B1―3 モホロビチッチ不連続面 その3
リーちゃんが椿にこっぴどく笑われた事件から数日経つ。
「絶対に見返してやります」と鼻息荒く語っていた割に、リーちゃんは未だ何の行動も起こしていない。
憤っていたのは当日だけで、もう椿に嘲笑されたことも忘れているのだろうか。
厄介なことに巻き込まれたくないので、リーちゃんも機嫌を直していてくれればいいのだが。
ところで今日は日曜日。俺のバイトもリーちゃんの部活も無いということで、デートの約束を取り付けられた。
そう、「取り付けられた」のだ。基本的に俺に拒否権は無い。
まあ、リーちゃんが飽きるまで付き合ってやることにさほど抵抗は無いのだが……
駅に着くと、コインロッカーを背もたれにして佇むリーちゃんの姿を見つけた。
「おはようございます。今日もナイスですねナガさん。何と言うかこう、小洒落ているというか、シュッとしているというか……ナイスな感じです」
「無理に誉めようとしなくてもいいぞ」
「いえ、事実を述べただけです。わたしの語彙力が
「君かなり語彙力あるよね?」
うーん、いつも通りのリーちゃんである。服装も落ち着いた色のニットとプリーツスカートで、普段のファッションとさほど違いがない。
やっぱり俺の気にしすぎで、リーちゃんは椿に笑われたことも問題にしていないのだろうか。
今日だって、単に俺と遊びたかっただけとか。
「では行きましょう」
「行くって、どこに?」
「着いてからのお楽しみです」
スタスタ歩くリーちゃんを追いかける形で、俺も改札をくぐった。
せめてどの駅に行くかくらいは言ってほしいものだが……
何よりリーちゃんの無表情が今日に限っては不都合だ。
彼女が喜怒哀楽いずれの感情を持っているのか、今の状況だけでは判断がつかない。
そもそもこれはデートなのだろうか。リーちゃんの感情が読めない以上、その点から疑わしい。
もしこの先なにかが起こってリーちゃんと交際することになったとして、こんな調子でやっていけるのだろうか。
そりゃ友だち同士ならコミュニケーションのズレも笑って済ませられるが、恋人となればもっと綿密なやり取りが出てくるわけで……
「どうしましたナガさん、眉間にフォッサマグナが出来てますよ」
「俺の顔面、そこまで日本列島っぽいかな……」
「どちらかと言えば遼東半島かと」
「全然形が思い浮かばねえや……」
電車に揺られながらリーちゃんと冗談を交わしていても、不安や懸念がどうにも頭から離れない。問題をうまくはぐらかされているような気もするし。
そもそも、リーちゃんの俺に対する気持ちはどこまで本気なのだろうか。
最初から最後まで冗談だった、とかなら結構ショックだな……
わずかな時間電車に揺られ、着いたのは岡本駅だった。この駅より山手側はまさしく神戸の高級住宅街といった感じで、お洒落な建物が並んでいる。
カフェにパン屋、雑貨店にセレクトショップ まで、どの建家も可愛らしく、どこかヨーロッパの街にでも流れ着いた気分になる。
こういう雰囲気も嫌いじゃないが、どちらかと言えば村瀬が好みそうな場所だ。
なぜリーちゃんがわざわざ俺をここに連れてきたのだろう。
おしゃれなデートでカップル感を味わいたいから、とか?
迷わずテクテクと進むリーちゃんの横につけながら周りの建物に見とれていると、ふいにリーちゃんが足を止めた。
「今日はここでブランチと洒落こみましょう」
リーちゃんが指差したのはレンガ作りの喫茶店。それなりに年季の入った外観ではあるが、それがかえってレトロさを醸し出していて好感が持てる。
あまりこの岡本の街に来たことはなかったが、こんなに雰囲気のいい店があるとは。
大学から二駅しか離れてないし、もっと早めに来ておけば良かったな。
「さて、入りましょう」
「おっ、ちょっ、待ってくれ」
いつまでも外観に見とれている場合ではない。それに、外がおしゃれなだからといって、内装やコーヒーまで気に入るかは……
店に入った瞬間、目を細めてしまうほどの芳しい焙煎の香りが飛び込んできた。
もうコーヒーを飲む前にわかる。この店は「当たり」だ。
店内も高級感とお手頃感の絶妙なバランスで、アンティークを模した調度品がゆとりを持った間隔で並べられている。壁掛け時計の振り子もやけに心を和ませてくれるようで。
たとえて言うなら、飾り気のない服を着た貴婦人。気取りな衒いはないものの、端々から上品さが香り立つような、そんな雰囲気。
「ナガさん、こういうのお好きでしょう」
「ああ……よく知ってたな、俺がレトロな雰囲気好きって」
「わかりますよ。ナガさんのこと、ちゃんと見てますから」
しばらくして運ばれてきたブレンドコーヒーはコクが強く、酸味と苦味のバランスが丁度いいものだった。コロンビアコーヒーに近い味わいだろうか。
サンドイッチもシンプルな具材ながら丁寧な味わいで、コーヒーの風味を邪魔しない。
万人受けするかはともかく、俺の評価では満点に近いテイストだ。
静かな店内ではジャズっぽいBGMが流れていて、そこもリラックスできるポイントである。
リーちゃんはわずかに目を細め、コーヒーを傾ける俺を眺めていた。
「そんなじっと見られると食べづらいんだが……」
「じゃあチラ見することにしますね。チラチラ」
「それはそれで気が散るんだが……とりあえずリーちゃんも食べたらどうだ。パンケーキ頼んんでるだろ?」
「なんということでしょう。ここにきてサンドイッチが食べたくなってきました」
「えぇ……」
不承不承ながらリーちゃんの方へ皿を押しやると、なぜか皿が押し返された。
もう一度皿を押すとやはり押し返される。なんだ? そういうゲームか?
「わかりませんか。わたしは『ナガさんと』サンドイッチが食べたいんです」
なるほど、『俺と』ね。そうなると、正解はこれかな。
「ふぇーかいれす」
「噛みながらしゃべるのはやめような」
リーちゃんの小さな口元にサンドイッチを運んでやると彼女はすぐにかぶりついてきたのだった。
かじった部分をよく味わうように噛みしめるリーちゃん。
そんなにサンドイッチを食べさせてほしかったのか?
「ではお返しです」
リーちゃんはパンケーキを器用に切り取り、小さな塊を俺の口元まで運んできた。
ここで恥ずかしがって断るのは野暮か。俺も先ほどのリーちゃんを見習い、よく噛んで食べることにした。
ハチミツのほどよい甘さが身に沁み渡る。
「美味しいですか」
「ああ。普段あんまりパンケーキなんて食べないから、こんなに美味いって知らなかったよ」
「そうでしょうそうでしょう」
俺の意見に共感を示しつつ、リーちゃんはプラプラと左右に揺れた。彼女なりにご機嫌なのかもしれない。
レトロな建物に美味しいコーヒー、舌に合うデザートまで出てきて、俺としては結構満足なのだが、リーちゃんにしては意外性が無いというか。普通のデートだよなこれ……
普通? ああ、そうか。
ここにいたって、ようやくリーちゃんの今日の目的がわかった。
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