魔獣使いの機械工作

 実験動物の飼育場である元・王立動植物園の建物が、一夜にして掻き消えた──という情報は、ダニエル・ディディエの心臓を氷でできた両手で握りしめるのと同義だった。


「魔法使い! フェルディナンド・ハーフナーはどこにいるっ!」


 氷の手で握りしめられた心臓とは真反対に、頭の方では血の気をたぎらせ、ディディエは大声で怒鳴りながらアウステンダムの魔法管轄省の中を走り回っていた。


「ああ、ここだよ。昨夜、実験場の方に手強い侵入者があったので、実験動物と愛玩動物たちは『アカデミオン』の私の実験場に緊急移動させてもらった」


 室長用の事務部屋の隣、貴賓用の応接室から探していた魔法使いの声が聞こえる。魔法使いはなにごとか、長い銀髪を後ろで結び、シャツのボタンをゆるめた仕事着っぽい服装をしていた。

そして貴賓室へと巨大な真鍮製の箱とやはり真鍮で出来た人体サイズの人形らしきモノを持ち込んで、六角レンチやら金槌、ドライバーなどの工具の類をそこら辺に無造作に散らかしている。

 その、さらさらと美しい銀髪を束ねた後ろ姿を、ディディエは苦々し気に見遣った。


「手強い侵入者だと?」


「ああ。白の一角獣を背負ったやんちゃなボウヤさ。あのボウヤ、一角獣の角の粉を服用しているらしく、こちらの手持ちの『合成獣』の毒が効かなかったのでね。あれだけ手を掛けたわたしの魔獣たちがやむなく一角獣にやられるくらいなら、『アカデミオン』に送ったほうがいいのではないかと思い、移動させた」


「白の一角獣! ではそれは、ジョゼット・クラーセンかっ!」


 頭に上った血が沸騰してくる。一角獣の位の騎士、ジョゼット・クラーセンとジーザス・オブライエン。そして歌姫ルシアの足取りは、情報部にもまったく分かっていないのだ。


「なにせ、わたしの幼い頃の『へその緒』の名前も知っていたからね。まぁ、間違いないだろう。服は清掃員のものを着ていたが、あれは洗濯屋の小倅だよ」


「なぜすぐに武装した応援を呼ばなかった! 一角獣位の騎士、それも地下活動家として暗躍しているジョゼット・クラーセンを捕縛できていたら、どれだけ情報戦で我々が優位に立てたかっ!」


 口角から泡を飛ばしながら、ディディエが貴賓用応接室で、フェルディナンドの襟首を掴む。同じ男性でも見とれるような美貌の魔法使いは、ようやく表情を歪めた。


「そう言われても、一人だけならわたしの魔獣で倒せると思ったんだよ。ところがあのボウヤ、剣の腕も立つし、魔獣に対して一向に怯えることをしない。そのうちに白の一角獣も加勢しだして、こちら側が不利になりかけた」


 ちっ、と小さくフェルディナンドが舌打ちをした。


「飼育中の魔獣の数をあまり減らすと、我が師匠から雷が落ちるかもしれないのでね。グレイス・『アシュタロト』・ゴドルフィン──あの方のご機嫌を損ねたくはないんだよ」


 ディディエの顎がガクリと落ちた。蒼白な表情で、フェルディナンドが『師匠』と宣うルブランス一の魔法の使い手の名を、悪い夢の中の出来事のように聞かされる。

 その女は魔女ではない。魔法使いでもない。女悪魔だと言われている。なぜなら革命前からの三十五年ほど前から、乳香の香りを纏ったその女は、まったく体形も髪の色も浅黒い色の肌艶も、異国の薫り高い容貌までもが変わらないのだ。


 元々その女は革命前、ゴドフロアがカフェやビヤホールで熱血的な革命思想を怒鳴っていた頃、かなり東の肥沃な三角地──今ではオリエントなどと呼ばれる土地から、流れ流れてルブランスに現れた女旅芸人らしい。だが、旅芸人らしく占いをしたり交霊術を行っていたりしたグレイスは、驚くほど見事に近未来の出来事を当ててみせ、衆人を驚かせていた。


 その力を体験したゴドフロアは、熱に侵されるようにグレイスの能力を絶賛し崇拝者となった。まぁ、それにはたっぷりとした黒髪で、男心を誘うすらりとした手足に豊かな胸、異国の香りを漂わせるグレイスの美貌もあってこそなのだったが……。


 なにしろその頃はまだ国王をはじめとする貴族たちが、専門の占星術師や魔術師を身近に囲っていた時代だった。ゴドフロアも自分の地位を高めるために、たちまちにこの女魔法使いと手を組んだのだ。


 そしてその頃グレイスにゴドフロアの相方として与えられたのが『アシュタロト』の二つ名だ。教会に属する神学者たちの間では、『アシュタロト』とはサタンやベルゼブブの次の地位に座す地獄の大公で、堕天使でもあった悪魔である。

 しかし、聖書すらなかったさらに古代の神話では『アシュタロト』は東方の地の豊穣の女神とされる。


バカ高い税金を信者に要求し、免罪符などといって尻拭き紙にもならない護符を売っていた教会の、古臭い一神教支配にも反対していたゴドフロアにとっては、『アシュタロト』グレイスと手を組んだことは、未来を予言する黒髪の女神を手に入れたと同義だった。


 実際にゴドフロアがグレイスを専属魔法使いにしてから、まるで狙い撃ちしたかごとくにゴドフロアの敵は死に絶え、『総統』としての座を猿回しの猿と呼ばれていた男が手に入れたのだ。


「……それで、許可なく貴賓用応接室を使って、フェルディナンド・ハーフナー、君は一体なにを作っているのかね?」


 室内の様子を見て、ディディエは語る内容の接ぎ穂を変えた。

 ディディエの目の前にあるのは、アップライトピアノが四個は入ってしまいそうな、巨大な真鍮製の箱だ。


 床に置かれた人形も、生身の人間から直接に型を取ったと思えるほどに大きい。そんなものが五体も床に無造作に横たえられている。

 箱の裏側もまた複雑な機構だった。おそらく理学魔法のことわりで組み上げられているのだろうが、フェルディナンドの魔力をそれは動力とするらしい。

 箱の中には何十という歯車やピストンの中に、曲がりくねった複雑な回路が作られている。そこにはめ込むように、木製の四角い板にいくつも穴が空けられ、それがキャタピラのように繋げられている。

 その時、フェルディナンドが真鍮製のとある形の金属型を自分の顔にかぶせて、おどけて見せた。


「な、なんだっ! その女の顔をした仮面はっ!」


 フェルディナンドの遣り口に、ディディエが動じながら叫ぶ。


「おや、君も知っている顔のはずだよ。五人分全部見せてあげるから、細工のほどを観覧するといい」


 そう言ってフェルディナンドはおもちゃ箱から大切な玩具でも取り出すように、床の上に磨き掛けられ金色に光る仮面を並べだした。


「我が妹、ルシアが『歌姫』の称号を授けられるまでは、国立歌劇場の女王と呼ばれていた──ソプラノ、ダリア・クリストフ」


 コトンと少し重たげな音がして、カーペットの上に中年女の顔をした仮面がおろされる。


「アルト、クロエ・モーリス──ルブランスから亡命し、わざわざ開放的なローランドにやってきて成功した」


 次の仮面も女性のものだった。小太りで美人という感じはしないが、歌劇の世界では脂の乗った年頃であろう。


「テノール、マルコス・カーマイカル。バリトン、ヨアヒム・ゴルチェ」


 今度は二枚、男の仮面が続けて並べられる。

 最後の一枚を取り出しながら、にやりとフェルディナンデスが嗤った。


「そして百年に一人現れるかどうかの才能を持っていた、カウンターテナー、ライヒャルト・ハーディング──少しでも音楽芸術に興味がある者なら、この五人の人選に仰天してくれるよ」


 爬虫類が子ネズミを咥え込んだ時の笑顔をして、フェルディナンドは五つの人形が、生きた人間だった頃の名前を告げた。

 ディディエは急に周囲の酸素が薄くなったような気がした。背中を怖気が走る。


「いや、だが……。それらは全員死人だぞ。ライヒャルト・ハーディング以外は二年前に護国卿閣下に対し不敬罪の宣告をうけ、死罪になった声楽家たちだ」


 顔色を青染めさせ、どこか身体を持たせ掛ける所を探しながら、ディディエが悪夢にうかされたように言う。


「ああ、だから保存用液に漬けて冷暗所で保存してあった。とにかく歌うたいは頭部から胸部にかけての構造を壊されるとなんともならないからね。絞首刑や斬首刑は避けて銃殺にしてもらった。できるだけ肝臓以外に穴を開けないでくれと注文してね」


 平然と恐ろしいことを告げながら、蠱惑的な笑みを浮かべたフェルディナンドは、箱状の機械に歯車と螺子留めを取り付け始めた。


「これは我が師匠からのご注文の品でもあるんだよ。とりあえず『サラマンデル号』で余興としてお披露目することはするがね。だからあと二日で完成させないと」


 などと言いながら、楽し気に機械を組み立てているフェルディナンドの横顔を眺めながら、ディディエはある事に気が付き戦慄した。


「ま、待て……。君は先ほど、歌姫ルシアを我が妹と言わなかったか?」


「ああ、言ったよ。まぁ、この容貌だけでも血縁者だと普通は疑うだろう? 真っ直ぐな銀の髪に氷青色の瞳。顔かたちも似ているし」


 さらりとフェルディナンドが発言する。


「な、なぜ、ローランド亡命政府の国威発揚にも使われている歌姫の兄が、ルブランスの魔法機関の重要人物として扱われているのだっ?」


「そうだねぇ……。第一にわたしが、ルシアを蛇蝎のごとくに嫌っているからかな」


 同性の男でも思わず惚れてしまいそうな艶っぽい流し目をディディエにくれながら、フェルディナンドは昔話をはじめた。


「ルシアを産んだ時に、わたしたちの母親は出血多量で死んでしまってね。呑んだくれの父親ひとりだけではわたしたちを育てきれず、聖クラース教会の隣の孤児院に預けたのさ──ところが……」


 教会付属の孤児院といっても、そこは預けた子供の四分の一は一歳になるまでに肺炎や下痢で死んでしまうような、劣悪な保育環境だった。

 読み書きを覚えるようになるまで生き延びられるほうが珍しく、ルシアの場合はたまたま同じ町内に乳の出がよかった洗濯屋のおかみが居て、毎日三回もらい乳ができたから成長できたといえる。


「なにしろ貧乏な孤児院だったから、大衆演劇で子役が欲しいといえば見栄えの良い子やおとなしい子を貸し出して、子供の手で小銭を稼がせていてね。わたしも何度も舞台に立って、幼い王子様の役などやらされたものだよ」


 そんな時に、新しく教会の大司教になったミュンツァー司祭が、孤児院の子供たちの行く末を案じ、身一つでも喰っていけるようにと歌を教え始めた。最初は讃美歌に流行り歌でもいっしょに歌わせて、寄付金を稼がせようという魂胆であったらしいが。


「ところが、ルシアの歌唱力はずば抜けていた。六、七歳になったころには、大衆劇場で流行り歌を唄い踊っては寄付金や小遣い銭をもらってくる稼ぎ頭になってしまったんだよ」


 どうしてだかフェルディナンドの眼に憎しみの色が混じる。それはどす黒い怨嗟の色でもあった。

 そう、孤児院の稼ぎ頭となった彼女には、世話をする修道女たちも一目置いた。寄付されてくる古着でも一番上等な服が与えられ、冬の『聖ルシア祭』でも、毎年ロウソクで飾られた金の冠をかぶる聖女ルシア役は当然のように妹の役目だった。

 同じ色の髪で同じ色の瞳で、容姿は負けていない自信があったフェルディナンドは、完全に妹の日陰側を歩かされた。


「そんなこんなでまた何年かして。わたしが十五歳、ルシアが十二歳になった時だった。まだ生きていやがった呑んだくれのクソ親父が孤児院にやってきたんだ──借金のカタにルシアを娼館に売る契約を結んできたとね」


 ルシアの声楽家としての才能を認めていたミュンツァー大司教は、堅く父親の要求を拒んだ。とにかく借金まみれの父親の手がルシアに及ばないようにと、修道院にかわいい愛弟子を匿った。

 その上で、国王に十二歳の少女が王立音楽院の奨学生試験を受けられるようにと直談判し、試験会場があった学術都市・ゴッセンまで大司教自らがルシアを連れて行ったのだ。

 ついでに、親には内緒に店の売り上げ金を持ち出して、はじめての家出をしたジョゼットも着いていったけれども。


 結果は見事なものだった。たった十二歳だというのにルシアは超絶技巧でコロラトゥーレの続く難曲を唄い切り、その場にいた審査員たちから絶賛を浴びた。受験結果が発表された日には、お忍びで様子を見に来ていた国王陛下と並ばされ、翌日の新聞一面を飾る写真を何十枚と撮影されたほどだ。


「なのに、兄のわたしは放ったらかしだったよ。いやそれどころかおぞましいことに、顔も姿も髪の色も美しかったわたしの事を父親はルシアの代わりに男娼として売ろうとしたくらいだ」


 孤児院で子供たちが面倒を見てもらえるのは十五歳までだった。ちょうど十五歳になったフェルディナンドは、これからの人生をどう一人で生きなければならないか、行く道の選択を突きつけられる時でもあったのだ。


「だからこの街から逃げ出したさ。わたしの魔法使いとしての能力をより高く買ってくれるだろう、ルブランスへ──」


 もちろん金などなかったから、魔法使いの殿堂『アカデミオン』の学生部に入学はできない。そのためフェルディナンドはその容姿と銀色の美しい髪と、しなやかな身体を武器に、次々とめぼしい魔法使いに弟子入りした。そしてフェルディナンド自身の才能もあったからだろうが、そう間もないうちにグレイス・『アシュタロト』・ゴドルフィンに目を掛けられ、ルブランス一の女魔法使いの弟子となる。


『アシュタロト』の目は正しかった。二十歳になるまでにフェルディナンドは叡智の殿堂でもある『アカデミオン』にその名を連ね、『魔獣』の作り手としてめきめきと腕を上げていった。

 一方では理学魔法の知識も砂漠に水を撒いたがごとくに自分のものとし、魔法技師としての腕も上げていった。


「本当に、三年前ルシアが捕らえられた時、ルブランスに連れてこられていたら、わたしは喜んであの妹を魔法仕掛けの人形にしただろうね。たとえゴドフロア総統の怒りを買ってもやっていただろうよ」


「じ、自分の妹を殺して人形にするとは……! 貴様、狂っているのかっ!」


 真っ直ぐにフェルディナンデスに右手の人差し指を向け、ディディエが怒鳴った。


「だって、老いさらばえてしゃがれ声でしか歌えなくなる前に、『歌姫』の称号を欲しいままにする若々しい声をそのまま永遠に歌える人形にした方が、どれだけ価値があるか。この歌唄いのための箱はね、魔力によって動き、ピアノの自動伴奏ができる。そしてジャポンの『和紙』という丈夫な紙でできたふいごで人形たちに空気を送り込み、天然ゴムで本物そっくりに仕上げた機械仕掛けの声帯を震わせるのさ。『サラマンデル号』で余興に披露するから、君も見てみるがいい」


 きっと驚くことだろう──と言いながら、フェルディナンドはにやりと笑い、六角レンチで大きな螺子を止める作業に精を出すのであった。

 ディディエは思った。この男は魔法使いではない──悪魔だ。女悪魔の弟子は悪魔なのだと。

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