第20狐 「真夏の恋模様」 その5

 木興きこ様が蛇之吉じゃのきちさんとお酒を飲まれ、帰れなくなった私達。

 これは困ったと思いましたが、よく考えてみたら、帰れなくて困るのは航太殿だけでした……。航太殿が泊まる事を家にご連絡されて終了です。


 木興様が考えなしにお酒を飲まれたのかと思っていたら、実は蛇之吉さんは、この海の家と旅館を経営されていたのです。

 それを聞いて、私はピンと来ました。

 木興様は、美狐様が海水浴に行くと言い出されてから、最初からこの場所に来るつもりだったのです。

 昔戦った旧友とも言える蛇之吉さんの住むこの場所に、蛇蛇美達を連れて行けば、結果的に一番安全だと分かっていたのです。

 木興様らしい差配さはいでございます。


 そして、日帰り海水浴は、一泊旅行になってしまいました……。


 ――――


 蛇之吉さんの旅館は、少し山に登った高台にございました。

 古風な外見とは裏腹に、館内の移動中に庭園を見られる朱塗りの架け橋があったりと、とても風流な作りの旅館です。

 大きな宴会場があり、広い露天の温泉や、そこから歩いて行ける美しい散策路もございました。

 蛇之吉さんの旅館は、敵である遠呂智族の者ながら、何とも素敵な旅館でございます。

 

 割振られた部屋に荷物を置き、浴衣ゆかたに着替えてから、広い宴会場で楽しくお食事を頂きました。

 海の幸、山の幸がふんだんに振舞われ、皆大満足でございます。

 食後も宴会場に残り、木興様と蛇之吉さんは陽子ちゃんのお酌でお酒を楽しみ、私達はデザートを食べながら、グループに分かれて、話に花を咲かせたり、遊びの罰ゲームでじゃれたりしながら過ごしています。


 ふと振り向くと、大きく開かれた窓からは、今日遊んだ海辺が一望でき、昇ってきた月が海に反射して、ゆらゆらと揺れていました。


「美狐様!」


「何じゃ?」


「今日は満月でございます! 水浴みあみを……」


「分かっておる。ちゃんと木興爺に聞いて、水浴のできる場所は聞いておる」


「左様でございますか。されど、どの様なお姿で……」


「分かっておる。変化したままで大丈夫じゃ」


 そう言いながら、美狐様はとある方向を寂し気に見られておいででした。

 美狐様の視線の先では、紅様が航太殿をたわむれに捕まえようとしております。

 でも、問題はそちらではありません。

 航太殿は紅様に捕まらぬように、紅様との間に笑いながら女性を挟んでおいででした。

 航太殿がふざけながら、抱き付く様に紅様との間に挟んでいる女性。

 そして、その女性も避ける事無く笑顔で抱き付かれております。

 それどころか、紅様から遠ざける為に、時々手を握ったりして、笑顔で見つめ合ったりしているのです……。

 その和風で艶やかな美しさを湛えている女性とは……静様でございました。


 海辺で静様の艶やかなお姿を見てしまった航太殿は、それから静様にご執着のご様子。

 一方の静様も、自分がどの様な姿を航太殿に見せてしまったのかが分かってから、航太殿との距離感に変化が……。

 まさかと思う気持ちと、年頃の男女の恋心など、一瞬で燃え上がってしまう可能性を秘めている事も否めません。

 美狐様は楽しそうに見つめ合う二人を見て、泣き出しそうな顔をされたまま、宴会場から出て行かれました。

 恐らく水浴にいかれるのでしょう……。


 満月に行う水浴みあみは、古来より我々変化へんげ族の魂を浄化し、絶大な力を与えると言われているのです。

 今日は丁度、その満月の日でございました。


 ――――


 白妙しろたえの如き素足が水面みなもくぐると、月影が波紋に揺れる。

 湖水で翡翠ひすい髪状かんざしを濡らしながら、真綿まわたの如きころもまといし乙女は、りんとした面差まなざしを天満月あまみつきへと向けた。

 たおやかに揺れる睫毛まつげの影が差す蛋白石オパールの如きその瞳には、玉の様な涙をたたえている。

 

「航太殿……」


 見目麗みめうるわしき乙女が虚空へと瞳を向け言葉をつむいだ。


 その刹那、水面を激しく乱す波紋が幾重にも広がる。


「美狐様! こんな所で何をやってる?」


「紅! 煩いわ! 人が天満月あまみつき水浴みあみを行っているというのに……。美しい描写が台無しじゃ!」


「そっかそっか、今日は満月だったね! あたしも浴びよっと!」


「お主は真っ裸では無いか! 何か衣を着て来ぬか!」


「美狐様、何を言っておる? ここは露天風呂から続いている散策路の湖じゃ。真っ裸で十分じゃろう!」


「勝手にせい……」


「おー、月が綺麗じゃなぁ!」


「ふふ。そうじゃのう」


「それはそうと、美狐様」


「何じゃ」


「あの……静殿の事じゃが」


「……聞きとう無い。分かっておる」


「そうか……」


 ――――


 美狐様が水浴と入浴から戻られ、私と咲ちゃんが部屋でゆっくりと話している時でした。

 開いたドアの隙間を、何か白いモフモフした物が通り過ぎたのです。


 目の錯覚かと思いましたが、私はふと何が通ったのか考え、慌てて部屋から駆け出しました……。




 今宵のお話しは、ひとまずここまでに致しとうございます。

 今日も見目麗しき、おひい様でございました。

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