のインターフォンがタイミング良く鳴った。私はクローゼットの中で、小躍りした。身動き一つせずに。

しかし、私はやはりついてはいなかったようだ。いや、もうこうなったら私の人生自体がツイてなかったとしか言いようがない。

「・・・ピザ・グラッツェです・・! 遅くなってすみません! 道が混んでいたもので・・・!」

よくそんな言い訳が言えたもんだ。きっとちんたらバイクを走らせながら、適当な言い訳でも考えていたに違いない。

「・・・オイ、どうする?」

IQの残念な男がそれよりどう見積もっても100ぐらいは高い男に尋ねる。

もう一人の金庫を開けた男が思わず小さく叫ぶ。

「・・・オイ! なんじゃコリャ・・!? これは・・・お宝でも何でもないぞ!?」

私はとうとう観念した。正直なところ、神を信じるのは2年前にやめてしまったのだが、それはそう・・・この宇宙が途方もなく広いと知ってしまったからなのだが・・・。ともかく、その時だけは普段私の頭の中には現れはしない神様に祈ったりしたものだ。そんな事をしても、1ミリたりとも効き目はない事は百も承知だったが・・・。

しかし、奇跡は起きたのである。

「・・・オイ。この家の住人のフリをして、ピザを受け取りに行くんだ。なぁに、分かりゃしないさ。もしバレた時は・・・これだ。」

相変わらず頭の切れる男は拳銃の先を玄関に向けた。

「俺が行くのか? ・・・まあ、仕方ないか。その代わりピザは俺が頂くからな?」

男は再び目出し帽を取ると、玄関のライトをつけて、鍵を開け、ドアをゆっくりと開けた。

すると、ピザの箱の代わりにショットガンが男の腹に突き付けられた。

男は観念して、両手をゆっくりと頭の上まで上げた。

「よしっ! 全員両手を頭の後ろで組めっ! 抵抗しても無駄だ! オイッ、拳銃を捨てろっ! 今すぐあの世に行きたいか? それとも何年か臭いメシを喰うのを我慢するのか、選ぶ権利だけは与えてやるぞ・・・!」

残りの二人の男達は臭いメシの方を選んだようだ。まあ、私だったら同じ選択をするだろう。ただ今の私は、臭いメシなどではなく、アツアツのピザが食べたかったのであるが。

「・・・通報された方、どこかにいらっしゃいますか?」

もちろん私のことだろう。私はなおも慎重にゆっくりとクローゼットを開けて、ほんのちょっとずつ進み出て、そうして一つ息をついた。

「・・・来るのが遅れて申し訳ありません。近くの道路でたまたまトレーラーの事故があったもので・・・回り道になってしまいました。・・・しかしお怪我は無いようで安心しました。・・・まさかピザの配達人と同じタイミングで出くわすとは思いもしませんでしたが。」

そのトレンチコートの捜査官は軽く苦笑いした。私は努めて冷静を装って、

「・・・なぁに、ピザの事ばかり考えていましたよ。すぐ駆けつけると思っていました。近頃の警察は優秀だと聞きますからね。」

三人のバッドガイ達は大人しく連行されていく。私と、クローゼットを恨めしそうに時折振り返りながら。

「・・・ピザですか。私も勤務中じゃなかったら一切れ頂きたかったですね。」

「まぁ・・・多分冷めてますよ。」

「それは残念ですね。・・・お疲れでしょうが、明日の朝にでも、状況を少しだけでもお聞かせ願えますか? 詳しい調書はその後で、署に来ては頂けないでしょうか? 何なら、パトカーで良ければ、お迎えに上がりますが?」

私はもうどちらでも一向に構わなかったし、疲れきっていたし、空腹も限界だったので、

「いや・・・自分で行きます。明日の朝に電話を貰えますか?」

「ありがとうございます。・・・それではまた明日もう一度お伺いします。」

警察の男は軽く会釈すると、部屋を出て行った。

ふと、玄関に申し訳なさそうにピザの配達人の青年が箱を持ったまま、立ち尽くしていた。

「あの・・・これはどうしますか?」

私は箱を開けてみた。意外なことに、ピザはまだほんのりと温かいようだった。私は財布から現金を取り出して配達人に渡した。

「ありがとうございます。あの・・・遅れすみません。途中で・・・。」

「・・・トレーラーの話はもういいよ。腹がペコペコなんだ。」

「いやその・・・僕の場合はトレーラーじゃあなくて・・・」

私は黙って玄関のドアを閉めた。青年はやや不安げに帰って行ったようだった。

まだほんのり温かいピザの箱を持って居間に戻ると、床にビリビリに破かれた書きかけの小説の原稿の残骸が散らばっていた。

私は少しだけ落胆したが、その残骸をかき集めるとゴミ箱に捨てて、そうしてまた箱の蓋を開けた。ほんのりとトマトと焦げたチーズの匂いが漂ってきた。なぁに、小説はまた書き直せばいい。コイツの生地と同じ事で、何度でもこねてるうちにいいものが出来上がるまでの事だ。

しかしながら、なぜなのかは分からぬが、いざその現物を目の前にすると食欲が失せ、今度は何だか麺類が食べたくなってきた。

人間とは気まぐれな生き物だ。ふと壁にかかった時計を見ると・・・まだ電話をかけてから37分しか経ってはいなかった。

チーズはまだ溶けたばかりのような・・・とにかく固まってはいなかった。ほんのりと湯気のようなものさえ立っていた。

私はともかくも、臭いメシよりはいくらかはマシかと、一切れ手に取って口に運ぶのだった。

「鉄は熱いうちに打て」のような意味で、

「生地は固くなる前にこねろ」あるいは、

「ピザは冷める前に届けろ」

新しいことわざとして小説に使えないだろうか? まあ・・・無理だろうな。ふた切れ目を口に運びながら、そんなくだらないことを考えていたのであった。

まぁ・・・まずまずの味だった。思っていたよりは。


終わり


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ピザ配達人は遅れてやって来た 福田 吹太朗 @fukutarro

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