B1―4 モホロビチッチ不連続面 その4

「どうです、ナガさん。ハッピーですか。ハッピーキメちゃってますか」


「やばいクスリやってるみたいな言い方するなよ」


「ギリギリ合法ですしね」


「ギリギリじゃなく完全に合法だと思うが……まあ、気分が良いのは認めるよ」


 イスに深く腰かけてコーヒーを傾ける俺を、リーちゃんはじっと見つめている。

 企みもてらいも無い、純粋な目で。




 そう、リーちゃんは単に俺を気分よくしたかっただけなのだ。




 俺の気に入るような店で、舌に合うコーヒーを用意し、あまつさえデザートまで。

 下調べには苦労しただろう。本当に俺が喜ぶか不安な夜もあったろう。

 それでも彼女なりに精いっぱい計画してくれたのだ。


 それに、おそらくリーちゃん自身もこの店を気に入ってる風に見える。

 表情はやっぱり変わらないが、いつもよりユラユラ揺れて機嫌が良さそうだ。


 同じ場所、同じ時間に同じ価値観を楽しんでくれる人。恋人ではなく友人だったとしても、非常にありがたい存在である。

 こういった点は趣味の偏った椿には真似できないリーちゃんの長所だ。

 一応椿だって犬カフェについてきたこともあるが、嫌々ついてくるのと喜んで付き合ってくれるのではやはり違う。

 後者の振る舞いを自然とできるリーちゃんは、やはり末長く付き合っていきたい人間と思えるわけで。


「お、ナガさんがわたしを慈しむ目で見ている」


「そりゃまあ……ここまで気を遣ってもらえたら悪い気はしないだろ」


「気配りときくらげならお任せください」


「きくらげが欲しいタイミングってめちゃくちゃ限られない?」


「ナムルが食べたい時とか、ぜひお声がけを」


「うん……年一回ぐらいは頼むかもな……」


 こういう、恩着せがましくないところも椿とは違うな。

 リーちゃん自身、照れ隠しでふざけている部分もあろうが、それはそれで健気な気もする。


 なんとなく、むかし心理学の講義で学んだ「恋愛の6類型」の理論を思い出した。


 心理学研究者のリーが唱える説によれば、恋愛にはさまざまな型があるそうだ。

 曰く、恋愛はルダス(遊びの恋愛)、プラグマ(実利的な恋愛)、エロス(情熱的な恋愛)、ストーゲイ(友情のような恋愛)、アガペー(奉仕的な恋愛)、マニア(偏執的な恋愛)の6つの型に分類できるとのこと。


 椿なんかは言うまでもなく「マニア」。嫉妬と執着にまみれた粘着質な愛情だろう。「エロス」の要素も多少あるが、やはり9割方「マニア」型の恋愛と言える。


 一方リーちゃんは椿とは真逆。嫉妬や執着が弱く、それでいて繋がりは決して弱くない「ストーゲイ」型の恋愛と言えそうだ。

 奉仕を行う「アガペー」や実利で繋がる「プラグマ」とも違う、対等だが情で繋がった関係。

 俺自身リーちゃんはいい友人だと思っているし、リーちゃんも俺に対していくばくかの友情を感じていそうだ。


 リーちゃんならきっと、もし俺が他の女の子と結ばれたとしても良き友人でいてくれそうな気がする。

 さすがの彼女でもフラれたら落ち込むだろうし、あまり能天気に捉えるのも失礼かもしれないが。


 ドラマチックな恋愛感情である「エロス」や「マニア」とは違えど、リーちゃんなりに俺に愛情を持ってくれているんだろうな。きっと。


「そういやリーちゃん、飲み物はなに注文したんだっけ?」


「チャイです」


「へえ……少し飲んでもいいか?」


「鼻からですか? 耳からですか?」


「できれば口がいいかな……」


 うん。たぶんこれも愛情なんだろう。たぶん……




 そろそろ店を出る時間かな。伝票を握り席を立とうとすると、なぜかリーちゃんも立ち上がり、そのまま道を塞がれた。


「どうした? 今日は俺がおごるよ」


「そうはいきません。これは対等のデートですから。今までの先輩・後輩という関係性を脱却したいわけです」


「店を探してくれたのはリーちゃんだから、手間に対する謝礼だと思ってくれ。それなら対等だろ?」


「そうですか。ではご厚意に甘えて」


 あっさりリーちゃんは引き下がり、席でストローをもてあそび始めた。


 臨機応変、柔軟に。これもリーちゃんの美点だろう。


「ディナーは焼肉に行きますか」


「次もおごるとは言ってないぞ?」


「では立ち食いうどんで」


「露骨なランクダウンだなオイ」


「ならば間を取って肉うどんで」


「ほう……いい着地点だな」


 それから俺たちは岡本の街を散策し、時にじゃれあい、ふざけあいながら一日を過ごした。


 もし本当にリーちゃんと付き合うことになっても、今日みたいに他愛のない会話を繰り返していそうだな。

 ロマンスはなくとも、別のあったかいやつで俺たちは繋がっている。


 「それはそれで悪くないか」なんて思ってしまったことは、リーちゃんにはまだ内緒にしていたいけど。



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