7 夏休みの秘め事

7-1 海の日。ドライブ。夕焼けの手つなぎ。

「わあ、きれいな夕焼け」


 西伊豆スカイラインの駐車場。レンタカーの助手席から飛び出した結菜は、雄大な光景に両手を拡げた。


「言っても七月だから、まだまだ夕暮れまでは時間があるがな」


 車を降りると、俺も伸びをする。伊豆を半周する感じでドライブしてきた。休み休みとはいえ、やっぱり疲れたわ。


 とはいえたしかに眺めはいい。そこそこの高所だから、夕陽に金色に輝く駿河湾と富士山が見通せるし。おまけに空気が澄んでる。都内とは段違いだな。


 海の日絡みの連休を使って、遊びに来た。なんせ休みに結菜とふたりっきりで部屋に籠もってると、危険だからな。男を誘うようないい匂いがするし、事あらば迫ってくるし。裸で抱き着いてきたり風呂に乱入してきたり。


 かろうじて一線は越えてないが、部屋にいたら時間の問題だ。なので週末もなるだけ外に連れ出すことにしている。なんてことはないんだ。映画観たり公園散歩したりだからさ。


 これもう彼氏彼女のデートなんじゃないかと、ふと思うことがある。その考えは秒で圧殺するんだけどさ。なんせ俺、結菜に告白してたくらいだ。このあたり考えすぎると、それこそ手を出しそうな自分があるからさ。


「気持ちいいねー」


 腕を拡げたまま、くるくる回っている。人の気も知らんと、のんきな奴だわ。長い髪が広がって、夕陽を反射して輝いている。


「はいお兄。お茶」


 海を見下ろすベンチで、結菜がペットボトルを手渡してくれた。


「おう」

「ここ西伊豆スカイラインって言ってたよね。道がくねくねしてるから、目が回っちゃったよ」

「そうか」


 駐車スペースの車を、俺は振り返った。


 そんなには飛ばさなかったんだがな。なんたってレンタカー屋で一番安いリッターカーだし。そもそも飛ばす車じゃないしな。


「ここからは山を降りて西伊豆の宿に入るだけだ。まあゆっくり走るよ」


 これ以上ゆっくり走ったら亀も同然だけどな。まあいいや。


「やっぱり海は気持ちいいねー」

「まあ、遠目に見てるだけだけどな」

「でも最高だよ。……旭川には海なんかないし」

「そういやそうだな」


 なんたって北海道でも結構な内陸だからな。


「ただ広いだけで、すんごく息苦しいところだよ。旭川」


 ぽつんと口にする。山に囲まれた盆地とかだと、そう感じる奴も多いらしいがな。いつか外に出たいって、子供心に思うとか。


「んなことないだろ。北海道第二の都市じゃないか」


 一応否定しておく。


「大人はいいよ。遊ぶ所多いし。……お父さんとか」


 眉を寄せている。自分の炭酸水を、黙ったままぐいっと飲んだ。そら父親が女遊びして家庭壊れたんだしな。


「ねえお兄。お父さんとお母さんが仲悪くなったときあたし、どうしたら良かったのかな」

「どうなんだろうなー……」


 適当に繋ぎながら、どう返事するべきか考えた。


 ここは誤魔化すわけにはいかない。ちゃんと答えてやりたいが、そもそも人の家の事情に能天気に口を挟んでいいものだろうか。


 父親にも母親にも、それぞれ言い分があるはずだ。どちらかがより悪いってのはもちろんあるかもだが、事情を全く知らない俺が判断すべきかは疑問だ。


「どちらかの味方をするってのは、厳しいかもな。子供の立場だと」

「でも最初に浮気したのはお父さんだよ」

「父親が悪いと思うのか、結菜は」

「ううん。……その前にお母さんも、いろいろひどいこと言ってたし」


 首を振った。


「どっちが悪いのか、わかんない」

「ならふたりそれぞれと、普通に接すればいいんじゃないか。子供として」

「ねえお兄」


 横を向いて、俺をじっと見つめてきた。


「男の人って、エッチなこと好きなんでしょ」

「どうなんだろうな……それは」


 まあ好きだが。


「人にもよるだろうが、チャンスがあればって奴は多いんじゃないか。だから結菜もガード固めとかないとヤバいぞ。バイト先にも変な奴がいても不思議じゃないからな」

「好きならいいんじゃないかな」

「好きならな。……でも、体が目的で近づいてくる男もいるからな。好き好き言うだろ。口からでまかせで」

「洋介兄は去年、あたしに告白してくれた。それって好きってことでしょ」

「……」


 俺は黙った。なんだかヤバい方向に話が進んでいる。なんか言うと危険だと、男の本能が教えてくれてるわ。


「好きならエッチなことしてもいいよね」

「でもお前、俺の告白断ったじゃないか」

「それは……そうだけど」


 また海に視線を戻した。


「断られた時点で、俺の気持ちはリセットされたんだわ。だからもう普通のゲスな男と同じだ。俺から身を守れ」

「そんなものなのかな」

「そうさ……。結菜こそどうしてだよ」

「どうしてって、なにが?」

「俺のこと振ったくせに、なんでエッチなことしたがるんだよ、俺と」

「それは……」


 黙っちゃった。また炭酸水を飲む。


「言わない」


 どうにも、ここんとこだけ頑固なんだよな、こいつ。多分寂しいからとかだろう。どこぞのチンピラに捕まってヤラれちゃうよりは、寂しさが俺に向いてるほうがまだマシだ。俺が適当に攻撃だけかわしとけばいいのかもな。結菜のためにも。


 そのうち普通の生活に勝手に戻るだろうし。休学だって一年だもんな。最長あと半年とちょい、俺が耐えればいいわけだ。


「さて、腹も減ってきたし、そろそろ山降りるか」

「そうだね」


 結菜は立ち上がった。


「なんでも金目鯛とか海の幸満載なんでしょ、晩ごはん」

「らしいな。随分前、会社で話題になってた宿だし、間違いないはずだ」

「楽しみだよねっ。はい」


 手を出してきた。迷ったが、手を握ってやる。このくらいいいだろ。普段のエロ攻撃よりはかわいいもんだし。


「ほら立って、お兄」

「わかったよ」


 手を引かれ立ち上がる。手を繋いだまま、俺達は車に向かった。


「やっぱり旅行はいいね、お兄」

「そうだな結菜。まあゆっくり晩飯を楽しもうや」

「うん」


 嬉しそうだった。


         ●


「木戸様ですね」


 ホテルのレセプション。スタッフの女性に微笑まれた。


 思ったより小さなホテルで豪華な感じでもない。それでも地方の旅館然とした雑然とした印象ではなく、ちゃんとした街場のホテルのように端正な内装。スタッフもピシッとしたブラックスーツ姿だ。


 ロビーの海側には大きな窓があるので、夕陽に輝く駿河湾が見えている。


「本日から二泊、スタンダードダブルで伺っております」

「ツインですね。スタンダードツイン」

「失礼いたしました」


 立ったまま、目の前の端末を操作している。


「ダブルでお伺いしているようです」

「おかしいな……」


 ちゃんと予約サイトを使ったはずだが……。


「手違いかもしれません。恐縮です」

「ツインに変えてもらえますか」

「あいにく満室でして……」


 そりゃあな。海の日絡みなら仕方ない。ここまで道がたいして渋滞してなかったのが奇跡なくらいで。


「キャンセルされますか。もちろん無料です。あと、一年間有効の割引クーポンもお詫びにお付けしますが」

「困ったな……」

「あたし、ダブルでいいよ。せっかく苦労したんだから、今さら困るし」


 結菜が口を挟んできた。


「困る?」


 なに言ってるかわからん。


「それにダブルってよく知らないけど、ベッドすごーく広いんでしょ。ならむしろ余裕じゃん」

「うーん……」


 そういう話じゃないんだがな。同じベッドはさすがに……。


「いいよ。ダブルでお願いします」


 勝手に話を進めている。


「……」


 無言で、スタッフは俺を見つめてきた。


 正直、困った。キャンセルしてもいいんだが、問題は宿が見つかるかどうか。ここが満室なら周辺もあらかたそうだろう。学校も夏休みに入ったばかりだし。


「ではダブルでお願いします」

「かしこまりました」


 決めた瞬間、なぜか結菜がガッツポーズしたけど、まあしょうがないよな。結菜とは毎日同じ部屋で寝てるんだし、理系的に判断するなら大差ない。ちょっと寝床が同じになるだけだ。それだってこれまで稀にあるし。あいつに酒さえ飲ませなけりゃ、危険がアブナイ展開にもならないだろ。


「こちらがキーになります」


 割と古臭い、アクリルのジャラジャラが付いたキーを受け取ると、エレベーターへと向かう。


 そのとき、背後から声が掛かった。


「木戸」


 聞いたことのある声だ。


「木戸、なんでお前ここにいるんだ」


 振り返ると、やっぱり同僚の岸田だった。もちろん見慣れたスーツや白衣姿ではない。チャラいアロハ姿で、どう見ても宿泊客だ。


「岸田、お前こそなんで」

「てか、その娘……」


 きょとんとした結菜を見て、絶句している。


「コンビニの娘じゃないか。お前、付き合ってたのかよ」


 まずい……。とてつもなく。


 脇から汗がしたたったのを、俺は感じた。

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