第9話 ラストメッセージ

その日、宮内は帰宅すると瑠璃にあるものを手渡した。


「!」


「ずっとバタバタしてたし、いろいろあったから遅くなっちゃったけど」


「婚姻届……」


「もうすぐだし、瑠璃の誕生日に出しに行こう。この日を良い日にしよう」


宮内は笑顔だった。


  ×  ×  ×


瑠璃は、何もない真っ白な空間を歩いていた。

すると、ショパンの『別れの曲』が聴こえてくる。

音の方へ向かうと、ジョーンがピアノを弾いていた。

そして、周りにはスイセンの花が沢山咲いていた。


「ジョーン!」


ジョーンは、瑠璃を見つけると椅子から立ち上がり、瑠璃に丁寧にお辞儀をする。

ピアノはひとりでに『別れの曲』を奏で続けていた。

瑠璃はジョーンに抱きついた。


「ジョーン心配したんだよ! ずっと現れないから!」


ジョーンは声を出すこともなく笑っている。

突然、スイセンの花を刈り取ると、荒々しく瑠璃に突き出した。


「えっ……」


ジョーンは、ひとりでに『別れの曲』を奏でるピアノを指差した。


「これが最後? 最後の夢なの!?」


ジョーンは小刻みに頷く。


「イヤだ! イヤだよ、そんなの! どうして? どうして最後なの? あなたは、あなたはわたしのお母さんが大切にしていたピエロ……」


ジョーンは瑠璃を静かに見つめた。


「偽りの愛……」


ジョーンは小刻みに頷く。

それは、スイセンの花言葉だった。


「わたしね、結婚するの。結婚しちゃうの。ねぇ、全て偽りだったのかな。うぬぼれてたのかな」


ジョーンは首をかしげる。


「恋は一過性の精神疾患って言うじゃない? でも、拓しかいなかったの。わたしの横には拓がいて、それがずっと当たり前だった。洗脳なのかな? 好きだって自分を洗脳し続けてたのかな? でも、でもね、今でも拓のことが好きっ……」


涙が瑠璃の頬を伝った。


「騙されてたのかな……。全部、蜃気楼みたいなものだったの……?」


ジョーンは手を叩いて喜んだ。


「ちっとも楽しくないよ」


ジョーンは瑠璃の肩をトントンと叩く。手招きで瑠璃を連れ出した。



「ねぇ、ジョーン。どこに向かってるの?」


ジョーンは何も答えない。

やがて、レンタル収納スペースが見えてくる。

ジョーンはそれを指差した。


「えっ……」


倉庫の扉には暗証番号で開く鍵が付いている。

ジョーンは指を8本出し、瑠璃にアピールした。


「8ケタ……」


ジョーンは『2・0・0・4』と押し、瑠璃の顔を見る。


「……」


続けて『0・3』と押し、瑠璃の顔を見る。


「……」


続けて『1・6』と押し、瑠璃の顔を見る。


「2004年3月16日……」


ジョーンは小刻みに頷く。


「嘘でしょ……そんなの……」


鍵が開く。

扉を開けると写真が流れ出てくる。

大量の美希の写真。

隠し撮り写真。

工藤一家の隠し撮り写真。

幼い頃の瑠璃の写真。

美希の私物。

ピアノのコンサートの半券。

ジョーンは、中の物をせっせと取り出していく。


「嘘っ……なんで……」


ジョーンは若い頃の美希と宮内が、幸せそうに写った写真を瑠璃に差し出した。


「嘘だよ、嘘だよこんなの!」


瑠璃の背後から足音が近づく。


「いけない子だなぁ。君は見てはいけないものを見てしまったね」


瑠璃が振り向くと、そこには宮内が立っていた。


「拓!」


宮内は、瑠璃を鋭い眼差しで見ていた。


「嘘だよね……。こんなの嘘だよね?」


「僕は瑠璃が生まれる前から、瑠璃を知ってるよ?」


「!」


「君の遺伝子が欲しかったんだ」


「……」


「君のお母さんは、何も持っていない人と結婚したんだ。僕は何もかも持っているというのに。僕はね、手に入れたい物は何でも手に入れてきた。人の心もね」


「違う! 拓はそんな人じゃない! わたしの好きな拓は、そんな人じゃない! もっと優しくて、ひとりぼっちのわたしに手を差し伸べてくれた!」


宮内は声をあげ笑った。


「ひとりぼっちにしたのは誰だよ? 僕だよ?」


「……!」


「僕がこんなにも愛しているというのに! 秘密を知ってしまった瑠璃ちゃんには罰を与えないとね」


宮内は内ポケットから銃を取り出そうとする。

瑠璃は震えが止まらなかった。


「助けて……助けて……ジョーン!」


  ×  ×  ×


わたしは飛び起きた。辺りはまだ真っ暗だった。

汗だくで体が震えている。そして、わたしは泣いている。

隣では宮内が眠っていた。

夜はまだ、長いようだ。

わたしの腕には、“やけど”の跡が残っている。

今も、あの日の火事を忘れたくないというように。

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