第三章 魔王の有給

第69話 有給休暇

 ヨハンたち竜の雛がギルド対抗戦【殺し合い祭り】への参加を決めた頃より、少し時間は遡る。殺し合い祭りの約二週間前の月曜日の朝。


 ヨハンこと哀川圭は緊張した面持ちで、部長のデスクの前に立っていた。副業で悪行超人でもしばいてるんですか? と問いたくなるような筋肉ムキムキの部長は、圭が提出した休暇申請書とPCの予定表を厳しい表情で見比べている。


「おい、哀川」

「はい」


 澄ました表情をしているが、圭の足は震え、背中には滝のように汗が伝う。目の前にいる部長ばけものの放つオーラは社会という戦場を生き残ってきた者のみが纏うことを許される【部長職の覇気】。気を抜けば一瞬で意識を持っていかれてしまうのだ。圭は腹部に力を入れると、覚悟を決めて部長の次の言葉を待った。


「19日の金曜日に有給が欲しいとのことだが……」

「はい。無理でしょうか?」

「いや、そうじゃない。いっそ、15日から19日までの5日間で有給を使わないか?」

「え……」


 圭は面食らってしまう。そんな事は考えてもいなかったからだ。


「この週は余裕があるからな。お前がここで有給を5日分使ってくれると助かる」

「で、ですがここで使ってしまうと、後に予定が入ったときに休めなくなってしまいます」


「おいおい、勘違いしてないか? あくまで有給5日は最低使わなくちゃいけない分だ。もし今後予定が入っても、残った有給分を使えばいい。みんなそうしている」

「はぁ……では、来週一週間休ませて頂きます」

「おう。ゆっくり羽を伸ばしてこい」


 軽くお辞儀をしつつ、圭は自分のデスクに戻る。そして卓上のカレンダーに赤ペンで○を付けていく。月曜から金曜まで休むので、前後の土日が繋がって……。


「あらあら9連休って……最高かよ」


 一人ほくそ笑む。だが一週間仕事から抜けるのだ。いくら忙しい時期ではないとは言え、今週中にある程度の仕事は片付けておかなくてはならない。


「よし、頑張りますか」


 圭はコーヒーを啜ると、気合いを入れるようにガッツポーズ。いざ仕事に取りかかろうとすると……。後輩がぴょこりと現れた。


「哀川先輩、来週休むって本気ですか!?」

「ええ。ちょっと予定があってね」

「ぴえん、寂しいです」


 本当に寂しそうに涙ぐむ後輩を見て、圭は微笑んだ。普段迷惑ばかり掛けられているものの、こういう所は、素直に可愛いと思った。


「哀川さんが居なかったら、誰にミスのフォローをしてもらえばいいんですか?」

「社会人なら、ミスしないように頑張りなさい。大勢の人に迷惑がかかるでしょ」

「え~でも私って愛されキャラじゃないですか? だからみんなも笑って許……ひ!?」


 後輩が舐めた事を口にしていたそのとき、急にプレッシャーを感じ、二人は背後を振り返る。するとそこには、先ほどまで自身のデスクに居た筈の部長が見下ろすように立っていた。部長は後輩を見ると、にこりと笑う。


「よう、デズニーランドは楽しかったか」


「はい、そりゃもう昼は遊んで夜は彼氏とラブラブ夢の行ってないです」

「そうか? だが哀川宛てのラインを見たんだが、あれはどう見ても……」

「ちちちち違うんです、あれは幻覚なんです。42℃すら超える高熱で走馬灯に近い幻覚を見ていたんですぅ」

「ほう幻覚か。そりゃ辛かったな。ところでお前、未だにミスを連発して哀川や他の連中に迷惑を掛けまくっているそうじゃないか」

「ええまぁ。きっとOJTしてくれた芋尾いもお先輩の教え方が下手くそだったからですねー。まぁ部下のミスをフォローするって当然ですし」


「そりゃそうだ。部下のミスは上司である俺たちが全力でフォローする。だが、お前にもいい加減戦力になってもらわなくては困る。という訳で……」


 部長は笑顔で、後輩にとって地獄のような提案を告げる。


「哀川が休みの間、俺が直々にお前を指導してやろう」

「え」


 涙目の後輩が圭を見つめる。その縋るような表情はとても庇護欲を誘う。これでも長い間、同じ部署っで先輩後輩として過ごしてきた仲だ。その目を見ただけで、何を訴えているのか大体わかる。


『たすけて』


後輩はそう訴えているのだ。

なので。


『無理』


と、目で返しておいた。


***


***


***


 そして時は進んで有給初日の月曜日。


 現実リアルでのやるべきことを済ませたヨハンは、早朝からGOOにログインすると、自らのギルドホームである闇の城へと向かう。


「とりあえず、部屋でヒナドラ吸いでもしようかしら」


 ギルドホームには、各ギルドメンバーへ部屋が割り当てられている。部屋の内装は各々が自由にカスタマイズできる。ヨハンは内装には拘っていない。だが、ヨハンの部屋、通称【楽園】には城のシステムによって召喚されたヒナドラやバチモン達が配備されている。

 ふれあい用、枕用、抱き枕用、お遊び用、吸引用と可能性は無限大だ。しかし、他のメンバーが居るときにはおいそれと自分の部屋でお楽しみタイムという訳にはいかない。

 ヨハンとて社会人。可愛いヒナドラを抱きしめて「きゃーきゃー」言っている姿がキツいという客観的な目線は持っているのだ。


 あんまり部屋に籠もっていて、他の女子メンバーに「部屋を見せてください」と純粋な目で見つめられでもしたら、断りきれる自信がなかったのだ。もしバチモンだらけの部屋を見られたりしたら。


「私のお姉さんなイメージが崩れるわ……」


 もうすでに崩れかかっている脆く儚いイメージに必死に縋るヨハンが会議室に到着すると、そこにはレンマが座っていた。

 いつものゴリラスーツ姿ではなく、異世界の町娘風な服を着た、可憐な青い髪の少女の姿で。レンマは驚いたような表情をする。それも無理はない。普段は夜にログインしてくるヨハンが、平日の朝から姿を現したのだから。


「おはようレンマちゃん」

「……おはよう。驚いたよお姉ちゃん。まさかこんな朝早く会えるなんて」

「あら、私有給取ったって、言ってなかったっけ?」

「……有給ってあの伝説の!? 聞いたら忘れないと思うし、言ってなかったと思う」

「あらあら……ところで、レンマちゃんは何をしているの?」


 レンマの手元を見てみると、薬草やら瓶やらが几帳面に並べられていた。


「……調合スキルを取ったからね。【殺し合い祭り】に向けて、ポーション類を作ってるんだよ」

「そういう仕事なら煙条Pが任せてと言っていたけれど」

「……うん。でも、煙条Pは今、小学生組の装備の生産で忙しいと思うから。こういう消耗品はボクが作っているんだ。ボクはこの程度しか役に立てないからね」

「……レンマちゃん」


(健気だわ。可愛いわ)


と目が潤むヨハン。


「私も手伝おうかな」

「……気持ちだけありがたく受け取っておくよ、お姉ちゃん。いい子だから触らないでね」

「戦力外通告されてしまったわ」


 最早アテにもされていなくてショックを受けるヨハン。そんなヨハンを不憫に思ったのか、言い過ぎたと思ったのか、レンマが口を開く。


「……お姉ちゃんは自分の用事を済ませて来なよ。こんな早朝からログインしたんだ。何か用事があるんでしょう?」

「うっ……」


ヨハンは言葉に詰まる。


 確かに用事はあった。だが、こんな風にギルドの勝利のために健気に頑張っている少女を見た後では、部屋に行って欲望の限りを尽くす……というのは気が引けた。なので咄嗟に嘘をつく。


「アスカシティを探索しようと思ってね。ほら、何か隠されたスキルが見つかるかもしれないじゃない?」

「……アスカシティか。そういえばコピペだと思って、あまり探索してなかったね」


 ヨハンは殆ど経験がないが、各階層の中央都市には人型のNPCが配置されており、様々なクエストを受注することができる。中にはスキルを得られるものも存在しているのだ。


「……ボクも行こうかな」

「いいわね。それじゃあ二人で遊びに行きましょう」

「……うん。久々にお姉ちゃんと二人でお出かけだ」


 レンマは部屋に連れて帰りたくなるような愛くるしい顔で笑うと、嬉しそうにメニューを操作し、いつものゴリラスーツを身に纏った。


「あ、やっぱりそれ着ちゃうのね」

「……うん。外歩くのは恥ずかしいからね」

「そ、そうね」


 こうして、魔王とゴリラは第三層最大の都市、アスカシティへと向かった。

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