ぶりっ子アイドルが深夜にカップ麺をいただくだけの話

焦り男

ぶりっ子アイドルが深夜にカップ麺をいただくだけの話

 映し出された偶像は一切の隙を見せず、在るべき彼女の姿を演じ抜いていた。


「この前たまたま立ち寄ったマカロン屋さんで買ったマカロンが、すっごくおいしくて──」


 私甘いの苦手なんだよね。


「色とりどりでオレンジとか水色とか、並べると虹みたいになるんですよ──」


 青系統は食欲が減退するから嫌だし。


「昨日の夜もおなか空いちゃって、一個だけ食べちゃいました。ないしょですよ、えへへ──」


 マカロン一つで満たされる胃袋なら苦労しないけど。


「今日も大変可愛らしい一面が見られて、ファンの方々もさぞ喜ばれているんじゃないでしょうか。という訳で本日のゲストは、アイドルの常夜とこよアカリちゃんでした──」


 司会者の締めの文言に合わせ、引きの絵に移り変わるカメラアングル。

 最後まで笑顔を絶やさない、然るべきアイドル像を確認してから、私はテレビを消した。

 黒一色の暗転した画面に映し出された私は、先ほど可憐な笑顔を振りまいてた少女とは程遠い、疲れ切った顔をしている。紛れもなく同一人物であるはずなのに。


 独りの部屋、ソファに寝転ぶ。


 私──常夜アカリは、現在売り出し中のアイドルだ。

 こういったテレビ番組に出演できるようになったのはちょうど一週間前で、今が一番大切な時期だったりする。このまま軌道に乗れば、知名度が上がりメディア露出も増えて、それに伴い仕事も増えていく、そんな期間。

 下積み時代の長かった私には、どうしても今が最後のチャンスに思える。だから失敗しないように気を張って、人々の前ではいつだって完璧な自分を演じているのだ。

 私のキャラクターはいかにもこてこてな、謂わば記号化したアイドル像だった。

 品のない話題を振られれば知らないふりをして、ふわふわと養殖物の天然ボケを繰り出す。扱いづらそうで扱いやすい、少し浮いていてけれど馴染みのある、そんなテレビ的な芸風こそ、私がアイドルをするうえでの方向性だった。

 事務所にこういうキャラクターとしてやっていこうと提案されたわけではなく、私個人の憧れというか、アイドルとはこう在るもの、という思いが指針になっている。

 だから当然好きでやっていることになるのだが、やはり常に気を張っていると精神的な消耗もあるわけで、


「あー……」


 疲れ切った声が出る。液晶の中で聞く猫撫で声はどこへやら。

 本当の私は家の中にだけ存在する。両親の前にだけ現れる。

 それ以外は嘘の私だ。嘘は嘘でも好ましい嘘。疲れはするけど自分の望んだ道で、大変ながら満足もしている。

 実際の私は無気力で不愛想で、口も性格も悪い。声も低くて、ファッションへの頓着もない。負の感情だけ人並み以上にあって、それ以外は全部人並み以下。

 そのちょうど逆を演じることで、私のアイドルは完成する。

 その二面性に楽しさを感じたりするのだ。


 今日もブラウザを立ち上げ、大手SNSサイトでエゴサーチを行う。

 これが毎日、帰宅後の私のルーチンワークになっていた。

 常夜アカリ、アカリちゃん、あかりん……その他合計五パターンで検索を行い、私に関する言及の全てに目を通していく。

 愛称に近いほど肯定的な意見が、フルネームであれば否定的な意見が多分に散見される。


「かまととぶってる……親が悪口言ってた……はいはい」


 見飽きた否定意見を復唱していく。もう何度も言われてきたので何も思わない。

 というのも嘘で、今でもちょっとは傷つく。

 やはりアイドルを目指すうえで、人によく見られたいという思いは少なからず存在する。だから愛されようと猫かぶりを振りまくのだ。しかし好かれようとしたその振舞いが、かえって鼻についてしまうということは往々にしてある。

 否定意見を取り入れ、あざとさにも嫌われない塩梅を見つけ出す必要がある。そのためにエゴサーチは重要だ。

 肯定意見で否定意見を挟み、精神的安定を図りつつ本日分のSNSエゴサーチを終える。


「よし、次は……」


 電子掲示板。

 ここはSNSと違い完全匿名性になっているので、五割増しの毒が食らえる。自分の悪口を調べるなんて当然したくないけど、後学のためだ。


「……」


 読み上げるのもためらうような罵詈雑言。容赦のない言葉の暴力。たまの肯定意見にどれだけ心を救われるか。

 ひとしきり読み通して、私はクッションに顔を突っ伏した。


「なにもしらないくせに……なにもしらないくせに……くそくそくそ……」


 繊維にこもった声音に力はなく、怒りを過ぎて感情は哀しみに暮れる。


「……はあ」


 ため息を吐いて、しばらくの静寂。

 無音を破ったのは、可愛げのない腹の音だった。


「……おなか減った」


 立ち上がる。何か食べる物はと部屋を見渡して──件のマカロンの箱を見つけ蓋を開けた。

 無。一つたりとも残っていない。

 当然だ。番組での話は大嘘で、実際は購入した当日に全て平らげてしまったのだから。

 冷蔵庫は空も同然で、卵が二つと長ネギが半分。これから米を炊くには、いささか夜が深すぎる。

 この憂鬱も空腹も吹き飛ばせる選択肢は一つだ。


「……あれ、やろうかな」


 頬を軽く叩き、身体に行動の意志表示をする。

 マスクに伊達メガネ、キャスケット帽に黒のダウンジャケット。万が一に備えて薄めの化粧。変装は完璧だ。

 深夜一時、アイドルはコンビニエンスストアに向かう。



「うぅ……さむ」


 冬空。寒天。冷気が肌を刺す。

 マスクにこもった白い吐息が、ぬるく口周りを温めた。


 歩いてすぐのコンビニエンスストア、自動ドアが私を迎え入れる。

 迷いなく進んだ先はカップ麺類のコーナー。

 一切の余念なく、赤いパッケージを手に取る。

 赤いきつね。

 冬下、これさえあればいいのだ。

 次に向かった調味料コーナーで、流れるように一味をつかみ取る。


「……あの」


 不意に、少女の声が近くでした。


「……常夜アカリさんですか?」


 私に向けられた声だと気が付き振り向くと、マフラーを巻いた女子高生が緊張した様子でこちらを見ていた。

 切り替えに一秒はかからない。私はプロだ。すぐにアイドル常夜アカリが姿を現す。

 声は出さずに純朴な笑顔だけ用意し、しー、と人差し指を立てる。


「や、やっぱり本物! す、すいませんいきなり話しかけちゃって」


 ジェスチャーに気づいて音量を下げる少女。街中を歩くと声を掛けられることもあるため、こういった対応には慣れている。


「ファンです……! えっと、いつも応援してます!」

「ほんと? とってもうれしい! ありがとっ」


 握手をしようと手を差し出すと、少女は大慌てで、けれど嬉しそうに握り返した。

 その人肌の暖かさと少女の可愛らしさで思わず、表情が綻ぶ。


「あの、それ……」

「ん?」

「そういうの食べるんですね」


 手元の赤いきつねを指さされ、思わずハッとする。深夜にカップ麺を買いにくるアイドルイメージは、間違いなく私にはない。

 どう言い訳しようかと脳をフル回転させた瞬間、予想外の言葉が続いた。


「なんていうか、アカリさんって完全無欠のアイドルって感じだったから意外だなって。庶民派な部分も知れて、もっと好きになっちゃいました」

「え、そ、そうかな。……えへへ、ありがとう」


 思わず顔が熱くなる。

 知らなかった。私は隙をなくすことばかりが正解だと思っていたから。

 見栄えばかりを気にして活動していた。けれど、こういった一面を好意的に見てくれる人もいる。それを知ることができたのは収穫だ。

 照れつつ、こちらも疑問を投げかける。


「そういえばだけど、制服でこんな時間出歩いて大丈夫?」

「……あっ……!」


 目に見えて焦った様子の彼女。


「じゃあ今日のことは二人だけの内緒ってことで。この出会いはお互いの胸にしまっておこうね」

「は、はい!」


 秘密の共有をする。小さな小さな秘密だ。それでも彼女にとって忘れない体験になってくれることを、密かに祈る。それこそアイドル冥利に尽きるというものだ。

 手を振り別れる。

 きっとこの本当に本当に些細な邂逅は、私にとっても忘れない一頁だ。



 お湯を注いで五分。この五分はあらゆるもののために用意された時間だ。

 私の場合は、


 帰宅してすぐ、沸かしたお湯をカップに注いだ私は、慣れた手つきでネギを切り始めた。小気味よい包丁の音がキッチンに響く。

 残り三分になった赤いきつねを再度開封して、切ったネギ、次いで生卵を投入する。

 二分。一分。

 いつもならあっという間に過ぎ去る時間が、何倍にも感じる。期待とは時空を歪めるのだ。


 携帯のタイマーが鳴る。時間ぴったり。

 蓋を開け切ると、甘じょっぱい匂いが鼻腔をくすぐった。

 湯気が上がりきった先に、待ちに待った光景がある。

 汁を吸った油揚げ、食感と栄養を増やしてくれる刻みネギ、いい具合に茹でられた卵。容赦なく一味を振りかける。相性は抜群。何度も食べているので間違いない。

 よし食べようと思って、ふと箸が止まった。


「……」


 写真を撮り、スマートフォンからSNSを開く。普段は可愛らしい雑貨や洒落た料理をアップしているメディア一覧に、今日の食卓が追加された。

 少し浮いていてけれど馴染みのある──そんな言葉が過る。


「いただきます」


 手を合わせてから、一口目を食す。

 予想通りの美味しさが胸に暖かい。

 ふと電源の点いていないテレビを見た。

 テレビ画面に反射した私は、憑き物の取れたような、そんな笑顔をたたえていた。


「よし、明日もがんばろう!」


 ぶりっ子アイドルが深夜にカップ麺をいただくだけの話。

 細やかな幸せが、夜を満たしていく。

 一人の部屋、一日の終わりにそう思えた。

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