第4話 伝説の聖女の力に目覚めた妹に姉から手紙が届きました

 真っ白い王宮の回廊の真ん中を、私は何とか音を立てずに歩く。

 私はエルミーナ。

 このハイデミット王国で聖女の力に目覚めて、王太子の婚約者になった女。


 全てが白く清められた王宮で、最も白く清らかなのはこの私。

 絹と金糸で仕立てたドレスを纏って、桃色の髪を水晶のティアラで飾って。

 私は、左右に侍女と神官を侍らせ、回廊をしずしずと歩み進んでいく。


 そうすると、誰もが私に注目する。

 騎士が、書類を持った文官が、宮女が、私に気づいて視線を注ぐ。


 王宮にいる誰もが、私から目を離さずにいられない。

 その事実に、私はひそやかな快感を得ている。

 自分こそがハイデミットの主役なのだという実感、何とも心地よい。


 …………。



 ウソよォォォォォォォォォォォォ――――ッ!!!!



 確かに気持ちいいわよ、気持ちいいけど、同じくらい気持ち悪いのよー!

 だって、私が回廊を歩いてると、みんなヒソヒソ話してるのよ。


 ああ、またあの女だ、とか。

 運がいいだけで、実力もないクセに殿下の婚約者になれた、とか。


 メチャクチャ私の陰口叩いてるじゃない!

 せめて本人の聞こえないところでやりなさいよ、お願いだから!


 もう、歩いてて人が見えただけで、おなか痛くなってくる。

 でもおなか痛いって言っても、神官が癒しの魔法使ってすぐ治しちゃうの。

 だからお休みできないの。仮病も使えないの。あんまりよォォォォ!


「聖女様、歩き方が乱れております。お気を付けください」


 内心で私がムキャーしてると、右側にいる侍女の人から注意された。

 私は慌てて正しい歩き方を思い出し、その通りに足を動かして歩き方を整える。


 うぶぶ、おなか痛い。これはこれでおなか痛くなるぅ。

 聖女は神聖な存在であり国の象徴なのだから、俗なところは見せてはならんぞ。

 なんて、陛下に言われて、私には常に侍女と神官様がつくようになった。


 もう、それが窮屈で窮屈で……。

 いつでもどこでも「正しい作法」を求められるの。


 え、そのくらい、貴族なら当たり前?

 その貴族のお父様が「いやぁ、これはヒクね……」って顔色悪くするレベルよ!


 歩き方から、食事のしかたから、果てはトイレの行き方まで!

 そうよ、正しい作法ができてるかどうか見るために、侍女もトイレに同伴よ!

 何で用の足し方についてまであれこれ指導受けなきゃいけないの!?


 ああ、もう、息苦しいったらないわ。

 どこに行っても、何をしてても、常に誰かに監視されてる生活。辛ひ……。

 ううう、ベッドの上でぬくぬくゴロゴロしてたいよぅ……。


「やぁ、エリィ」


 と、宮中で私に声をかけてくる人がいた。

 軽く手を挙げて私に優しく微笑みかけるその金髪の男性は、王太子殿下だ。

 次期国王であり、そして私の婚約者でもある、爽やかイケメンの彼。


「殿下、ご機嫌麗しゅう」


 私は頭の中で正しい言葉遣いを必死に思い出しながら、何とか挨拶をする。


「こんなところで聖女様に会えるなんて、今日は幸運だな」


 彼は、朗らかに笑ってそう言う。

 その見た目と物腰は、もう、完の璧な貴公子で、ため息が出ちゃいそう。

 全身にキラキラオーラを纏っている文字通りの王子様。だが夜はベイビーだ。


 普通の女なら、殿下を前にして思うのは「カッコイイ、好き」だろう。

 しかし、今の私が彼に思うのは「今日、オムツ何枚必要かな……」である。

 ったくよー、毎晩毎晩、飽きもせずに夜泣きとおねしょ繰り返しやがってッ!


「どうしたんだい、レディ。浮かない顔をしているね」


 怪訝そうに眉をひそめ、殿下が私に近寄ってくる。

 一体、誰のせいだと。

 これでも私、必死に顔に出さないように頑張ってるんだからね!


「殿下、聖女様は次の予定がございますので……」


 殿下がさらに何かを言おうとしたところで、神官がやんわりたしなめる。

 それに殿下は「おっと、すまない」と言って私から身を引いた。


「それじゃあ、エリィ。聖女としての務め、頑張ってくれ」


 そう言って、彼は回廊を歩いていく。

 きっと、その言葉に偽りはない。彼は本気で私を応援してくれている。

 彼は情に厚く、優しい性格をしている。本当に頼れる人だ。


 ……夜にギャン泣きさえしなければなぁ。


 本当に、本ッ当に、そこさえなければ非の打ち所がない最高優良物件なのに!

 たった一つの傷が他の美点を丸ごと台無しにしちゃっててさー、もー!


 ――お母様、大丈夫かな。


 激昂ついでに、私はそれを思い出してしまう。

 バブバブバァバとかいう、魂まで凍てつきそうなナニカにされそうなお母様。


 私が聖女に目覚めて殿下の婚約者になれたことを一番喜んでくれてたのに。

 それがきっかけで、あんなおぞましい「クラブ」のバァバになるなんて……。


 一昨日会ったお母様は、生きてるの死んでるの、っていうくらいやつれてた。

 私が話しかけても、返事は曖昧で、その瞳は私ではなく虚空を眺めていた。

 光の失せた目で「初孫は男の子がー」と呟き続ける母は見ていられなかった。


 私のせいだ。

 私が、聖女なんかになったばっかりに……。

 お母様はバブバブバァバの恐怖によって、心を壊されてしまった。


 どうにかして、お母様を助けてあげなきゃいけないと思う。

 一応、私が持つ聖女の力によって、お母様の心を癒してあげることはできる。


 ただ、癒したそばからバブバブバァバの恐怖でまた発狂するんだけど。

 バァバ襲名記念式典はいよいよ来週に迫っている。

 カウントダウンが始まっている現状が、お母様を恐怖に駆り立てているのだ。


 それにしても、聖女の力でも癒しきれないバァバの恐怖って何なの……。

 私の聖女の力って、神様から直々に授かったものなんですけど!

 普通だったら、どんな傷も、どんな病も治せたりするはずなんですけど!


「聖女様、これからの予定についてですが――」

「あ、はい」


 王宮を出て、神官が私に告げてくる。

 豪華絢爛な二頭立ての特別製の馬車の中で、私は神官にうなずいた。


「まず、これから国教会の大司教様の会談がございます」


 あー、大司教ねー。

 立派な白いひげをたくわえた、バブバブっ子ナンバー4。

 80才を越えながらクラブでも屈指の夜泣きの声の大きさを誇るクソジジイだ。


「明日の午前中、大公様による聖女様への拝謁がございます」


 あー、大公ねー。

 丸々太ったおなかが脂ぎってる、バブバブっ子ナンバー7。

 図体デカブツのクセにいちいち「大きく育ってね」と言わせたがるオッサンだ。


「明後日は朝より、転移魔法で最前線に赴き、勝利祈願の儀式があります」


 あー、戦争してるモンねー。今。


 ってことは、第一騎士団の将軍とかもいるのかな。

 全身傷だらけで大柄で筋骨隆々な、バブバブっ子ナンバー9。

 目つき鋭いし動きにキレがあって怖いけど離乳食の好き嫌いが激しいクソガキだ。


 ん? 大司教に、大公に、第一騎士団の将軍……?

 うわぁい、それ全員、今晩私に指名予約入れてるバブバブっ子やんけー。


「また、来週の予定は――」


 さらに神官がこれからの予定を語っているが――、フフ、もう無理。

 私、限・界♪


「はっ!」


 私は、タイミングも考えずにいきなり馬車の中で立ち上がる。


「……聖女様?」


 神官が不思議そうに見上げるが、それに構わず私は言った。


「天より、神が私に何かを語りかけようとしています」

「何ですと!」

「おお、神が聖女様に……」


 私の言葉に神官は目を剥き、侍女は手を重ねて祈り始めた。

 まぁ、嘘なんだけどね。神様の声なんか、聞こえちゃいないわよ!


「至急、馬車を私のお屋敷に。部屋で神の声を聞きます」

「はっ、直ちに御者に命じます。オイ、君!」


 神官が慌ただしく御者に声をかけた。


「私が神の声を聞いている間、誰も部屋に入れないように」

「は、はい。かしこまりました!」


 私の命令を受けて、侍女は背筋を正してお辞儀した。

 よーしよしよし、これで家に帰って休めるー! 私は、お休みするんだー!


 神様からのお告げなんて重大すぎて、そうそう使える手段じゃない。

 でも、今の私、ギリギリまで追い詰められて、もう、無理。休まないと、無理。


 あああああ、やっぱりジョゼおねーちゃんすごいよー。

 こんな地獄みたいな日常を、あの人は涼しい顔で過ごしていたんだ。


 尊敬よ、尊敬しかないわ。まさにリストアップね!

 あ、違った。リスクマネジメント! ……それも何か、違う気がする。


 私がうんうん唸っているうちに、馬車は私のお屋敷に着いた。

 陛下からいっときの住まいとして与えられた大きな屋敷で、私は自室に向かう。

 途中、家の一切を取り仕切る執事長が、私に言ってきた。


「聖女様、先ほど――」


 その報告を聞いて、重く沈んでいた私の気持ちが、一気に盛り返した。

 私は「神が呼んでいる」と適当に言い訳して、足早に自分の部屋へと向かった。

 そして、部屋の机の上に、それは置かれていた。


 ――おねーちゃんからの手紙であった。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 いてもたってもいられずに、私は封を開け、手紙の中身を読み始め――、

 うっわ、おねーちゃん、字、うっま!?

 え、何これ、綺麗……。こんな綺麗な字、見たことない。



『エリィ、たすけてあげるわ』



 そして手紙の冒頭に、その綺麗な字で、私が今一番欲しい言葉が書いてあった。


「うきゃあああァァァァァァ、おね――――ちゃ――――んッッ!!!!」

「聖女様、どうなされました? 聖女様?」


 あ、やっべ。

 感激して叫んだら、部屋の外から侍女がノックしてきた。


「お静かに。神の声が聞こえなくなります。キエェェェェェェェェェェ!」


 私は、そこであえて叫ぶことで、大声の責任を神様に押し付けた。

 ほら怪しい宗教の人って、叫んだりするでしょ。え、偏見? うっそだー。


「さて、手紙手紙」


 侍女が黙ったので、私は机に戻っておねーちゃんの手紙を再び読み進める。


『まずは、トップバブバブママ、おめでとう。私にもできなかったことだわ』


 そんな、おめでとうだって。エヘヘ……。

 って、待って。私それ嬉しくないよ、おねーちゃん?

 おねーちゃん、本当に私のことお祝いしてくれてるの、おねーちゃん?


『まぁ、私はそんなのなりたくなかったから、ならなかっただけだけど』


 ほらー! やっぱりお祝いしてくれてないー!

 何よ何よ、可愛い妹がトップバブバブママになって苦しんでるっていうのに!


 やっぱりおねーちゃんは私のこと恨んでるんだ。

 聖女になって殿下を奪った私のこと、本当は恨んでるのよ! 間違いないわ!


『でもね、エリィ。あなたも母様も、私の大事な家族よ。だからたすけてあげる』


 あああああああああ、おねぇぇぇぇぇぇちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!


 恨んでるなんて思ってごめんなさい!

 優しいジョゼットおねーちゃん、エリィはおねーちゃんのコトが神様です!


『それで、具体的に母様をバブバブバァバにしない方法についてなんだけど』


 あ、はい。本題ですね。

 読みながら、私は居住まいを正した。


『結論から言えば、無いわ』


 え。


『皆無よ。絶無ね。不可能にして無理難題。煎水作氷にして縁木求魚なのよ』


 待って、おねーちゃん、待って。

 言葉が難しすぎるよ! 頭から湯気のぼっちゃうー!


『バブバブクラブは陛下が主催するクラブ。一度決定したことは覆らないわ』


 う、た、確かに……。

 やってることはクソフザけた赤ちゃんごっこでも、面子が面子だ。


 殿下に、陛下に、総主教、大公、将軍。

 他にも大貴族ばっかで、バカな私でも逆らっちゃいけない人達だってわかる。


『つまり母様がバブバブバァバになることは止められないわ。諦めなさい』


 そ、そんな……。

 おねーちゃんでもダメなの? できないの? お母様を助けられないの?


『だから、母様がバブバブバァバの称号を襲名する時期を先延ばしにしましょう』


 ……先、伸ばし? 延期、ってこと?


『それを無期限延期にできれば、実質的に母様はバァバにならなくて済むわ』


 お。おおおおおおおおおおおお、確かに!

 つまりあれね、ヨテイはミテイってヤツね。最近勉強して覚えたわ!


『そのためにはエリィ、あなたにやってもらわないといけないことがあるわ』


 ……あ、ヤなよかーん。


『バブバブっ子の中に、大司教様がいらっしゃったわよね』


 はい、大司教ね。あのクソジジイね。

 今夜もあいつから指名が入ってるのよー……、うああ、気分が鬱いぃぃぃ~。


『大司教様は、実はバブバブっ子ではないわ』


 えっ。


『実は彼は、バブバブクラブと敵対している非主流派クラブからのスパイよ』


 ええっ。


『その敵対するクラブとは――、いえ、実際に接触すればわかるでしょう』


 そこは書いてよ、おねーちゃん!?


『とにかく、エリィ、あなたはその非主流派クラブに接触して協力を得なさい』


 ううう、それでどうなるっていうのよぉ……。

 バブバブクラブが絶対権力すぎて、対抗できるワケないじゃないのよ。


『今、ハイデミットは戦時下よ。陛下は国を一つにする必要に迫られているわ』


 むむ、そういうモンなのかな。

 あ、でもわかる。それが理由で、陛下は私を殿下の婚約者に据えたんだ。


『だから、どんな理由があっても国が割れる事態はお望みになられないはずよ』


 うん、それもわかる。


『そこに付け入る隙があるわ。エリィ、国を割りなさい』


 へ?


『非主流派クラブと協力して、バブバブバァバ襲名は時期尚早であると訴えるの』


 え、そ、それにどんな意味が……?


『非主流派とはいえ、大貴族も在籍しているわ。影響力は決して皆無ではないの』


 そうか。何となくだけど、わかった。

 その人達と協力して、お母様をバァバにするなら国割っちゃうぞって脅すのね!


 ……おねーちゃん、考えてることがとんでもないんだけど!?


『あなたに足りていない政治力を、非主流派クラブの方々で補いなさい』


 ううう、前からずっと思ってたことだけど、やっぱりおねーちゃん、怖い。

 何で、辺境の農村にいるのに、そんなところまで考えられるのよ。


『エリィ、あなたは私を嫌っているかもだけど、私はあなたを愛しているわ』


 おねーちゃん……。


『本当は、色々と言いたいこともある。でも今は、一緒に母様をたすけましょう』


 やだ、涙出てきちゃいそう。

 うん……、うん! おねーちゃん、私、頑張る。私、何でもやるよ!


『だから、大司教様にはこう言いなさい。クラブの秘薬を飲みます、って』


 え?


『そのクラブ秘伝の薬の効果は――、いえ、実際に服用すればわかるでしょう』


 ちょっ。


『何にせよ、まずは大司教様に接触することからよ、エリィ、がんばってね!』


 何で、最後の最後で不安煽るのよ、おね――――ちゃ――――ん!!?

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