第27話 闇からの使者




 ***



 瘴気に足止めされたりして、予定よりも到着が遅れてしまった。ヨハネス一行がジューゼ伯爵の館の前に馬車を停めた時にはすっかり日が暮れていた。


(ようやくアルムに会える! まずはウニ化の対策だ!)


 馬車を降りて館の前に立ったヨハネスはさっとオスカーの背中に隠れた。


「うわっ。何してるんですか?」


 突然の奇行に、オスカーがどん引きする。


「最初だけは俺は顔を隠して入らなければならない。顔を見せただけでウニられる危険があるからな」

「ウニられる……とは?」


 心底不気味そうに立ちすくむオスカーの背中を押して促そうとしたその時、数頭の馬が駆けてくる音が響いた。


「お? ヨハネスではないか?」


 先頭の馬に乗っていたガードナーが目を丸くした。


「ガードナー!」

「何故こんなところにいるのだ? 大神殿はどうした?」

「どうしたもこうしたもあるか! お前がアルムをさらったりするからっ……」


 馬を降りたガードナーに食ってかかるヨハネスの横を、気を失っている中年男を運ぶ兵士達が通り抜けた。


「ジューゼ伯爵!?」


 オスカーのあげた声を聞いて、ヨハネスは振り返った。館の中からは「旦那様!?」と悲鳴のような声が聞こえてきた。


 気絶している領主。そして、ヨハネスの前に立つ筋肉男。


「てめぇ! ジューゼ伯爵に何しやがった!? 腕立て百回を強要したのか!? それとも腹筋百回か!? 背筋百回か!? 正直に言え!」

「確かに伯爵は筋トレさせたくなる体型だが、俺は何もしていない」

「嘘つけ! そうか、わかったぞ! 逆立ちで領地一周とか命令しやがったな!」


 伯爵に続いて老女が運ばれてきたのを目にして、ヨハネスは「あんな年寄りにまで筋トレを……っ」と呻いた。


「俺がきたからにはこれ以上王家の評判を落とさせはしないぞ! アルムをムキムキにもさせない! アルムはどこだ!?」

「アルムならおそらく幼女と一緒に空の彼方に吹っ飛んでいったようだ」

「どういうことだ!?」


 どうしてそうなったかまったく理解できないガードナーの説明に、ヨハネスは突っ込みを入れた。


「あの、殿下がた」


 そのヨハネスの肩をオスカーが叩き、困惑した顔で尋ねてきた。


「聖女アルムがこの地にきているということでしょうか?」

「あ……」


 オスカーにまっすぐ見据えられ、ヨハネスはばつが悪くなって思わず目をそらした。

 ヨハネスがジューゼ領に寄りたかったのはここにアルムがいると知っていたからで、オスカーの訴えを利用する形でここまできてしまったことになる。真剣に領地の平和を想っているオスカーに対して、今さらながらに恥じ入る気持ちになった。


「ん? そなたは……」

「失礼いたしました、第二王子殿下。私はオスカー・キラノード。キラノード小神殿の神官長です」

「おお。キラノード伯爵家の者か。何故ここに?」


 ガードナーの問いにオスカーは一度口を開きかけたが、気が変わったのか答えることはせずに少しの間を置いてこう言った。


「とりあえず、家に入らせてもらいましょう。入り口の前で突っ立っているわけにもいきません」

「あ、ああ。そうだな」


 ヨハネスは我に返って咳払いをした。どこか部屋を貸してもらって、オスカーにはアルムがここにいることを、ガードナーにはオスカーの目的を、説明しなければならない。自分ももう少しガードナーを問い詰めたい。

 ヨハネスとガードナー、オスカーの三人は開いたままの扉をくぐって館の中に入ろうとした。

 しかし、その寸前に背後から聞こえた羽音に、三人は同時に振り向いた。


 夜の闇よりもなお黒い塊が、宙にわだかまっていた。

 それは鳥の形をしていた。


「……下がれ。これは瘴気だ」


 ヨハネスは懐に手を入れてガードナーとオスカーの前に出る、

 鳥の姿をした瘴気の塊は、空中にゆらゆら浮かびながら言葉を発した。


『……ジュー……ゼ伯爵に伝エ……ロ』

「喋った!?」


 オスカーが驚いて後ずさった。


「これは使い魔だ。闇の魔導師が瘴気で鳥の形を作って飛ばしている」

『ソの……通り、ダ……』



 ヨハネスの説明に、鳥が同意を返す。どうやら、使い魔に伝言を載せて飛ばしたのではなく、こちらと会話が可能なようだ。


「闇の魔力はこんなことができるのか……」


 オスカーがごくりと息を飲む音が聞こえた。


『伯爵に、伝えろ、娘は預かった……闇の聖女と引き換えだ』

「闇の聖女、だあ?」


 ヨハネスは怪訝に顔を歪めた。


「いったい、なんのこと……」

『ちょっと! 誰と喋っているのよ! 説明しなさいよね! そもそもアンタは誰なのよ!!』


 なんのことだ、と問おうとしたヨハネスの言葉を遮って、鳥が甲高い声でわめきだした。一番近くにいたヨハネスは思わず耳を塞いだ。


『ちょっ……やめろ! じっとしてろ!』

『はあーっ!? 一人でぶつぶつ言ってないで、とっとと私をさらった理由を説明しなさいよ!』

『やめっ……揺らすな! 繊細な術の最中なんだぞ!』

『知らないわよ! そんなこと!』


 鳥の形が揺らぐ。術者が集中できていないのだ。


『このっ! 大人しくしろ、じゃじゃ馬!』

『なんですってぇーっ!?』

『うわっ、やめろ馬鹿! 駄目だってっ……』


 鳥の形が崩れて、瘴気が空気に溶けるように消滅した。

 ヨハネスは無言で何もなくなった空中をみつめた。


「……なんだったんだ?」

「あれはマリスだ。うむ。無事なようだな」


 ガードナーはうんうんと頷いているが、オスカーはぽかんと口を開けて目を瞬いていた。



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