B5―6 ジャーミネイション その6

 麻季ちゃんが「手の目」になってしまった理由。リーちゃんにはそれがわかったというのだろうか。


「はい。推測ですが」


「なら……!」


「しかし残念ながら、わたしの口から言っても意味が無いんです。マキマキさん自身が動かないと」


 リーちゃんの真意が掴めない。麻季ちゃんが「手の目」になった理由がわかっているなら、勿体ぶらず教えてくれればいいのに。

 解決策だってみんなで考えた方が……


 いや、待て。リーちゃんは無意味なことをするタイプじゃないよな。

 だとしたら、理由を伏せる必要があるということか。

 とはいえ手がかりくらいは教えてほしいものだ。


「ノーヒントじゃ麻季ちゃんもわからないんじゃないか? 俺だって理解できてないしさ」


「ヒントは要りませんよ。マキマキさんはとっくに気づいてるでしょう。ただ勇気が出ないだけで」


 麻季ちゃんのいる方を振り返ると、彼女はバツが悪そうに眉をしかめていた。

 まるでイタズラを咎められた子どもみたいな表情だ。

 彼女の目(手)に視線をやると、麻季ちゃんは手のひらをひっくり返し、目玉を隠してしまった。

 わざわざ目玉を見なくてもわかる。彼女は泳いだ視線を見られたくなかったのだろう。


 それにしても、「勇気」か。その言葉でようやく事の真相がわかった。

 妖怪にまでなってしまった因果はよくわからないが、今の麻季ちゃんが抱えている気持ちはわかる。

 そりゃあ隠れたくもなるよな。まっすぐ俺たちの目を見ることはできない、なんて思っているんだろう。

 でもそうやって逃げ隠れた結果が「手の目」なわけだ。


「なあ麻季ちゃん、もういいだろ。意地張るのはもうやめようぜ」


「意地? な、何のことですか? 私は別に……」


「ナガさんはあなたが思っているよりずっとお人好しで、愚直で、とんちきで、優しい人ですよ」


「待ってリーちゃん、あんまり褒めてないだろそれ。君の方こそどうなんだ」


「わたしも同じくらいトンマでヌケサクでアンポンタンですよ。お似合いの二人ですから」


「……だってよ麻季ちゃん。だから、何も心配すんな」


 うずくまる麻季ちゃんに二人で手を差し伸べると、彼女はようやく顔を上げ、そして。




「うっ、うわあぁぁ……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」




 溢れ出る謝罪の言葉と同時に、本来の目のある位置から大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちてきた。

 これで「手の目」の症状が少しは快方に向かってくれればいいが。


 麻季ちゃんが「手の目」になった原因。それは彼女がずっと嘘をつき続けてきたことにある。それも、自分自身に対する嘘偽りだ。


 彼女は、俺たちに謝りたい気持ちがあるのに、それをごまかしてきた。

 その認知不協和が「手の目」という症状になって表れたのだろう。嘘だってイカサマの一種とも言えるしな。


 罪悪感で妖怪になるなんて聞いたことはないが、俺が知らないだけで他にも例はあるのかも。

 椿が戻ってきたら訊いてみるのもいいか……






 30分は経っただろうか。麻季ちゃんはあの後も謝っては泣き、謝っては泣きを繰り返してようやく静かになった。

 まぶたはまだ開けられないようだが、少なくとも手のひらから目玉は消え失せていた。

 目が元の位置に戻るのもおそらく時間の問題だろう。


「落ち着きましたか」


「うん……ご、ごめんなさい、武永さん、莉依ちゃん……」


「もうわかったからいいよ。悪気は無かったんだろ、たぶん」


「はい……ごめんなさい」


 麻季ちゃんが椿に策を授けたのは事実で、その策が一定の効果を示すだろうとは麻季ちゃんもわかっていた。

 ただ、その効果があまりにも効きすぎたのは計算外だったようだ。


 いつもリーちゃんに負け続けている意趣返しに、俺とリーちゃんの仲を少しだけ引っ掻き回してやろうという悪戯心。本気で俺たちの仲を引き裂こうとしていたわけではなかったらしい。

 ただ、椿が思っていた以上に陰湿で、俺は予想以上に石頭で、リーちゃんも想定以上に生真面目な性格だったため、物事が泥沼化してしまった。


 麻季ちゃんは己の責任は重くないと思いつつも、軽率な振る舞いで俺やリーちゃん、果ては椿までも傷つけてしまったことを悔いていたのだ。

 そうした矛盾した気持ちが内々で増幅した結果、奇妙な形で表出した、というわけだ。


「しかし麻季ちゃん、最初から素直に謝ってくれれば良かったのに。そりゃ俺は怒ったろうけど、謝られたら許すしかないからな」


「で、でも……私なんかが、お二人と仲良くしていいのかなって」


 麻季ちゃんの言わんとするところはわかる。

 俺やリーちゃんの性格をよく知っている彼女なら、きっと俺たちが許してくれると頭では理解していただろう。


 しかしそれでは彼女自身の気が済まないのだ。人を傷つけたくせに、のうのうと許してもらおうだなんて、申し訳なくて仕方がない。

 だから悪役を演じ、俺たちを突き放すことで、永遠に許されない存在になりたかったのだろう。

 本当は謝りたかったくせに、その気持ちすら押し殺して、自らの犯した過ちを背負っていく覚悟。


 ……まあ、他人の恋愛にちょっと傷を残したくらいで大げさすぎる気もするが。

 傷ついたり傷つけたりなんて青春の流行り病みたいなもので、「ごめんね」の一言で済むことが多いだろうに。


 俺が思っていた以上に、麻季ちゃんは真摯な性格なのかもしれない。

 というより思い詰めやすい性格なのか? そりゃギャンブルも弱いよな。


「わ、私なんかが、許してもらっていいのかな……」


「許すも何も、そもそもわたしは怒っていないと言ったでしょう。マキマキさんがいなくてもどうせ姐さんとはどこかで衝突する運命でしたから。あの人を相手に無傷で済むわけないですしね」


「俺は怒ってたけど……泣いて謝る人間を追及する趣味はねえよ。あの時傷ついたのは事実だけど、主に椿が悪いとは思ってるしな」


「そう、ですか……」


 麻季ちゃんのまぶたはまだ開かないので目から感情を読み取ることはできないが、彼女が未だに納得できていない様子は伝わってくる。


 でも、きっとそれでいいのだろう。

 後悔して、反省して、煩悶して、改悛する。その繰り返しが人を強くするものだ。

 ナイーブで不器用な麻季ちゃんにも、いい経験になったんじゃないだろうか。


 他人事みたいに言ってみたが、ゴタゴタが起きた遠因には俺やリーちゃんの未熟さもあったろう。

 きっとこれからリーちゃんとは長い付き合いになるから、何かある度にまた乗り越えていかないとな。






「そういや麻季ちゃん、椿がどこに行ったか知らないか? 心配ってわけじゃないんだがどうにも気がかりで」


「あっ、椿ちゃんならもうすぐベトナムへ発つらしいですよ。留学に行くとか」


「はあ!? なんでまた……」


「仏門に帰依するつもりなのでしょうか」


「わ、私も詳しくは聞いてないんですが……妙に前向きな口調でちょっと怖かった記憶はあります」


 まさかベトナムで呪術師になって帰ってくるつもりなのだろうか。

 東南アジアの呪術に詳しい人間なんてそうそういないだろうし、何か仕掛けられたらまた苦戦しそうだ。


 一難去ってまた一難、か。

 今まで通りと言えば今まで通りなんだが……


「不安ですか、ナガさん」


「まあな」


「大丈夫ですよ。おそらく。たぶん。きっと」


「副詞が多すぎる。リーちゃんも不安なのか?」


「ええ、もちろん。でも」


「でも?」


「失う不安は、幸せだからこそ感じるものですよ」


 そう言ったリーちゃんは、晴れやかな顔で笑ったように見えた。とても愛らしく、どこか癒されるような笑顔だ。

 ただしその表情は一瞬で、気づいたときにはいつもの仏頂面に戻っていた。


 ちくしょう、カメラでも構えとけば良かったな。彼女がこんなに可愛く笑うなんて、思ってもみなかったから。


 まあ、気長に付き合っていればまた見られるか。時々でもあの笑顔が見られるなら、俺はどんな困難にも立ち向かっていける。そんな気がしていた。

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