D6 蛇足

 千佳が大学を卒業し、加々美家に戻ってから一年が経った。


 今にいたるまで数年間、加々美家に就職した椿が色々と余計なことをしてきたが、一応俺も千佳も他の人たちも元気に過ごせている。(椿自身を含め)


 月日が経ったこともあって、変わったこともいくつかある。


 まず、太一さんに彼女ができたことだ。まだ結婚までは至らないようだが、相手も前向きな姿勢らしくめでたい話ではある。

 詳しい話を聞こうにも本人は恥ずかしがって「やかましいわ」としか答えてくれないので、相手がどんな人かはよくわからないのだが。


 アドバイスをくれた椿や諸星にもずいぶん感謝しているらしい。

 破綻しまくってる奴らの助言が役に立つとは、世の中は不思議なものだ。

 

 うちの姉さんも結婚して、今では一児の母だ。

 しばらく実家に里帰りしているため、時々赤ちゃんに会うのだが、いつもぼーっとした目で出迎えてくれる。

 俺を叔父として認識してくれる日はずいぶん先だろうな。 


 そして、何より大きい変化が。


「見た? お兄。また動いてたよ」


「おお。ハッキリわかったな」


「今日はご機嫌みたい。会える日が待ち遠しいね」


 千佳のお腹にはいま小さな命が宿っている。妊娠8ヶ月にもなるとずいぶんお腹も大きいものだ。

 孫ができたかのように喜ぶ箕輪さんが家事全般をやってくれるため千佳もゆっくり過ごせており、経過も良好らしい。

 「何かと必要になるから」と俺も箕輪さんに家事を教わっているが、一朝一夕には上手くならないものだ。

 そんな様子を眺めているのも、千佳にとっては幸せなことのようだ。


 こんなに早く子どもができるとは思っていなかったので、何とも不思議な気分だ。

 当初俺は「椿との離婚がうまくいくまで子どもは……」と渋っていたが、寝込みを千佳に襲われなし崩し的に……

 結果的にはそう悪くないと俺も思っているが、太一さんはすっかり呆れていた。


「エコー写真とか見てもどっちに似てるかわからないね」


「意外に技術進歩してないもんだよなあ」


「お兄に瓜二つだったらいいな、男の子みたいだし」


「ははっ……千佳に似すぎて美少年だと額月さんが怖いしな」


 その言葉で千佳はクスクスと笑ったが、俺は割とマジで心配してるんだけどなあ。

 あの人の少年に対する執着は相当なものだし……


「怖いと言えば、椿さんは本当に大丈夫かな。今のところ毒を盛られてる気配はないけど」


「アイツは俺が本気で悲しむことはしないよ。頭はおかしいけど、奴なりの美学があるみたいだからな」


「お兄は椿さんのことよくわかってるんだね。少し妬けるかも」


「やめてくれよ……」


 実際、千佳の妊娠を知った椿は複雑な表情をしていたが、少し経てばいつものいやらしいニヤケ面で俺に絡んできたので、奴なりに気持ちを消化したらしい。

 何か悪巧みはしてるんだろうが、いい加減慣れてきたし、千佳の迷惑にならない程度に相手してやろうとは思う。


「しかし『お兄』って呼び方は変わらないんだな」


「もうすぐ『お父』になるからもうこのままでいいかなって。それにウチの兄で父で夫なのは宗介さんだけだから」


「そう……」


 相変わらず千佳の愛はちょっと重いが、一途でいてくれる安心感も感じている。

 それに、椿という最悪の上位互換(下位互換?)がいるため多少のヤンデレはご愛嬌と思えてきた。


「お兄はどんな子に育ってほしいと思う?」


「千佳に似て真面目で一本気な子ならいいなって思うよ」


「お兄に似ても真面目なんじゃない?」


「それもそうか、はは……」


 半ば無意識的に千佳のお腹に手をやると、ポコポコと元気のいい返事がかえってきた。

 まるで、自分も会話に入れてほしいと訴えているようだ。


「しかし千佳、お義父さんと仲良くなかったのに子どもは欲しかったんだな」


「まあ……」


「悪い、嫌な質問だったな」


「ううん。気になるのはわかる。ただウチは父親とは違うし、お兄だってずっと優しいから。あんまり心配はしてない」


「そうか……それならいいんだ」


「むしろ家族仲が良くないからこそ、仲の良い家族が欲しいのかも。ウチの身勝手だけどね」


 そう言って千佳は少し寂しそうに笑った。ずいぶん明るくなった彼女だが、それでも時々笑顔に影が射す。

 その憂鬱を消すことがこれからの俺の使命なのだろう。


「きっかけは身勝手でもいいだろ。この子が幸せに生きてくれれば、親としてはそれで十分じゃないか?」


「そうだね。ありがと」


 俺の首をもたれかけてくる千佳。彼女の頭を撫でてやると、胸の中があったかくなってくる。

 今日は日曜日だから余計にだろう、ゆっくりとした時間に身を任せていると、うとうとしてきた。


 しかしそんな平穏は続かないもので。


「さあ先輩! 次は私とも子どもを作りましょう! 千佳ちゃんと太一さんがそこそこ仲良いように、腹違いのきょうだいというのも悪くないものですよ!」


「お前は空気を読め」


 スパーン! と小気味いい音とともに障子が開かれ、椿が飛び込んできた。

 コイツ、いつの間にか当たり前みたいに加々美家の居住部分にも乗り込んでくるようになったんだよな。


「空気を読んだうえの行動です。先輩が子を持つことの歓びを感じているこのタイミングしかないかと」


「相手がお前だと話は別だ」


「椿さんもお腹さわってく? きっとお兄に似てかわいい男の子だし」


「いいんですか? 触りまくりますよ?」


「じゃあダメ」


「それは残念です」


 などと言いながら椿は千佳の前に跪き、両手で優しくお腹を撫でた。


 この二人の関係性も今では不思議な距離感だ。

 元々同じヤンデレではあるので、歯車が噛み合えば悪くない相性だったのかも。


 時々ヒリついた空気になることもあるが、少なくとも俺の目の前で争うことはほとんどなくなった。

 たぶん俺のいないところで何かしらの取引が行われているのだろうが、それについては深く考えないことにした。


「では先輩、よろしくご検討願いますよ」


「検討したうえで却下するけどいいか?」


「なら許可されるまでしつこく申請しますねえ」


 下卑たな笑みを浮かべて椿は部屋を出ていった。

 後に残されたのは疲れた俺と穏やかな目で微笑む千佳。


「アイツ、いつになったら諦めるんだろうな……」


「たぶん一生諦めないんじゃないかな。ウチも逆の立場なら無理だろうし」


「そうかい……先が思いやられるな」


 大げさにため息をついてみたが、本当はあんまり未来を悲観してはいない。

 千佳と一緒なら、どんな困難も乗り越えられると思っているからだ。

 それに今は椿なんかよりよっぽど大変なイベントが目の前で口を開けて待っているのだ。


「出産、怖くないか?」


「怖くないと言えば嘘だけど……お兄は卵胎生ってわかる?」


「哺乳類みたいに子どもを身のまま出産するやつだっけ? 卵を産むわけじゃなくて」


「マムシが卵胎生で、出産見たことあるんだ。すごく苦しそうだったけど、でも幸せそうだった。だから大丈夫かなって」


 聞いている限り根拠の無い自信に思えたが、だからこそ揺るがないものなのかもしれない。


 千佳は妊娠して以来、元の鋭い目つきがずいぶん柔らかくなった。

 その一点だけでも、実は俺も安心しているのだ。


「でもお兄に一つだけ謝らないといけないことがあるの」


「ん? どうした?」


 千佳は言いにくそうに目を伏せた。色々と不穏な妄想が頭の中で膨らむ。

 まさかお腹の子に問題があったとか? あるいは千佳自身に何かあったとか……


「ウチ、これまでお兄のことだけが大事で、それは変わることは無いと思ってた。でもそれは間違ってたみたい」


「と言うと?」


「お腹の子のことも同じくらい大事だから、お兄に全部を捧げるのは無理かも。ごめんね」


 心底申し訳なさそうにしょげる千佳を見て、俺は思わず吹き出してしまった。


「なんで? なんで笑うの?」


「いや、ごめんごめん。あまりにも可愛かったもんで」


「可愛い? どこが?」


 不思議そうに首をかしげる千佳。聡明な彼女にもわからないことはあるらしい。


 お腹の子が大きくなれば、今の他愛のないやり取りも教えてあげよう。

 君のお母さんはこんなに真っ直ぐで、思いやりのある人なんだって。





【作者あとがき】

 今回でDルート(千佳ルート)は完結です。ここまでお付き合いいただきありがとうございました。


 次回から最終章が始まります。もうすぐお話は終わりですが、最後までお楽しみください。

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