【書籍化】廃公園のホームレス聖女

荒瀬ヤヒロ

第1部 最強聖女の快適公園生活

第1話 元聖女、ホームレスになる。




 眠気を感じなくなったのはいつからだろう。

 体は睡眠を欲している。今、目を閉じたら一瞬で意識を失えるだろう。

 それなのに、「眠い」という感覚はわからなくなってしまっている。

 食欲もずっとない。欲求という物を感じなくなってしまったみたいだ。

 ある意味、聖女にふさわしいのかもしれない。聖女とは、「無欲」な存在だと言われているのだから。


「護符の一枚もまともに作れねぇのか! 手ぇ抜いてんじゃねぇぞ!」


 それにしても、この神官は本当に口が悪い。よく神官になれたな。まあ、アルム以外の者に乱暴な口を聞いているのを見たことがないから、アルムにしかこんな言い方はしないのだろうな。と思う。


 アルムは俯いて唇を噛んで涙を堪えていた。泣いてはいけない。泣いたらまた「聖女がこれくらいで心を乱すなんて~」と叱責されるのだ。

 アルム以外の聖女達は笑ったり怒ったり泣いたり自由に感情表現しているのに、アルムが顔をしかめただけで「聖女らしくない」と言われてしまう。


 一年間、アルムは頑張った。頑張ってきた。眠りたいのも休みたいのも我慢して耐えてきた。

 それでも、少しも努力を認めてもらえない。

 手を抜いたことなんてないのに、ほんの僅かにでもこの神官の意に染まないことがあると、アルムだけが叱責されるのだ。聖女は他にもいるのに、アルムだけが。


(私のことがよっぽど嫌いなんだ……)


 そうとしか思えない。この神官はアルムのことが嫌いで、神殿から追い出したいのだ。

 負けるもんかという思いと、帰る場所がないという事情から、アルムはずっと耐えてきた。

 だけど、この日、ギリギリに張りつめていた細い糸が、ぷっつりと切れた。


「こんな役立たずなら、聖女なんか辞めちまえっ!!」

「辞めますっ!!!」


 神殿の大広間に、一人の少女の渾身の叫びが響き渡った。


 叫ぶと同時に、アルムはくるりと踵を返し早足で大広間を出た。

 その足でまっすぐに神殿内部の経理部を訪れると、これまで一切使わずに貯まっていた聖女の給料を全額支給してもらい、次に神殿内に与えられた自分の部屋へ行きマジックバッグだけひっつかんで足を止めることなく神殿から出た。

 実に一年ぶりに一人で街へ出たアルムは迷いのない足取りで王都の端、貧民地区の近くにある今は使われていない小さな公園を訪れた。そして立て看板の「売り地」という文字を確認すると、その下に書かれた連絡先へマジックバッグから取り出した通信魔導具で連絡し、ベンチが一つぽつんとあるだけの小さな小さな廃公園の土地を買い取った。


「ふぅ……」


 慌てて飛んできた地主に代金を払い、とりあえずやるべきことをやり遂げたアルムはふらふらとベンチへ近寄るとどさっと腰を下ろした。そうしてベンチの周りに結界を張ると、空を見上げて叫んだ。


「ばっきゃろーっ! 二度と戻るかあんなところ!! ヨハネス・シャステルの陰険クソ野郎!!」


 こうして、アルム・ダンリークは聖シャステル王国の「聖女」という仕事を辞職したのである。



***



「陰険クソ野郎~、腐れ神官~、老後は河童ハゲ~」


 軽く呪詛りながら、アルムはベンチに横になった。行儀が悪いが知ったことか。もう聖女じゃないのだ。


「ふあ~、少し眠ろっかな……」


 十五歳の少女が公園のベンチで寝るなど普通なら危険だが、ベンチの周りに結界を張ったので誰もアルムに触れることは出来ない。


「もう、戻らない……誰にも、会いたくない……」


 アルムには帰る場所がない。

 アルムの実家であるダンリーク家は男爵家だ。だが、父はアルムが十歳の時に亡くなり、歳の離れた異母兄が爵位を継いでいる。

 父と母は不仲でアルムは二人が会話しているのさえ見たことがなかった。

 爵位を継いだ異母兄は母とアルムを追い出したが、母はアルムを捨てて一人で商会の主と再婚してしまった。

 しかたがなく、異母兄はアルムを引き取った。アルムには貴族の子女として聖女認定を受ける義務があったからだ。


 この聖シャステル王国の初代国王は聖女とともに魔王を倒し、聖女を妃に迎えたという。

 そして、聖女の血は子孫の婚姻を通してこの国の貴族に溶け込んでいった。

 聖女の血を引く者の中に聖女の能力を持つ者が生まれる可能性が高いため、貴族の家に生まれた娘は十三歳で「聖女認定の儀」を行うことが決められている。この儀で「聖女の適性あり」と認定されると、神殿に住んで聖女として働くのだ。


 異母兄はアルムに聖女認定の儀を受けさせた後は放り出すつもりだったと思う。

 だから、聖女の資格を認められて神殿で暮らせるようになった時にはアルムはほっとしたのだ。

 他の聖女は伯爵家以上の高位貴族ばかりだったので、男爵家のアルムは孤立し随分嫌がらせもされたものだ。

 でも、最初の一年間は平和だった。今にして思えば。

 アルムの地獄が始まったのは、聖女として働いて一年経った頃、神殿に新たな神官が就任した時からだ。


 ヨハネス・シャステルは、この聖シャステル王国の第七王子であり、若干十五歳で神官の位についた優秀な若者だった。品行方正で物静か、ミルクティのような優しく上品な色の髪と瞳を持つ美少年で、やや愛想がないことを除けば非の打ち所のない存在だ。


 だが、この少年はアルムにのみ非常に辛く当たった。

 神殿にはアルムの他にも聖女がいるのに、呼びつけるのはいつもアルムで、毎日休みなく仕事を押しつけてきた。


 それは通常の聖女に仕事に加え、他の聖女と分担してすべき仕事もアルム一人がこなすようになり、さらには本来は聖女の仕事ではない書類仕事まで回されるという理不尽なものだった。


 文字通り朝から晩まで、アルムには心休まる暇がなく、過労と睡眠不足により食欲不振と貧血で何度神殿の廊下に倒れたことか。

 もういっそあの男はアルムを仕留めるために派遣されてきた暗殺者だと思った方が納得できる。


「まあ、もう二度と会わなくていいし。つーか、二度と会いたくないし」


 さっさと記憶の中から消してしまおう。嫌な記憶は消すに限る。

 アルムはそう思って、久々に夜中に起こされる心配のない安らかな眠りに入っていった。



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