第2話 伝説の聖女の力に目覚めた妹からまた手紙が届きました

 届いた手紙を前に、私はどうするべきかを考えていた。

 私はジョゼット。

 大陸列強の一国の公爵家長女として生まれ、今はとある農村に隠遁している女。


 ここは父の領内の端っこにある農村で、私は名目上の村長として暮らしている。

 実務に関しては、私と共にこの村にやってきた元侍従長が取り仕切っている。


 元侍従長――、名前はマリシア。

 彼女は代々私の家に仕える使用人の家の出で、非常に有能な女性だ。


 私が物心つく前から、私の世話をしてくれている世話係でもある。

 元々、母から疎まれていた私にとって、マリシアはもう一人の母のような存在。

 彼女を供につけてくれた父には、本当に感謝しかない。


 ただ、マリシアのような有能な人材を僻地の寒村に連れていってよいのか。

 そんな悩みも、あるにはあった。

 でも悩む私にマリシア自身が優しく笑って言ってくれた。


「お嬢様のいらっしゃるところが、私の居場所なのですよ」


 不覚にも、泣きそうになってしまった。

 そして私は彼女と、そして数名の使用人と共にこの村に来た。

 山間にある、辺境ながらもそれなりに豊かな村、エスティノ村に。


「お嬢さん、雨が降ってきましたよー」


 開けっ放しの窓の向こうから、隣に住むトマスさんの声がする。

 考え事をしていた私は、その声に気づいて、ふと外を眺めた。


 垣間見える空が分厚い灰色の雲で蓋がされていて、少し風も出てきている。

 雨はまだ弱いが、間もなく勢いが強まってきそうだ。


「いけない」


 椅子に座っていた私は、窓をしめようと立ち上がった。

 すると、農作業をしていたとおぼしきトマスさんが、ちょうど前を通った。


「トマスさん、教えてもらってありがとうございます」

「いえいえ、どういたしまして」


 私が軽く頭を下げると、トマスさんはニコリと笑いかけてくれた。

 彼は体格がガッシリしていて、農作業に焼けた肌には生命力が漲っている。


 でも、笑ったその顔はまるで子供のように人懐っこくて、まるで嫌みがない。

 彼に笑みを向けられて、ついつい、私も笑い返した。


「どうしました、お嬢さん。何か、いいことでもありました?」

「そういうわけじゃないんですけど――」


 と、話していると、急に雨足が強まってきた。


「わっと、こりゃあいけないな。話してる場合じゃないな」

「トマスさんも、早く家に入ってくださいね。風邪をひかないように」


「ハハハ、体だけは丈夫でしてね。風邪なんてひいたことないんですよ」

「それでも、です。心配する人だっているんですからね?」


 私が念を押すと、トマスさんは「申し訳ない」と謝ってくる。

 この素直さも、私が知る王都の貴族には見られない美点だ。何だか新鮮。


「それじゃあ、また!」


 トマスさんが雨の中、家に向かって駆け出した。

 私は「はい」とうなずき、軽く手を振って彼を見送る。


 雨はさらに強くなって、そろそろ風も出てきた。

 山の中にあるこの村はいいところだが、天気が変わりやすいのが困りものだ。


 私は急いで窓を閉める。

 すると、それまで間近にあった雨音が一気に遠くなった。


 部屋の中が暗くなったので、手が届く場所にある丸い宝珠に軽く触れる。

 すると、宝珠は光を放って部屋の中がまた明るくなった。照明用の魔宝珠だ。


 放たれる人工的な光を見ると、つい、王都での日々を思い返してしまう。

 あの、人工的な光に満たされた、絢爛たる王宮での日々を。


 ここのような、昼間でも雲が立ち込めれば闇に閉ざされる村とは違う。

 雨が降ろうと、夜が来ようと、揺らがず、濁ることなく、輝き続ける王宮。

 大陸列強にも数えられる大国の象徴は、いつだって煌びやかだ。


 そして同時に、その内側は腐った魚の臓腑よりもさらに酷い腐臭を放っている。

 王宮に住まう者は、ほとんどが人の形をした肉食の獣でしかない。

 肉食獣の肉が臭みを放つように、王宮を住処にする連中もまた、臭い。


 かつてその一員であった私は、それをよく理解している。

 強い光のすぐそばには、同じだけ濃い陰が付きまとうものである。

 意識をそこに至らせると、すぐに思い浮かんでくるのが「クラブ」の存在だ。


 近しいものにサロン、というものがある。

 それは貴族や文化人の私的な集まりで、小規模な社交界とも呼ぶべきものだ。


 主に一つのテーマがあり、例えば文学サロンや、演劇サロンなどがそれだ。

 大体は、貴族が何人かを招いて始めるもので、回を追うごとに規模が拡大する。

 割と伝統あるもので、老舗のサロンとなれば参加者は三桁にも達する。


 かくいう、かつての私も幾つかのサロンに在籍していた。

 主題に対して熱心なサロンもあれば、情報交換の場と化すだけのサロンもある。

 ただ、どちらであれ、サロンは常に誰に対しても開かれていた。


 その透明性こそが、サロンが流行した理由でもある。

 そして、このサロンを前身として、必然的に生じたのが「クラブ」である。


 クラブは言ってしまえば、会員制のサロンだ。

 入るためには一定の条件を満たす必要があり、そこでの会話は原則機密となる。


 少人数で共有する、誰も知らない、自分達だけが知る秘密。

 それは、容易く人の優越感を引き出し、会員同士の結束を高める要因にもなる。

 孤独を強いられる貴族にとって、頼れる同志を得る機会は黄金にも等しい。


 だからこそ、クラブはその数を増やした。

 看板を掲げることもせず、水面下で、徐々に、そして静かに流行した。


 王宮の表ではサロンが増え、裏ではクラブが増えていった。

 両者の共通点として、派閥を形成しやすい土壌であるということが挙げられる。


 特にクラブは、それが顕著だ。

 秘密の会話をするのに、クラブほど使いやすい場所はない。

 自然、貴族達は重要な情報を交換する場として、クラブを使うようになった。


 それが何を意味するのか。

 簡単なことだ。

 つまりは、クラブこそ貴族社会の、ひいてはこの国の政治の現場なのである。


「ふぅ……」


 そこまで考えて、椅子に座り直した私は深く息をついた。

 私が嘆息した理由は、机上に置かれた一枚の封筒。


 ――妹からの手紙であった。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 妹は、かつて私から婚約者を奪った女である。

 貴族として自己研鑽を続け、ついには王太子の婚約者となったのが、私。

 並みいる候補を蹴落とし、陥れ、悪役とまで呼ばれるようになった。


 今にして思えば、身の毛もよだつ。

 光り輝く座を手に入れるため、どんな手段でも使った私は穢れ切っていた。


 でも、そんな私を一足飛びに越えて蹴落としたのが、妹だ。

 貴族としては全くの無能ながら、何かと愛される私の妹、エリィ。

 彼女は伝説の聖女の力を目覚めさせ、一躍、国一番の人気者となった。


 隣国との戦争も近かったその時期、国王陛下は彼女を王太子の婚約者に定めた。

 時期も、運も、何もかもがエリィの味方をしていたように思う。


 とはいえ、私自身、エリィを嫌っていたワケではない。

 いや、むしろ私も周囲と同じように、エリィを可愛がっていた。

 けれど私の愛情はどうやら一方的なもので、妹からは嫌われていたらしい。


 きっと、母の影響なのだと思う。

 母はどちらかというとエリィと同じで、人としては無能だが愛されるタイプだ。

 だからこそ、最初から才気に溢れていた私は母から疎まれていた。


 姉妹を分け隔てなく愛してくれた父と違い、母はエリィを溺愛した。

 さらには、どうやら私への悪口も吹き込んでいたらしい。

 エリィは可愛いが、無能で単純だ。おかげで私は悪者にされてしまった。


 能力的に、私の方が優れていたことも、妹が私を嫌う要因だったのだろう。

 でも、さすがに礼儀作法の一つも覚えられないのはダメだと思うよ、エリィ。


 さて、そんなエリィからまた手紙が来た。

 前回は――、婚約者の王太子殿下が実はオギャリ性癖野郎でした。

 しかも毎晩、赤ちゃんプレイでママ役をやらせられてメンタルヤバイです。


 という内容だった。


 かつて婚約者だった私も、同じ経験をしている。つまりママ役だ。

 あれは、自己研鑽を怠らなかった私でさえ、かなり精神にクるものがあった。


 見目麗しい貴公子が、豪華なベッドの上でおしゃぶりをして、夜泣きをする。

 しかも股間にオムツも完備で、容赦なく漏らしやがるのだ。小も大も。


 ああ、妹に耐えられるはずがない。私としても同情する。

 だが耐えてもらうしかない。

 だって彼女は聖女。今や唯一無二の将来の王妃なのだ。耐えろ。我慢しろ。


「とはいえ……」


 今回、妹から送られてきた手紙。

 その中身に、私はすでに目を通している。その上で、嘆息せざるを得ない。

 私は封筒から中身を取り出すと、再度内容を読み始めた。



『おねーちゃんたすけて』



 前回と全く同じ書き出しだった。


『ごめんなさいです。ごめんなさいです。おねーちゃんます。ごめんなさいです』


 そこから、また謝り倒しが始まっているのも同じ。

 しかも今回は敬語まで加わっている。相当追い詰められているようだ。


 でもさすがに『おねーちゃんます』はないと思う。

 エリィ、敬語の正しい使い方、もうちょっと勉強しようね。


『あのね、聞いておねーちゃん』


 今回は、前回より少し本題に入るのが早い。


『王太子殿下もクソ野郎だったけど、国王陛下もクソ野郎だったわ。クソなの!』


 う~ん、何という直球不敬。

 この手紙が知られたら、公爵家はお取り潰しかもしれない。そんなレベル。


『だって、陛下まで私に言ってくるのよ! 君は余の母となる女なのだ、って!』


 うんうん。なるほど。


『王妃様まで加わって、親子二代赤ちゃんプレイさせられてるのよ! 毎晩!』


 うんうん。なるほど。


『時々ママ役を交代させられるのよ! 何で私が国王陛下のママになるのよッ!』


 うんうん。なるほど。


『って、王太子殿下に訴えたら、王妃だって僕のママをやってるぞって言うの!』


 うんうん。なるほど。


『なるほどーって思ったけど、よく考えたら王妃様がママなの当たり前でしょ!』


 うんうん。なるほど。

 でもねエリィ、おねーちゃん、そこは考えるまでもなく気づいてほしかったな。

 妹のアホっぷりに遠く思いを馳せながら、私はさらに読み進める。


『この間、変なところに連れていかれたわ。何か、そこに人がいっぱいいたの!』


 うんうん。なるほど。


『顔の上半分だけお面で隠してて、でも全員、裸でオムツをつけていたのよ!』


 うんうん。なるほど。


『お面をつけた陛下が私に『ようこそバブバブクラブへ』って言うの、怖い!』


 うん、怖いよねー。それは怖いよねー。私も怖かった。


『バブバブクラブって何なの、おねーちゃん。私怖い。たすけて――』


 そこから先は、便箋十枚分に渡って王家の性癖に対する恐怖が綴られていた。

 一応、最後まで読み終えて、私は手紙をしまってから呟いた。


「あの子も、ついに知ってしまったのね、バブバブクラブの存在を……」


 漏れ出た声は、自分でも意外なほど緊迫したものだった。

 ついに知ってしまった。いや、いずれは知ることになっていた、か。


 だってエリィはもう王太子殿下の婚約者。

 ならば、彼と国王陛下が主催する『かのクラブ』に入会するのも道理。


 ――バブバブクラブ。


 それはこの国の深淵。裏紳士の社交場。

 古くは三代前の国王の時代、ストレスに苛まれた国王自身が結成したとされる。


 その実情は、赤ちゃん返り専門クラブである。

 会員は、いずれも国の要職に就く、日頃ストレス過多な大貴族ばかり。

 皆、多大なストレスに心をやられすぎて赤ちゃんプレイに目覚めた方々である。


 貴族当主のお歴々はバブバブっ子になり、その伴侶はバブバブママとなる。

 さらにバブバブママには、人気度による序列という地獄システムが適用される。 


 そして先述の通り、秘密性の高いクラブでは、日夜様々なことが話し合われる。

 今後の政策方針から、予算の使い道から、政敵を打ち倒す手管まで。

 いわばバブバブクラブとは、この国における闇の最高意思決定機関なのだ。


「…………」


 仮面とオムツのみのオギャリ性癖野郎共からなる、国家最高意思決定機関。

 それを改めて振り返って、私は至極冷静に思った。

 この国、本当は今すぐにでも滅び去るべきなのではないだろうか。


「お嬢様、よろしいですか?」


 と、部屋の外から私を呼ぶ声がする。

 一声応じると、戸を開けてマリシアが部屋に入ってきた。


「本日のお夕飯ですが、何かご希望は――」


 言いかけて、彼女の言葉が止まる。

 その視線は私の顔ではなく、机に置かれた妹からの手紙に注がれていた。


「……エルミーナ様からですか?」

「ええ、そうだけれど」


 私がうなずくと、マリシアは何やら「ふぅ」と息をついて、指を鳴らす。

 直後、机上の手紙がポッと燃え上がった。


「あ」


 と、私が呟いている間に、それはさっさと燃え尽きて灰となる。

 マリシアは魔法にも長けていて、私の魔法の師でもあった。


「あの、マリシア……?」

「本日のお夕飯ですが、何かご希望はありますか?」


 私が尋ねると、彼女は妹の手紙を完全になかったことにしていた。

 逃げてきた私を王都に関わらせたくないという、彼女の心遣いを感じる。


 その心遣いに、私も乗ることにした。

 あと、純粋におなかがすいて、ご飯のことが気になって仕方がないし。


「お魚で」

「干物がまだありましたね。焼きましょうか」


 やったぁ。川魚の干物だ。

 ジョゼット、川魚の干物、だーいすき。

 本当に、近くの川でとれるお魚を干して焼いただけで、すごく美味しいの。


「少しお待ちくださいね」

「ええ、お願いね」


 おなかをすかせた私は、今晩の夕飯を夢想し、にっこりと笑った。

 新人バブバブママと化して恐怖におののく妹のことは、もう頭から消えていた。

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