4 ヤンデレと刑法

 今日の二限は刑法の講義であり、教育学部である俺にとっては畑違いなのだが、これがなかなか面白い。法令の原則論はもちろんのこと、昨今ニュースになっている話題についても毎回言及があるので、何かと勉強になるのだ。


 唯一講義に不満な点があるとすれば、椿も同じ講義を受講しているということだけ。常に俺の斜め後ろあたりの席を陣取り、講義中にも関わらず俺の一挙手一投足をねちっこく観察してくる。不快で仕方がない。


 一度椿の監視を逃れようと思って一番後ろの席に着いたこともあるが、待ってましたと言わんばかりに椿が俺の横に座ってきたので、もう二度と後ろの席には座らないことにした。10分おきに真横から薄笑いの声が聞こえてくるのは下手なホラーより余程恐ろしかった。


 今日の椿は俺から見て左斜め後ろ、席を三つ挟んで二列後方に着席している。俺が少し身体を捻れば視界に入るポジションだ。また嫌なところを突いてきやがる、と溜め息を吐いたところで教授がマイクテストを始めた。


「あー、あー、さて今日の講義だが……ストーカー規制法について取り扱うこととする」


 うん、今日の講義はすごく勉強になりそうだ。


「ストーカー規制法はその名の通り、つきまとい等を規制対象とする法律であり……正式名称は……実在の事件の影響を受けて改正されることが多く……」


 しかし椿はこの講義をどんな心持ちで聞いているのだろう。自分の日頃の行いが触法しまくってることについて、少しくらい反省するとか……まあそれはないか。

 ほとんど首を動かさず、目だけで椿の姿を捉える。ひたすら俯いて真剣にレジュメを見つめている。何やら嫌な予感がする……


「えー、つい先日判決のあった最高裁での事例においては……GPSを使った行動監視はストーカー規制法における『見張り』にはあたらないとして……」


 背筋がゾクリとする。そうか、やはり椿の狙いは、法の穴をついて効率的に俺をストーキングするために

 ……って待てよアイツ寝てない? さっきからピクリとも動かないんだが。え? 何なのアイツ、自分がストーカーだって自覚まったくないの? 完全に他人事だと思ってるじゃん……


「えー、それでは皆さんも、滅多に無いこととは思いますが……もしストーカーに遭った場合、速やかに警察に相談するように。以上、本日の講義は終了とする。出席については最初に配った紙を提出のうえ……」


 なんだ椿のやつ……結局最後まで俯いたままだったし、真面目に講義を受ける気無かったのか? まあいい、今日学んだことを生かしてそのうちアイツを警察に突き出してやる。震えて眠れ。


「ふふ……先輩、お疲れ様です」


 俺が大講義室を抜け、食堂へ向かっていたところ、ヌッ……と後ろから妖怪が現れた。


「何の用だ椿」


「用がないと話しかけちゃダメですか?」


「用があっても話しかけてくるな」


「先輩と一緒にご飯を食べたいなあって」


「話しかけるなって言ったの無視か……何にせよ、今日は友達とメシ食うんだよ。ついてくんな」


「はぁい」


 ススーっと椿は横移動で俺から離れていく。なんだ?今日はやけに引き際が良いような……


「オイコラ椿」


「なんですか? やっぱり私とランチしたいんですか?」


「俺の鞄に入れたGPSを取れ」


「あら……バレました?」


 椿の口角がニタァと吊り上がる。悪戯がバレた子どものように純粋な目と、醜怪に曲がる口元。まともな神経を持った人間のできる表情ではなかった。


 そう、椿は先程の講義で一睡もしていなかったのだ。俺を欺くためだけにわざわざ居眠りのフリをして……当然GPS設置が容易に罰せられないこともしっかり理解していやがる。


「さすが先輩、私のことなんて何でもお見通しなんですね。以心伝心、ふふ……」


 ニヤニヤと笑いながら椿は俺の鞄からボールペン型のGPSを取り出した。どこで調達してきたんだこんなもん……

 「チッ」と舌打ちをして椿から距離を取る。流石にこれ以上追いかけては来ないようだつた。

 去り際、「次はもっとうまくやりますね」と聞こえたようにも思えたが、気のせいということにしておいた。というか、そうしないと最早精神が保てなかった。

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