9-4 菜々美ちゃんにたかられる
「にしてもムカつきますねー、あのクソハゲ」
寿司屋のカウンターで、菜々美ちゃんがビールを一気にあおった。
「あたしたちのこと、馬鹿にし切ってたし」
「主流中の主流、ハムチームだからなー」
「悔しくないんすか、木戸さん」
「弱い犬ほどよく吠えるって奴だよ。部下の前だから、自分を大きく見せようとイキってただけだろ」
「それはそうかもしれないけどですねー」
またあおった。ふたくちでビアタン空になってるじゃん。手酌でビールを継ぎ足すと、また飲んだ。
「あたし、イカとトロ、それに子持ちコブ」
怒ってても注文は忘れないんだな。
「あいよっ」
カウンターの向こう、板場に立つ大将が、こっちを見もせずに返事する。なにか忙しそうに巻物を作ってるからな。
「木戸さんも、どんどん食べて下さいよ。せっかくの寿司なんだから」
「お、おう」
てか、今日は俺のおごりだろ。例の諭吉飲み会で決まった「個別飯ゴチ」、菜々美リクエストの「回らない寿司編」なんだからさ。なに自分がおごる感出してんだよ。ちゃっかりしてるわー。
ま、いいけど。女子大生と普通にデートしてるんだと思い込むことにしたから。それなら腹も立たないからな。非モテの俺が女子大生デートとか、考えたら奇跡だし。
それに、そんなに高い店でもない。ふたりで二万もあれば余裕だろ。菜々美ちゃんに大トロ連続攻めされたらわからんが、そんときゃ途中で止めるし(情けない)。
「じゃあ俺は鯛と
「あいよーっ」
「ほら飲んで」
菜々美ちゃんが俺のグラスにビールを注いでくれた。
「サンキュー」
ぐっとひと息で空ける。
「さすがは木戸さん。大人だよねー」
嬉しそうに注ぎ足してくれる。
「一緒に飲むのが楽しいわ」
「菜々美ちゃん、そういう友達多いよな。陽菜乃ちゃんとか莉緒ちゃんとか、結構飲みっぷりいいし」
下戸の美月ちゃんは別だが。多分ああいう気の置けない関係みたいなのが、菜々美ちゃん好きなんだろ。
「ええーっ」
なぜか、菜々美ちゃんは眉を寄せた。
「せっかくふたりっきりなのに、他の娘の話する? 普通」
「いいだろ別に。デートでもないし」
「……」
あら。黙っちゃったわ。……デートのつもりなのかこれもしかして。
「はいイカ。こちらには鯛」
大将が、俺と菜々美ちゃんの漬け台に寿司を置いてくれた。
「ほら食おうぜ。寿司は握りたてだよ、やっぱな」
「そうだよねー」
ぱくっと。さらに置かれたトロと子持ちコブを食べると、速攻でイカと甘海老とウニを注文する。
「うん。おいしい」
「良かったな」
食欲すげえ。やっぱデートじゃないわこれ。どっちかというと大食いチャレンジ企画というか。
「どこで見つけたんですか、この店」
「今のアパートの前、この近所に住んでて。ここおいしいよって定食屋のおばさんに教えてもらってさ。何度かな」
「へえ……。彼女と来たんだー」
興味津々といった表情。なぜか俺の腕を掴んでくる。
「ま、まあな」
嘘だが。だいたい振られて、やけ食いで来たパターン。うまいもんでも食えば心の痛手癒せるかと思って。考えたら情けない。
「住んでたのかあ……。都心とかじゃなく、普通に私鉄沿線マイナー駅の店だから、どうして選んだのか不思議だったんですよ」
「種明かしすると白けるだろ。ミステリアスにしとけば良かったか」
「まあねー。……あたしあと、イカとアジと穴子とタコ」
おう。ドライブ掛かってきたな。
「てか、イカ好きなのか」
「好きー。……それより木戸さん、カレー、頑張りましょうね」
「そうだな」
「あたし木戸さん元気にしたくて、今日誘ったんですよ」
そうなんか。急に「約束の寿司、今日行きましょ」とか言われたから謎だったんだけど。ハム野郎に嫌味言われて、菜々美ちゃんなりに俺のこと気にかけてくれてるんだな。
「うおっ。この穴子もうまいっ。甘くてとろけてチョコみたい」
……いや俺の気のせいか。腹ペコだっただけだろ、これ。
「会議でも出てたけどあたし、この企画は仕掛けが勝負だと思うんですよ」
「だよなー」
仕掛けとか味変というコンセプトを除けば、単にカレーを二品発売するってだけだもんな。添付袋というおまけがあるだけで。
「あのハム野郎を完膚なきまでに叩き潰すには、普通の仕掛けじゃあ駄目だと思うんです」
「まあなー」
追加で注文した冷酒を口に運ぶ。
「北インド、南インドでカレーが結構違うとか、知らない人のが多いだろうしな」
「そうですよ。そんなん知ってるの、カレーマニアくらいじゃないすか。莉緒達にも聞いてみたけど、美月しか知らなかったし」
「だよなー」
「だから、まずそこをアピールしないとマズい」
「商品のウェブで解説すればいいだろ」
「そんなんじゃ弱いっしょ」
「ならどうするんだよ」
「ひとつ思い付いたんですよ」
「教えろ」
「あたしあとイカと海老。茹でたほう。それにこっちにも冷酒」
食うなー。俺もつられて、二、三品追加したわ。
「あれふよ」
幸せそうな表情でイカをもぐもぐ食べながら続ける。
「はれーなんだから、ひんどはいひはんで――」
「頻度?」
なに言ってるかわからん。それ、結菜の得意技なんだが。
「インド大使館に後援してもらったらいいんじゃないかと」
「大使館かあ……」
考えた。カレーのレトルトなんか、日本国内に何百種、下手したら何千種とかあるのは確実。いちいち後援なんかしてくれるはずはない。
しかし、北インド南インドで地域料理を振興するという理屈を付けて持っていけばどうか。目新しいし、なんか勘違いして乗ってくる可能性はなくはない。
そう話すと、菜々美ちゃんも同意してくれた。
「なら商品化決まったら、案件持ち込んでみるか」
「それじゃ遅いっしょ」
冷酒グイーッ。おかわり発注。……今日は飲むなあ、菜々美ちゃん。ペース早いわ。
「まずコンペを通すのが厳しいんだから、コンペの場でぶつけるんですよ。この企画は、インド大使館の後援を得ていますと」
「そりゃデカいな」
「っしょー」
たしかに。商品化の折には後援すると内々に許諾を取っているとかぶち上げれば、戦闘力が激増しだ。
「あたしちょっと調べてみますよ。そういうの、どういう風に持っていけばいいか」
「普通はプロモーションとかマーケ会社、それか広告代理店経由だろうなあ……。連中、仕事柄コネ凄いし」
ただ問題は、連中が動くのはいつも、商品化が決まってからという点だ。社内コンペで負け組チームの提案なんて段階で、乗ってくれるとは思えない。予算すら付いてないから、一円にもならないし。
実際、菜々美ちゃんも同意見だった。
「まあ任せて下さいよ。どうせ開発で時間がめっちゃ掛かるはずだし、その間に考えておくので」
「よし頼んだ」
「ならご褒美ってことで、お願いしていいすか」
また俺の腕を取ってくる。……なんか今日、ボディータッチ多いな。
「いいよ。なんだか知らんけど」
「今度また、奢って下さい」
「いい……けど」
「あれ。木戸さん、なんか黙っちゃった」
俺の腕に胸を押し付け、上目遣いで甘えるように覗き込んでくる。
くそっ。このおねだり攻撃キツいわ。いい香りするし。結菜なんかだと純粋に体の匂いで、それでも強力なんだけど、菜々美ちゃん、それに加えて化粧系のフレグランスがあるからなー。
若さ+アピール力という総合攻撃力で、女子大生ってもしかして最強かも。俺、DEF弱いしなー。もっとポイント振っといたほうがいいなこれ。
「……ミシュラン星の寿司とかは、なしな」
「なーんだ」
腕を離して大笑いしてる。
「そこ気にしてたのかー。あたしもっと違うとこかと心配しちゃった。木戸さん、女子高生にキープ扱いされててかわいそうだし」
「そこって言うが、大事だろ。俺だって無限に諭吉扱いされたら倒れるし」
他の三人とも飯って話にされてるしな。すっかり便利なATM扱いじゃんよ。
「次はもつ鍋とかで。安いとこ」
「正気か。今は夏だぞ」
「冷房ガンガンで鍋だからいいんじゃないすか。後でシャワーして汗、流せばいいし」
「それもそうか」
真冬に暖房入れてアイスとかもあるしな。もしかして菜々美ちゃんのが、俺より食品メーカー向いてるかもな。発想が柔らかい分。
「さ、飲みましょ」
俺に冷酒を注いでくれた。
「あたしも今日、飲みたい気分なんだー。酔っ払っても木戸さんが介抱してくれるから安心だし」
まあなー。実際、美月ちゃんをタクシーに押し込んだりもしたしな。
「だからとことん、付き合って下さいね」
菜々美ちゃんは、微笑んだ。
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