6 ヤンデレと口説き文句

 椿が俺の部屋に侵入した事件以来、ストーカー行為をされることはなくなった……などという都合の好い展開は起こらず、相変わらず椿は俺につきまとい、時々ちょっかいをかけては逃げを繰り返していた。

 どうにかアイツを黙らせる方法は無いものか色々と試してはみたが、どれも効果が無かった。逃げても無駄、隠れてもダメ、走っても無意味、止まっても失敗。

 こうなったら「引いてダメなら押してみろ」の作戦を採るしかなさそうだ。かなりやりたくない方法ではあるが、しかしやってみる価値はある……と思う。


「先輩、ご機嫌いかがですか?」


 柱の陰からヌゥッと椿が現れる。いつもならここで椿を罵倒し、しばらくやり取りを続けた後ようやく解放されるパターンだ。しかし今日は違う。いつまでもお前の期待通りになると思うなよ。


「おう、椿。今日もかわいいな。朝からお前に会えて嬉しいぜ」


 椿は大きく目を見開き、微動だにせず立ち竦んでいる。まるで彼女の周りだけ時が止まったかのようだ。ここは畳み掛けるべきか。


「どうした、固くなって。お前の綺麗な目、もっと近くで見せてくれよ……」


 我ながら気色悪い台詞を吐きながら一歩前に進むと、椿は警戒心の強い野良猫のようにさっと走り去った。

 予想以上の手応え。これまでの苦労が嘘のようだ。椿を撃退できる方法がようやく見つかったかと思うとその場でガッツポーズしてしまいそうだった。というか、ガッツポーズした。

 やっと俺にも心の平穏が!


「いつも見守ってくれてありがとうな、椿。お前みたいな甲斐甲斐しい女に好かれて、俺は幸せ者だよ」


「今度デートにでも行かないか?どこでも好きなところ連れてってやるよ。お前と一緒なら、どこでも楽しめそうだ」


「椿、たまには逃げずに俺のこと見ててくれよ……」


 あれからというもの、椿を見かける度にキザな台詞をぶつけることにした。効果は覿面で、身悶えするような言葉をかけられると椿は返事すらせず走り去っていく。一方俺には笑顔を作る余裕すら生まれてきていた。

 あの厄介者を簡単に撃退できる。最近では椿を追い払うことに楽しさすら感じてきた。今まで散々煮え湯を飲まされた仕返しだ。「復讐は何も生まない」なんて嘘だな。椿の走り去る背中を見るだけで爽快感が身体を駆け巡る。


 元々椿は目の隈が濃い不健康な顔つきをしていたのだが、近頃ではそれに拍車がかかって、まるで一睡もしていないかのように目が血走っていた。見るからに弱っている。

 俺の意味不明な行動に理解が追い付かず、毎日毎晩悪夢に魘されているのだろう。所詮アイツも人間だ。環境の急激な変化に伴うストレスには勝てない。椿が音を上げるのも時間の問題だろう。

 いつでもどこでもかかってこい。お前のことなんざもう怖くねえんだよ。


 椿撃退法が確立してからしばらく経ったある日、バイトを終えて自宅マンションに着くと玄関に椿がいた。俺は軽く髪を整え、いつもの調子で椿に話しかける。


「おいおい、こんな夜中に一人じゃ危ないだろ?ほら、手繋いでてやるから家まで送るぜ」


 椿は俺の気色悪いセリフを聞くなり、俯いて小刻みに震えだした。おかしい。いつもならこの辺りで逃げ出すはずなのに。


「どうした? 安心して声も出なくなったか?心配すんなよ、俺がついててやる」


「ク……」


「ク?」


「ククク……ふふ……ンアァーハハハハハハハハハハ!!!」


 突如狂ったように椿が笑いだした。あまりの形相に一瞬身じろぎする。なんだ?どうして今日は逃げ出さない?


「つ、椿…」


「嬉しい。嬉しいなあ。先輩がおうちまで送ってくれるなんて。ああ、ああ、もう少し我慢しておきたかったけど、もう無理。これ以上幸せが続くと頭おかしくなっちゃう」


 ひどく嫌な予感がした。


『椿、お前の顔を見てるだけで俺は一日頑張ろうって思えるんだ』


『俺のことだけ見てろよ』


『会いたかったぜ椿……お前に早く会いたいって、朝から心臓がうるさくてな』


 椿のスマホから俺の恥ずかしいセリフが流れてくる。改めて聞くと我ながらキッツいなあ……じゃなくて。


「お前、それ……」


「最初の一回だけはダメだったんですけど、先輩の愛の言葉、ほとんど全部録音できました。まだ色んなの聞きたかったけど、あんまり贅沢は言えませんね。ごちそうさまでした」


「いや、でも、お前……寝不足になるほど弱ってたんじゃ……」


「ああ、心配してくれてるんですね。嬉しいなあ嬉しいなあ。最近は夜遅くまで先輩の声聴いてて、眠れてなかったんですよ。毎日バリエーションが増えるものですから、立体音響まで買っちゃいました」


 恍惚とした表情で椿は語る。逆効果なんてものじゃない。俺は椿に対して、考えうる限り最悪の影響を与えてしまったのではないか。


「私だって人間ですから、24時間先輩を見守るのは難しいんですよね。眠る時間だけはどうしても確保しないと。でもこれからはずっと一緒ですね。離れてても、先輩の声が耳元で……ああ、ああ!」


 ダメだ。完全に目が薬物病者のそれになってる。俺のバカげた策略は、椿を追い払うどころか執着心を煽り立てただけじゃないか。


「さあ先輩。一緒に私のおうちまで帰りましょう? 一緒に」


「誰が行くかバカ! 一人で帰れ! アホ!」


「あら先輩が平常運転に」


 残念そうに椿は首を傾げた。わざとらしい態度が鼻につく。


「さっさとどっか行けよ! ちくしょう!」


『椿、俺にはお前しか見えないんだ』


「お前っ、それはやめろよ」


『髪切ったか?まあお前にはどんな髪型も似合うけどな』


「やめろって言ってんだろうが!」


『なあ、今度ハーブ園にでも行かないか? 大事な話をしたいんだ』


「ああもう!!」


「うふふふふふふふふふふふふ」


 薄気味悪い笑い声とともに椿はスーッと暗がりに消えていった。それでも俺のキモすぎるセリフ集がしばらく聞こえ続け、一人取り残された俺は自己嫌悪のあまり舌を噛みたくなっていた。

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