第7話 夢と現実の垣根
瑠璃が目を覚ますと、そこは病院のベッドの上だった。
宮内が、瑠璃の意識が戻ったことに気が付いた。
「瑠璃! よかった、ホントよかった!」
「拓……?」
「大丈夫か? 高熱を出して倒れて、ずっと目が覚めなかったんだぞ。今先生呼んでくるから!」
「え……」
宮内は病室を出て行った。
瑠璃は、ゆっくりベッドから起き上がった。
袖をめくると、腕には“やけど”の跡がある。
どうやらわたしは、長い夢を見ていたらしい……。
「え、検査入院?」
「念のためだよ。こういう時はゆっくり休んで」
「うん……。そうだ、拓仕事は?」
「大丈夫だよ。僕の心配はいいから、自分の体のことだけ考えて。あっ、飲み物買ってくるね」
「ありがとう」
現実世界の拓は、いつもと変わらず優しかった。何であんな夢を見たのだろう……。
でも、夢は夢だ。現実ではない。
あの日以来、わたしは夢を見なくなった。
明美が、お見舞いに来た。
「びっくりしたよー。話聞いて。大丈夫?」
「はい。すみません、ご迷惑かけちゃって」
明美は首を横に振った。
「でも、宮内さん休みの時でよかったね。誰もいない時に倒れたら大事になってたかもしれないじゃない?」
「でも、全然記憶ないんですよね……」
「えっ?」
「ピアノコンサートに行くって話して、その日眠って、気付いたらここにいて」
「いつものピエロは夢に出てきたの?」
「はい。でも、いつもと違って恐ろしい夢でした……」
「……」
「夢と現実の垣根って、なんなんでしょうね……」
ジョーンは悪魔だったのだろうか?
夢の中で母に会った時、わたしはあの世に行きかけていたのだろうか?
だから、会いたいと言った時、あんなに困った顔をしていたのだろうか?
わたしは、児童養護施設『希望の子守唄』で育った。
当時7歳のわたしは、いつも施設の外を見ていた。
施設の女性、山村さんが、中へ入ろうと何度声をかけても、かたくなに動かなかった。
施設の前の通りを、拓が通りかかる。わたしは、この瞬間を待っていた。
「おっ、瑠璃ちゃん。僕の事分かる?」
「助けてくれた人!」
拓は、いつもわたしに、にっこりと微笑みかけてくれた。
ある日、ランドセルを背負い歩くわたしに、拓は言った。
「施設の人には秘密だよ」
そして、ピアノのコンサートに連れて行ってくれた。
そこで演奏されたのは、リストの『愛の夢 第3番』。
わたしはそのピアノの演奏に目を輝かせた。
水族館にも連れて行ってもらった。
イルカショーを一緒に見た。
拓もとても楽しそうだった。
わたしは、拓に尋ねた。
「拓はひとりぼっちなの?」
「違うよ。僕には瑠璃がいる」
「ずっといてくれる?」
「ずっと一緒にいる」
「どこへも行かない?」
「行かないよ」
幸せになりたい。
しがらみから解放されたい。
でも真実を知りたい。
けど、傷付きたくない。
全部忘れたい。
でも、忘れたくない。
ピエロのジョーンが披露した、あのフリップはわたしの気持ちだった。
そして、“宮内拓”という存在は、わたしにとって、全てだった。
検査入院を終え、瑠璃は宮内と暮らす家へと戻ってきた。
キッチンには、お揃いのマグカップがある。
夢の中で見た、映画のマグカップと同じであることは間違いなかった。
瑠璃はそれを手に取り、見つめていた。
「瑠璃、明日からしばらく仕事休みな」
「え、でも……」
「異常がなかったといっても、病み上がりみたいなもんなんだし、別に収入的に問題はないんだから」
「そうだけど……」
「明美さんにももう伝えてあるから」
翌朝。
「いってらっしゃい」
「いってきます」
瑠璃はこれまでと同じように、宮内の後ろ姿を見届けた。
一人部屋に残された瑠璃は、リビングで灰皿の煙草を掃除した。
その表情は曇っていた。
ピエロのジョーンはあれから現れない。
わたしは、夢と現実の垣根を知りたくなった。
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