59話 旦那の浮気はゆるさへんで!



 薮原やぶはら 貴樹たかきが社員旅行へ行った、翌日。


 5月4日の朝。


 薮原やぶはらたちはリビングにて、朝食を食べていた。


「ねーねー、おにーさん♡」


 薮原やぶはらの正面に真琴が座っている。


 昨日たくさん甘えたので上機嫌だ。


「きょーのご予定は~?」


 ゴールデンウィークも終盤にさしかかっている。

 薮原やぶはらの会社はホワイト企業なので、GW中はずっと休みなのだ。


 真琴は今日、部活がある。

 だが午後から練習のため、午前中は暇だ。


 午前中は薮原やぶはらと出かけたい……と考えていたのだが……。


「悪い、ちょっと出かける用事があるんだ」


「えーーーーーーーーーーーー!」


 真琴は初耳だった。

 つまり、出かけるのは、真琴とというわけではない。


「な、何しに行くの?」

「あー……ちょっと、千冬ちふゆさんと買い物」


「えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!?」


 真琴が先ほどよりも大きな声を上げる。


「声がでけえよ……」

「浮気じゃん! デートじゃぁーーーーーーーーーん!」


 知らず声が大きくなると言うもの。

 自分以外の女と、大好きな男が出かけるなんて、到底、真琴には許容できるものじゃなかった。


「浮気でもデートでもねえよ。ただ千冬ちふゆさんと買い物にいくだけだってば」


「それを世間一般ではデートっていうんだよー!」


 薮原やぶはらが小首をかしげている。

 だが女子の視点ではそうなるのだ。


「じゃあぼくも! ぼくもついてく! やましい気持ちがないんだったら、ついてってもいいでしょー!」


 ……浮気ではない、と薮原やぶはらが明言はしている。


 だが相手は綺麗な女性。

 そういう雰囲気になる可能性だって、十分あり得る。


 ならば一緒について行って、見張っておかねば!


「駄目」

「なんでー!?」


「おまえ……午後から練習あるっていっただろうが」


「んがっ……!」


 薮原やぶはらは、買い物が午前中で終わらない、といっているのだ。


 そんなに長く……千冬ちふゆと一緒にデートするなんて……!


「やだ……」

「え?」

「やだーーーーーーーーーーーーー!」


 真琴は立ち上がって、薮原やぶはらの隣に座る。

 ぎゅーっと、だきついて、わがままを爆発させる。

 

「やだやだやだやだやだやだやだーーーーー!」


 駄々っ子のように、薮原やぶはらの胸の中で首をぶんぶんと横に振る。


 この間の遠征の時は……我慢できた。

 薮原やぶはらが浮気しないと、信じることができた。


 でも……それでもまだ真琴は子供なのだ。

 愛する男が、他の女性と楽しく買い物にいくことを、許せなかった。


「子供かおまえは……」


 あきれたように薮原やぶはらが溜息をつき、真琴の黒髪をなでる。


「だめだめだめー! お兄さんはぼく以外の女の人と出かけちゃだーめー! お兄さんはぼくだけとデートしてればいいんだよぅ!」


 ぎゅーっ、と真琴が抱きついてくる。

 放したら、別の女と出かけてしまうから。


「明日おまえ、練習休みなんだろ。なら明日まで我慢なさい」


「でもぉ……! じゃあお兄さんは今日デートするの我慢してっ!」


「それはできない」


「どーしても!?」


「ああ、どうしても……大事な用事があるんだ」


 薮原やぶはらの瞳は、真剣そのものだった。


 そこにやましい気持ちは一切見て取れない。

 真琴は悩む。大いに悩む。

 大事な用事、とはなんだろう。


 薮原やぶはらから見たら、千冬ちふゆは叔母にあたる。


 何か家族関連の買い物だろうか……。

 それだったら浮気デートではないだろうけど……。


 それに千冬ちふゆは、自分の協力者だ。

 厳しいことを言うけど、真琴と薮原やぶはらの仲を取り持ってくれていた。


 隠れて浮気なんて……しない、と信じたい。


 ……それでも千冬ちふゆは、綺麗な女性だ。


 何か、間違いがあっても、不思議じゃない……。


「う~……うぅ~……」


 じたばた、と真琴が手足をばたつかせる。

 嫌だ、本当は嫌だ……けど。


「………………わかったよ」


 頑張って、真琴はうなずく。

 あまり長引かせて、彼を困らせたくない。


 薮原やぶはらはチラチラ時計を気にしていた。


 たぶんもうそろそろ出て行く時間なのだろう。

 

「ありがとう。じゃ、俺もういくな」


 薮原やぶはらは立ち上がって、真琴の頭をなでると、部屋を出て行く。


「部活、がんばれよ」


 ぱたん……とリビングのドアが閉まる。


 真琴はテーブルの上の、空いた食器を片付ける。


 洗って、掃除をし、洗濯をして……。


「うがぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」


 真琴はソファにダイブして、ぱたぱたぱた! と手足をばたつかせた。


「大事な用事ってなんなんだよぉーーーーーーーーーーーーーーーー! むにゃーーーーーーーーーーーー!」


 ぽかぽかぽか、と真琴がソファをたたく。


「ぼくを差し置いてっ、美人と一緒に買い物なんてっ! 悪い旦那さんだっ! きー!」


 ひとしきり不満を爆発させたあと……。


 ソファに突っ伏したまま、つぶやく。


「……なにしに、いくんだろう」


 薮原やぶはらが浮気しない……とは思う。


 今日までだってずっと、彼は自分を愛してくれていた。


 彼の真琴への愛は本物だろう。

 ……とはいえ。


「浮気は、ゆるさへんでぇ~」


 真琴からすれば、薮原やぶはらが他の女とどこかへ出かけることは、問答無用で浮気にカテゴライズされる。


 真琴は薮原やぶはらを独り占めしたいのだ。


 愛する旦那には、自分だけを見ていて欲しいのである。


「うー……気になる……でも練習がある……でも……きーにーなーるぅ~……」


 ぱたぱたぱたぱた、と手足を動かす……。


 そして……うなずく。


「うっ! あ、あたまがいたいー。あたまがいたいなー」


 真琴はスマホを取り出して、バスケ部のキャプテンに連絡を入れる。


「あ、乗鞍のりくら先輩?」


 電話に出たのは、男バスのキャプテン、乗鞍のりくら蒼太だ。


 バスケ部は、女バスと男バスに別れている。

 顧問への連絡は、女バスであっても、男バスのキャプテン(総キャプテンでもある)である乗鞍に入れることになっているのだ。


『やぁ岡谷おかや。どうしたんだい?』


「やー、実は朝から頭痛がいたくってー。うっ……頭がぁ~……」


 ようするに、薮原やぶはら達をつけるため、練習をサボタージュしようとしているのだ。


 電話の向こうで、乗鞍が苦笑する。


『愛しの旦那様が他の女性とデートでもして、気になってるのかな?』


「なっ!? なぜそれをっ!? さてはおぬし、エスパーかっ!」


『そう。僕はエスパーだからね。なんでもお見通しだよ』


 くつくつ、と乗鞍が笑う。


『サボるのならもうちょっと、声をそれっぽくしないとね』


「う~……ごめんなさい」


『いや、謝らなくて良いよ。わかった、僕のほうから、顧問の先生にはうまくいっとくから』


「えっ? いいのっ?」


『ああ。僕は君を応援してるからね。ほら、早くお兄さんとこ行ってあげな』


「うんっ、わかった! ありがとーキャプテン!」


 話のわかる人で助かった! と真琴は安堵の吐息をつく。


『あ、でもね岡谷おかや


 乗鞍が、優しい声音で忠告をしてくる。


『たぶん杞憂になると思うよ』

「きゆー?」


『思い過ごしってこと。今日デートにこっそりついていかないほうがいい』


 乗鞍が矛盾していることを言ってる。


 彼は、真琴の意をくんで、サボタージュを見過ごしてくれるという。


 だが、デートにはついていかないほうがいい?


「どーゆーこと? さっきと言ってることちがくなーい?」


『ははっ。まあね。でも君を応援してるのは本当だから。だからこその忠告だよ。明日までおとなしく待った方が良い』


 ……どういうことなのか、わからず、真琴は首をかしげる。


『選ぶのは君だ』

「んぅ~……でも、無理! ぼく、やっぱ気になる!」


『そうか。わかったよ。じゃあ顧問のほうには僕が休みって伝えておくから。君は君で頑張るんだよ』


「おけー!」


『あ、それと、お兄さんたちがどこへ行ったのか、知ってるかい?』


 あ、と真琴が遅まきながら気づく。


 しまった、聞いてなかった。

 

『川崎のショッピングモールに向かったよ。結構なかは広いけど、頑張って探せば合流できると思うから』


「…………」


 さすがに、違和感を覚えた。

 なぜそこまで、知っているのかと。


『ふふっ。言っただろう? 僕はエスパーなんだ』


「ほんとに~?」


『ほんとほんと。ほら、すぐ行ってあげな』


 ……乗鞍の言葉が真実かどうかは、わからない。


 ただ、他に手がかりがない以上、彼の言葉を信じてみることにした。


「わかった、ぼく、信じるよ!」

『ありがとう。じゃ、頑張って』


 通話が切れる。

 真琴は立ち上がって、ささっ、と着替える。


「よーし! しゅっぱつじゃー! 待ってろお兄さん! 浮気は……ゆるさへんでー!」

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