『そのボタン、押さないで!』

N(えぬ)

好奇心が彼を閉じ込めたのか

 ここは科学者であり天才発明家の間暮まぐれ博士の住む、自宅兼研究所。

街を見下ろす丘の上にあり、丘全体が間暮博士の所有だ。

街の人たちは、この博士の家を間暮屋敷と呼んでいる。屋敷という呼び名にふさわしく、古びた建物で街では珍しい洋館だった。


 ある夜、掛け布団を引っ散らかした飯島博士がベッドで寝息を立てていると、フッと急に襟元に寒さを感じて目が覚めた。


「う、ううん」


 博士が寝ぼけた薄目を開けると、仰向けになった彼を上から覗き込むようにしている何者かの姿が影のようにぼんやりと見えた。


「あ、な、なんだ。誰だぃ……」


 博士には、まだどんな事態が起きているのか、一人暮らしのこの家で、夜中に見知らぬ人間が自分の寝室に入ってきて顔を覗き込んでいるということの緊急性が理解できずにいた。


「先生。起きてくださいよ」


「あぁ?」


 博士は間の抜けた声を上げて本格的に目を覚まそうとした。けれど、自分に起きるよう促す声は、聞き覚えのない男の声だった。部屋は窓から入る薄明かりと、ベッド横にいる男が持っているらしい懐中電灯の明かりが揺れ動いていた。


「先生。先生」


「……先生なんて呼ばれた経験は、あまり記憶に無いな」


「そんなことはどうでもいいんです。とにかく起きてくださいよ、早く」


 飯島博士は、両手で目をこすりながらやっとなんとか目を大きく見開いて、「うっっぷ」と上半身をベッド上に起こし、もじゃもじゃした頭を右手でなでつけて前を見た。頭から足の先まで黒ずくめで、手に懐中電灯とナイフを持った男が立っているのを確認した。


「君の格好からすると、私の見立てではどうも、強盗かな?」


「ええ、まあ、そんなところです」


「そうか……残念だが、うちには君が思うような金は無いんだよ」

博士は、やっと回転しはじめた頭でようやく強盗に答えた。


「あんたが思うような、っていうのは、どういうことだ」


「君は私が、資産家だった親の遺産で生活していて。科学者として、この自宅兼研究所で悠々自適の独り暮らしをしている。だからそれなりの金を持っているに違いない。と、そう思ってこんな夜更けに忍び込んで来たのだろう?」


「うむ。まあそうだな」


「ところが、君。確かに以前は、親の金があったにはあったが……。科学の研究には思いのほか金がかかるんだよ。それでね、あっという間に使い果たしてしまったのだ。もう、月々の生活をまかなえる程度のギリギリのお金しかないのだよ」


「くそぉ。そんな話は聞いてないぞ。俺が聞いた話じゃぁ、金庫に札束が呻ってるって」


「そりゃあ君、情報が古いよ。その話は誰かに聞いたのだろう?3年前か?5年前か?」


「3年くらい前に、悪仲間から……」


「そうだろう。その頃はまだ金庫に金があったなぁ。だがその後に、とある壮大な実験のために大金が必要で、使ってしまったのだ。今じゃあ、金庫の中は、金の代わりに研究成果を記した書類を整理しておく書庫になってしまってるんだ」


 すっかり目覚めた博士は、強盗に、自分の失敗を説明して愚痴るばかりだった。

強盗は人里離れた山奥のこんな場所まで来て、ガセネタを掴んだのかと思い、悔しくなった。


「とにかく、話だけじゃらちがあかねえ。金庫を見せろ。金庫の中を見て、金があるかどうか、俺が判断する」


「そうか。気持ちはわからないでもない。……見せてやるとするか。私が強盗でも、きっと自分の目で確かめなければ信じなかっただろう。話だけでは信じず、自分の目で見て判断する……それが科学者というものだ」


「なにを、ブツブツ言ってる。さっさと金庫へ案内しろ」

 少し不機嫌にいきり立った強盗は博士にナイフの先を振って促した。


「ああ、わかった。だからナイフは振り回さないでくれ」


 博士はそばの椅子に掛けてあったガウンを取って羽織ると、強盗の先に立って寝室を出た。

暗い廊下をまっすぐに突き当たりまで行くと、小ぶりなドアがあった。そのドアは、金属製のがっしりとしたドアだった。


「これが金庫か?」


「いや。これは金庫の前の部屋のドアだ。何かで見たことはないかね?大きな金庫というのは、その金庫の前で、いろいろ準備などがあるから、そういう部屋があるものなのだ。通称金庫部屋だよ。その奥にあるのがほんとに金庫ということだ」


「ふん。なるほどな」


 強盗は納得しながらも、博士が不穏な動きをしないかと用心して、キョロキョロと周りを見回していた。

金庫室のドアは施錠も無く、博士はドアノブを持って簡単に引き開けた。ドアを開けると下への、つまり地下への階段があった。廊下よりさらに冷たい空気が感じられた。


 二人は固い足音とともに冷たい地下室へ降りた。地下室は事務机と椅子が一つある以外はコンクリートむき出しの造りだった。天井に大きな空調設備が付いていた。その部屋の奥の壁が金庫になっていた。


「うっほぅ。さすがでかい金庫だ。こんなのは見たことがネェ」


 強盗は感心した。金庫自体は古そうに見えたが、ドアの高さは優に2m以上はありそうだった。


「この金庫が、空っぽだというのかい?え、先生」


 強盗は、金庫の大きさだけを見て、さっきの落胆を払拭し、博士にすごんで見せた。


「さっきも話したとおりだよ、強盗君。金庫のなりは大きいが、中身は書類倉庫になってしまってるんだ」


「講釈はいいから、さっさと金庫を開けろ!」


「うむ。開けろというか。金のない金庫だから、施錠しても意味が無いのでね……これ、このとおり」


 博士は黒光りする金庫の扉のハンドルに手を掛けて勢いよく引いた。

キュキュッと音がして扉はあっさり開いた。博士は中に入り壁のスイッチで明かりをつけた。

金庫の中には、確かに書類棚があって、分厚い紙束が積み上げられていた。ほかには何か難しいタイトルの書籍などがあった。しかし、どう見ても金も金目のものも見当たらなかった。


「どうかな?わたしが言ったとおりだろぅ。金は無いのだよ……残念だが」


「くそ。ここまで来て、骨折り損か!」


 強盗は悔しがりそして考えた。この先生を脅しつけて金のありかをもっと探すか、それとも逃げるか。

逃げるにしても、このまま逃げるか。

先生に顔は見られていないが……この徒労がしゃくに障る。

腹立ち紛れもあるが、証拠隠滅に博士の命をもらうか?


 強盗はそのとき、金庫横の壁にある、赤いボタンスイッチを見つけた。

そしてそれを見ると、ひらめいた。


「ははぁん、先生。金庫の中に入って、この扉を閉めたら、どうなるのかな?」


「そりゃあ君。閉じ込められる。こんな分厚くて重い扉は押しても引いても開くものじゃないし、室内は見ての通り頑丈なコンクリート造りだ」


「そうだよなぁ。で、この金庫の扉はどうやって鍵を掛けるんだい?扉の表には鍵穴もないしダイヤルキーも無いようだが」


「ああ、それは……」


「これを押すと扉が閉まって鍵がかかるんじゃ無いのかい?」

 強盗はそう言いながら金庫横の壁にある赤い押しボタンをナイフの先で指した。


「かわいそうだが、先生には金庫の中で……」


 金庫の中に立つ博士と外に立つ強盗は、扉の枠を挟んで一瞬正面から目が合った。


「それは、いかん。やめなさい。そのボタンは押しちゃいかん。ヤメ……」


 博士がそう言った所へ強盗はナイフを突き出して、博士を金庫の奥へ退かせると、壁の赤いボタンを勢いよく押した。

金庫の扉がプシュ~っと音を立ててバァアンと閉じた。


「やっぱりなぁ……。先生、可哀相だが金庫の中で死んでくれ」そう言って強盗はニヤリとした。


 しかし強盗の後ろでは、この地下へ降りる階段の前の扉もバタンと閉まってしまった。

地下への扉が閉まる音を聞いて振り返った強盗は泡を食った。


「なんだこりゃ」


 強盗が階段を駆け上がり地下扉を開けようと叩いたり蹴ったり右往左往していると、やがて天井の通風口から何やらガスが噴き出して来た。


「なんだ。どうしたんだ。助けてくれよ先生、先生!」


 今度は、強盗は金庫の中に閉じ込めた博士に助けを求めて金庫のハンドルをガタガタとひねったりした。

けれど無情にも扉はびくともしなかった。


 金庫の中にはモニターとスピーカーがあった。

金庫の扉にすがりもがいてうちに、通風口から噴出した催眠ガスを吸い込んで強盗が力なく倒れる様子が映し出されている。

博士はそれをほくそ笑みながら見物していた。


「強盗君。君が押した赤いボタンの上には『絶対に押すな』と注意書きがあったろう?君のような人間は、『押すな』と言われると押してしまうものなのだ。赤いスイッチを押して部屋に閉じ込められたのは、私じゃなくて君のほうだったというわけさ」


 やがて強盗がすっかり眠りについてピクリとも動かなくなったのを確認して、博士は考えた。


「うん。この『絶対に押すな』ボタンの仕掛けで防犯装置を開発して売れば、少しは儲かるかもしれないぞ!」




おわり

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