4-2 混浴志願
「ここ?」
車が敷地に踏み込むと、結菜が前方を指差した。
「そう。涼風郭本館。写真で見るより立派だな」
今晩の宿だ。見た目はそこそこ風格ある和風旅館で、車で入っていくエントランスから前庭にかけても、樹木がしっかり手入れされている。
「高いんじゃないの、ここ」
俺の横顔を、心配そうに見つめている。
「……大丈夫?」
「そんなに高いわけじゃない。子供がそんなこと心配すんな」
宿代は、高級旅館ってほどでもない。それに俺、趣味もないしグルメもせんしな。たまには散財しないと、なんのために生きてるのかわからんわ。
「子供じゃないし。ほら」
服のウエストを絞って、胸を見せつける。
「もうその攻撃は慣れた。ワンパだな、お前」
「ちぇーっ。JKのアピール力は鉄板なはずなのに……」
腕を組んで怒ってるな。
「どこの情報だよ、それ」
「別の手を編み出すしかないか、はあ」
「ほら、降りろ」
エントランスに近い駐車場所を選ぶと、車を出た。トランクからふたり分のバッグを出すと、肩に掛ける。
「自分のは持つよ」
「いいって。どうせ一泊だけの荷物だし」
とは言ったものの、結菜のバッグ、微妙に重い。一泊旅行なんて、下着だけ入れとけばいいくらいなんだけどな。歯ブラシとかは宿にあるだろうし。なんなら今時、替えのパンツにしてもそこらのコンビニで買えるから、手ぶら上等ってくらいで。
「コロコロ買えばよかったね」
「それこそ無駄使いだろ。あんなバッグ、海外旅行とかで使うもんだ。一泊くらいならいらんだろ」
「それもそうか。……うわ豪華」
ドアを抜けると、広々したレセプションだ。ここは別に木造ってわけじゃないが、黒光りする古木を梁や棟木「風」に使っているから、風格はある。
「ねえ高いんじゃ……」
「ほら行くぞ」
レセプションで名前を告げると、部屋に案内された。
「部屋も広いねー」
仲居さんがいる間は猫かぶってたけど、いなくなった途端、腕を拡げてくるくる回って喜んでるな。
そう広くもないんだが、俺の狭ボロアパートと比べると落差は凄いわ。
この旅館では安い部屋だった。だから部屋自体は十二畳ってとこかな。
部屋には、大テーブルと座椅子がある。テーブルには茶と菓子のセット。
大きな掃き出し窓の前は板張りになっていて、小さなテーブルに椅子が二脚置かれていた。掃き出し窓で繋がるバルコニーには個室温泉が設けられていて、湯船が湯気を立てている。
「ねえ、お菓子あるよ」
座椅子に座り込むとさっそくガサガサ、物色してるな。
「これ、食べていいのかな」
訴えるように俺を見る。
「いいんだよ。無料だ」
「へへっ」
温泉饅頭とかき餅か。
「なんでも、風呂に入る前に菓子で血糖値上げたほうがいいかららしいよ」
「ほうはんら。ほのおはんひふ、ほいひいよ。ほひいも、はへなほ。ひま、ほひゃをひへふはら」
もう食ってるし。口をもぐもぐさせながら、お茶を淹れてくれたわ。
旅館のお茶って、まずくてもおいしいんだよな。なんというか、旅行風情があるからかな。まあここのはおいしかったけど。ウチで飲んでる安もんよりは、はるかに。
「晩ご飯の前にお風呂入るよね」
俺の分の饅頭も全部腹に放り込んで、ようやく落ち着いたみたいだ。
「せっかく温泉に来たんだからな」
「だよねー」
「鍵一個しかないから、俺が持ってくな」
「……なんで」
「女の子のが風呂長いだろ。部屋の前で待たされるの嫌だしさ。今この時間は、大浴場の広いほうが女湯らしいぞ。ラッキーだったな」
「ここでいいじゃん。せっかく部屋に個室温泉あるんだから」
「んじゃあお前はそれで入れ。俺は大浴場行ってくるわ」
そんなら鍵持ってく必要ないから、気楽だしな。
「なんでよ。一緒に入ろうよ」
「アホか」
「JKと同じ温泉とか、天国じゃん」
「お前裸になるだろ」
「温泉だしねー」
「却下だ」
「ちぇーっ、ケチ」
ふくれっ面になると、残ってたかき餅をバリバリ噛み砕く。
「……裸でなけりゃ、いいんだよね」
なに言ってんだ、こいつ。
「ならプランBで行くしかないか……」
自分のバッグを引き寄せると、中をごそごそ漁る。
「じゃじゃーんっ」
なにか派手派手柄の布を手品のように取り出すと、見せびらかすようにひらひらする。
「……なんだよ、それ」
「水着。これなら裸じゃないし」
「俺が裸だろ」
「ほら」
またなんか取り出した。黒くて小さい奴。
「ちゃんと洋介兄のもあるよ」
「いつの間にこんなん買ったんだよ。それに金は」
「安心して、高い奴じゃないから。お兄にもらったお金があるし、バイト代もあるからね」
こいつ……。
なんだよ用意いいじゃんよ。
「俺は大浴場に行くから」
「はあ? せっかく準備したのに、無駄にするってわけ?」
またふくれてるな。
「広いほうが気持ちいいし」
「大浴場は晩ごはんの後にしようよ。あたしもそっちも行きたいし。せっかく部屋温泉あるんだし、両方楽しみたいからさ」
まあ、それはそうではある。
「なら決まりねっ」
俺がしばらく考えていると勝手に宣言。立ち上がると、さっさと服を脱ぎ始める。
「いきなり脱ぐなよ」
「あたしの裸、家でいっつも見てるでしょ」
「見てないし」
「あたしはお兄の裸見たもん。お風呂上がりに裸でぼーっとしてた」
「あんときゃ、お前が旭川に帰ったと思って油断してただけだわ。……ってか」
すでに着替えがヤバい領域に入り始めたので、俺は後ろを向いた。
「早く着替えろよ」
「これ、お兄のね」
背後からぽいっと、謎物体が放り投げられてきた。
「早く着替えてよね」
「くそっ」
俺は上着を放り投げた。
「結菜、お前も向こう見て着替えろよな」
「はいはい」
からかうような口調だ。くそっ……。どうしてこうなった。
●
「ここ、お風呂からも眺めいいよねー」
「まあそうだな」
ここは五階。バルコニーの個室温泉からは、箱根の山の青々した草木が見下ろせる。山の向こうはスコーンと空に抜けていて、富士山が意外なほど間近に見えていた。
「草の匂いと温泉の香りが混ざってるから気持ちいいし」
「まあそうだな」
個室温泉の狭い湯船にふたり。水着姿で並んでるから、外国人観光客の、日本文化初体験みたいだわ。
「お兄、まあそうだな、しか言わない」
くすくす笑ってやがる。
「あんまり動くな。こそばゆい」
個室温泉だけに湯船が狭いからな。否応なく肌が触れ合っていて、脇に柔らかな体を感じざるを得ないってわけよ。
「それにしてもお前、もう少し水着なんとかならなかったのか」
「なにが。かわいいでしょ、この水着」
ざばーっ。
立ち上がると横を向き、俺に水着姿を見せつける。トロピカルな赤と緑の花柄ビキニ。割と布地面積は小さいほうだと思うわ。結菜の奴、想像以上に胸の発育がいいな。普通の女子高生って、もう少し控えめなもんじゃないのか。……それとも今はみんなこうなのかな。俺、女子高生事情に疎いから、そのへん、よくわからんわ。
「ビキニじゃなくてワンピースとかさ」
「はあ? ダサっ。今時ワンピース着る子なんていないよ」
よく考えたら、女子高生というより女子全般に疎いわ、俺。彼女いたことないしなー、くそっ。
「よく見てよこれ。ハイビスカス、かわいいじゃん」
ぐいっと腰を突き出す。いやお前の腰、ちょうど俺の頭の高さなんだけど、あんまり見せるな。目のやり場に困る。
「かわいいかわいい。だからもう座れ。冷えて風邪引くぞ」
「それもそうか」
ざばーっ。
座るとまたぴったりくっついてきた。俺の左腕を取ると、胸に抱える。
「よせって」
振り払った。あんまり攻撃されると、自動反応しちゃうだろ。それに結菜の奴、なんで俺の水着、よりにもよってブーメランパンツみたいなヘンな奴、選んだんだよ。これ万一自動反応したら、上から「こんにちは」するだろ。
「ダサいダサい言うけどさ、お前の選んだ俺の奴、これも相当だぞ」
「一番安かったからさ」
けろっとしてやがる。
「布地が少ないからかな」
「自分のだけかわいいの選んで、俺のは安物かよ」
「なあにい……洋介兄、ブランド水着を買って欲しかったの」
にやにやしてるな。
「いらんわ。なんで温泉行くのにそんなん買うんだよ」
「でしょ。だからこれでいいよね」
嬉しそうに、結菜はまた俺の腕を抱えた。
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