第3話 元聖女はスローライフ満喫中




「ふわあああ~、よく寝た!」


 一年ぶりの惰眠をむさぼったアルムは、ベンチに寝転がったまま「んーっ」と伸びをした。

 神殿を飛び出したのは朝だったから、今は午後三時くらいだろうか。


「喉が渇いたな~」


 アルムはベンチの下の地面にそっと片手を添えた。

 すると、アルムの手が触れた荒れた地面が変化した。乾いた土が水気を含んだ黒い土に変わり、緑の草がふわふわと伸びてくる。


「お茶の木お茶の木」


 アルムが念じると、地面からお茶の木がにょきにょきと生えてくる。


 原理はよくわからないが、三ヶ月前から出来るようになったよくわからない特技である。


「頭の中で思い浮かべた植物ならなんでも生やせるから便利だよね~」


 いつものようにヨハネスに罵倒されて庭の隅で「大根になりたい……」と呟いていたら、いきなり足下の地面から大根が生えてきたのでびっくりしたが、慣れれば非常に便利な能力だ。

 大根になれば土に埋まっているだけで生きていけるのに、とこれ以上ないほど後ろ向きなことを考えた切っ掛けで得た能力とは思えないほど希望に溢れた能力だ。


「収穫収穫」


 お茶の葉が勝手にはらはら舞い上がる。


「発酵発酵」


 お茶の葉がからからに乾いて茶色に変わる。


「水水」


 宙に手をかざすと、空中に水の塊が生まれる。


「沸騰沸騰」


 水の塊がこぽこぽと沸く。


「ポットとカップ」


 マジックバッグから勝手にポットとカップが飛び出してくる。


 お茶の葉がポットに飛び込み、続いてお湯がひとりでにポットに入る。

 宙に浮かんだポットからカップにお茶が注がれる。


「ふい~」


 カップを手に持ち、お茶を飲んで息を吐く。


「便利な力だなぁ……」


 あまりに疲れすぎていて指一本も動かしたくなくて床に倒れている時に身につけた能力である。


「はぁ~、こんなにのんびり出来たのは一年ぶり……」


 アルムは空を見上げた。


 ここは王都の端の貧民地区の傍の公園。貴族は近寄らないし、平民だって足を踏み入れない場所だ。

 だけど、アルムは昔一度だけここに来て、このベンチに座っていたことがあった。

 自分には居場所がない。実家には帰れないし、神殿にも帰る気はない。

 行く場所として思い浮かんだのは、このベンチだけだった。


「誰も来ない公園……ここなら、私が居てもいいよね?」


 アルムはお茶を口に含んで、ふっと微笑んだ。



***



 アルムがいない。


 神殿内の部屋には備え付けの家具と聖典等の支給品がそっくりそのまま残されていた。

 経理部によると今までの給料をすべて受け取ってバッグ一つで出て行ったらしい。


 その事実を突きつけられて初めて、ヨハネスは本当にアルムが出て行ったのだと思い知った。


「今すぐ連れ戻せっ!!」

「何故ですか?」


 聖騎士に命じても、誰もがヨハネスを「雨上がりに地面に落ちている泥だらけの紙の塊みたいな謎のゴミ」を見るような目で見るばかりでアルムを探そうとしない。


「何故って……聖女だぞ! 神殿で暮らす義務がある!」

「おや? この国の王子殿下であり神官でもある御方から正式に「辞めちまえ」と許可されて聖女はそのお言葉に従っただけですよ?」


 へっ、と馬鹿にするように嘲笑されて、ヨハネスは頭に血が昇った。


「あんなものはその場の勢いに決まっているだろう!! だいたい、なんで誰もアルムが出て行くのを止めなかったんだ!?」


 嘲笑が消え、聖騎士は氷のような目でヨハネスを睨んだ。


「我々は、地獄からやっとのことで抜け出せる聖女を、喜んで見送りましたよ。本音を言わせてもらえば、もっと早くに逃げ出してほしかったくらいです」

「なっ……」

「そのくらいのことを、あなたはあの子にしていたでしょう」


 ヨハネスは言葉を失った。

 冷静になって、客観的に自分の行動を指摘されると、確かに思い当たることもある。


「だが、アルムは聖女で……」

「聖女聖女って、あの子以外の聖女には何も命じなかったではないですか。あの子に何の後ろ盾もないから、使い潰して構わないと思ったんですか? 聖女だから、何をしてもいいと思いましたか?」


 ヨハネスは聖騎士の静かな詰問に、答えることが出来なかった。


(何故だ……アルムが出て行くなんて……俺から離れるだなんて……)


 腐敗を浄化して神殿をあるべき形に戻した暁には、アルムには「大聖女」の称号と、望みうるすべての褒美を与えるつもりだった。

 アルムは男爵令嬢だが、国に大きな貢献をした聖女ならば王族にだって嫁ぐことが出来る。

 だから、その日まで、隣りで一緒に戦ってくれるものとばかり思っていたのに。


「アルム……」


 ヨハネスは肩を落とし、力なく呟いた。



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