第35話 闇の契約




 ***



「数々のご無礼をお許しください。魔物様」

「命ばかりはお助けを……」


 ずぶ濡れの村人達が横並びになって平伏する。

 彼らは全身がずぶ濡れなのと魔物への恐怖心とでぶるぶる震えていた。


 彼らに魔物と恐れられているアルムは、ベンチに座ってむすっと頬をふくらませていた。

 攻撃してこなくなったのはいいが、村人達はまだ何か勘違いをしている。


「命を助けていただければ魔物様に忠誠を誓います!」

「なんなりとお命じください!」


 己の保身のためなら魔物にも魂を売る。そんな人間の愚かしさを垣間見せる村人達にかしずかれても困る。アルムは膝に乗せたエルリーの頭を撫でながら、平伏する村人達を流し見た。


「あー……命令とかじゃなく、ちょっと聞きたいことが。ジューゼ伯爵家の場所を教えてほしいんですけど……」

「なんですと!?」


 村人達が青ざめて悲鳴をあげた。


「領主様の館を襲うつもりで!?」

「それだけは勘弁してください!」

「いや、違……」


 魔物が領主を狙っていると解釈されてしまい、アルムは頭を抱えた。


「そうだ! 我が村の特産品を献上いたします!」

「おお! それがいい!」


 供物を捧げる方向に盛り上がり出した村人達の騒ぎに、エルリーがびくっとする。

 ここで野菜だの果物だのを積み上げられては、本当に邪悪な魔物が奉られている光景ができあがってしまう。アルムは村人達を止めようと口を開いた。


「あの、私は何ももらうつもりは……」

「我が村の一番の売れ筋商品! 大沼の水鳥の羽根を使用した最高級羽毛枕です!」


 言いかけた言葉を遮った村人の台詞に、アルムはぴたりと止まった。


「枕……」


 アルムの脳裏に、伯爵の館で味わったやわらかい感触が蘇る。


 枕とは、快適な睡眠を得るために人類が持てる英知を結集して生み出した宝。

 それは夜の間、暗闇の中で人の頭を守る優しい盾である。

 眠りという、もっとも無防備な時間に健気に頭部を守り続けてくれるもの、それこそが――枕。



「ど、どうでしょう、魔物様……」

「や、やはり供物は財宝とかでなければ……それともまさか、生け贄を寄越せと……?」


 村人達がおそるおそるお伺いを立ててくる。

 アルムは神妙な顔つきで目を閉じた。村人達はアルムを魔物と勘違いしている。そんな誤解はさっさと解いて、伯爵家の場所を教えてもらうべきだ。

 目を開けたアルムは、きりっとした顔つきで言った。


「枕は二つください」

「もちろんです! 十個でも二十個でも!」


 アルムもまた、欲望に流される愚かな人間の一人にすぎなかった。


 こうして闇の主従契約が結ばれ、村人達はほっと胸を撫で下ろした。


 その時だった。


 風を切って飛んできた黒い矢が、アルムの結界に突き刺さって消滅した。


「なに?」


 矢が飛んできた方向に目をやったアルムが見たのは、瘴気で作られた檻に囚われるマリスの姿だった。



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