8 カリヨン堂へ
8 見習い騎士の意地
アンリに宛てた小包が「五人の魔女の館」に配達されてきたのは、三日ほど降り続いた春の花を妬む雨が上がった日のことだった。
中に入っていたのは、新しく仕立てられた春物の服が一式に現金為替、そして家族 全員からの手紙だ。特に母からの手紙は、風邪を引かないように夜はちゃんとベッドで寝なさいだとか、腹を壊さないよう生水は飲まないようにだとか、遠い異国の大都会へと出ていった末息子に対しての心づかいが長々と書き綴られている。
この心配されようはなんなのだろう。自分はそんなに子供じゃないと思いながら、アンリはこまごまと街での暮らしに対して心配する、母からの手紙を読んだ。
ふと気づくと、一角獣の「青」が己の背後から手紙を覗き込むような素振りをしていたので。慌ててアンリは母からの手紙を勉強机の引き出しに仕舞った。
「『青』。僕宛てのプライベートな手紙は覗き見しないでよ」
唇を尖らせながら、自分の影の中に潜んでいて、なにかあると姿を現す一角獣にアンリは文句を言う。
そして早速郵便局へ出かけると、同封されていた為替を現金化し、当面の下宿代をガルド・ルルゥに支払った。
今やただの下宿人ではなく、見習い騎士の身分となったアンリから下宿代をもらうわけにはいかないと、最初ガルド・ルルゥは渋っていたが。けれど、食堂の仕入れに使うための金銭はいくらでも必要なので、結局は代金を受け取ってくれた。
「そういえば、アンリはまだ、おうちの方に手紙を出していないんじゃないのかい?」
思い出したようにガルド・ルルゥに言われ、一瞬、アンリは痛い所を突かれてしまったと思ったが、すぐに明るい表情で取り繕う。
「いえ、アウステンダムに着いた翌日に到着したと電報を打ちましたから。うちの実家は本当に山奥だから、手紙なんて届くのに何週間も掛かるので、電報の方がいいんです」
「でもねぇ。やっぱり親御さんはアンリの書いた文字を読んで、本当に安心されると思うんだよ。はがきの一枚でもいいから、小包が届いたことをご実家に報せてあげたら?」
問題はそこなのだ。このアウステンダムに着てからこの身に降りかかった事件を、真実手紙に書いて家族に打ち明ける訳にはいかない。大体、手紙を書いている間、背後からずっと一角獣の「青」に監視されていたらかなわない。
ローランド建国当時から存在している「青」は、なぜだか教師のように言葉の綴りに厳しく、スペルミスでもあろうものなら即座に注意される。
そしてまた、一角獣の見習い騎士となり秘密を抱えたアンリが、自分の実家へ宛てて便箋にびっしりときれいな嘘を書き連ねるのも、性格的に無理がある。
悩み込んだアンリの脳裏に、『はがきの一枚でもいいから』と言ったガルド・ルルゥの言葉が甦った。
(そうか。絵はがきなら、いいかも)
ふと、アンリはそんなことを思いついた。
はがき一枚ならそこに書く文章も短くていいし、アウステンダムの名所でも印刷した絵入りのものなら、家族も喜んでくれるだろう、きっと。
そんなわけで食堂の手伝いが終った平日の午後、アンリは家族に出す絵はがきを買い求めるため、街へ出ることにした。
「町中どこをうろついてもいいけれど、一角獣の『青』を他人の目に晒すような馬鹿なことはしないでね」
という、クリスティーネのきついお小言付きではあったが。
考えてみれば、純粋に自分自身の用事で街に買い物に出かけるだなんて、アウステンダムに着いてからこれが初めてかもしれない。靴紐を固く結び直しながら──なんとなくわくわくと気分が高揚した。
絵に描いたような青空が古い町並みの上には広がっていた。
街中には珍しく、ヒバリがさえずっている鳴き声まで聞こえてくる、そんなうららかな春の陽気だ。ただ、自分の足元に落ちる影の中では、一角獣の「青」が外へと出られず、気を悪くしているらしい。そんな気配が漂ってくる。
まずアンリが向かったのは、同じ旧市街の中にある簡易郵便局も兼ねる雑貨屋だった。
古ぼけた扉を押し開けると、郵便局長でもある老店主が、「いらっしゃい」とぞんざいに声を掛けて寄越した。薄汚れた漆喰の壁に、乱雑に日用雑貨が積まれた棚、カウンターの上では、明るい金色の毛並みをした聖クラースのお守り猫が一匹、のったりと身体を横たえている。
「あのぉ、絵はがきは置いてませんか? アウステンダムの名所が描かれているのがいいんですけれど」
「絵はがき、ねぇ……」
客の注文を聞いた店主は、老眼鏡を掛けなおしながら、カウンターの中から「よっこらしょ」という掛け声と共に出てくる。
「昔みたいに巡礼者が毎日のようにやってきた頃ならともかく、ルブランスの革命軍にこの街が占領されてからこっちは、こんな絵はがきしかないんだよ」
そう言って老店主が棚から取り出して見せてくれたのは、戦意高揚のための勇ましい軍人の絵姿に、「祝・アウステンダム無血占領」「新たな共和国家樹立のための勝利」そんなフレーズが、アウステンダムの新市街地の名所と共に印刷されたものばかり。
「できれば、戦争のことは書かれていないものがいいんですけれど……」
アンリが言うと、店主は口を「へ」の字に曲げて困った顔をした。
「そう言われてもねぇ」
つぶやきながら、人の良さそうな店主はしばし考え込む。
「んー……。うん、そうだ。あそこへ行けばまだまともな絵はがきがあるかもしれない」
「どこですか、そこは」
「聖クラース教会だよ。あそこの巡礼者相手の土産物を扱っていた売店になら、この街が自由だった頃の品物がまだ残っているだろう」
そう、振り仰ぐようにして老眼鏡の奥から、店主は視線を丘の上に遣った。確かにアウステンダムの歴史的名所として、そこほど相応しい場所は他にはないとアンリも思ったが。
「でも今は、教会へは一般市民の立ち入りは制限されているんじゃ……」
「直接教会に行くのが怖いなら、とりあえずカリヨン塔の方を訪ねて行くといい。カリヨン弾きの一家に事情を話せば、なんとかしてくれるだろうよ」
店主は親切にそう助言してくれる。
アンリは「どうもありがとうございました」と礼儀正しく一礼して、雑貨店を出た。そして丘の上に建つ聖クラース教会の尖塔を、仰ぐように見つめる。
坂を下れば「地獄門」へと続くゆるやかな道を逆に登ってゆくと、ほどなく聖クラース教会前の小さな門前広場へと行き着いた。
昔は巡礼者向けに露店まで出ていたという門前広場を横断して、アンリは教会のゴシック様式の大聖堂に正面から向かい合う。
さすがローランド一の格式を誇る教会だ。通っていた学校のあったクロマーニュの町にも教会は何箇所か建っていたが、大きさも高さもその装飾性の緻密さもまるで違う。
天へと向かって真っ直ぐに伸びる尖塔、隙間無く手の込んだ彫刻で埋められた石造りの外壁。
現在のような魔法機関が無かった時代に、この建物を、多くの職人たちが己の手で金槌を握り鑿の頭を打ち、石を削って、十字架の形に組み上げた素晴らしい建造物である。一体どれほどの歳月を掛け、この教会は完成したのだろうか──荘厳でいて、芸術的な彫刻でぎっしりと飾られた大聖堂の威容を、アンリは呆けたみたいに口を開けたまま見上げるしかない。
しかし大聖堂の正面の扉は、革命政府の命によって、あろうことか鎖と巨大な錠前で封印されていた。
これではどこから教会に入ればいいのか判らないと考え込んだアンリの耳に、十五分ごとに鳴る時報のカリヨンの鐘の音が響いてくる。
(雑貨屋のご店主は、とりあえずカリヨン塔へ行けって言っていたっけ)
助言を思い出しながら、アンリは大聖堂の脇から教会の敷地内へと入り込み、毎日規則正しく鐘を鳴らすカリヨン塔の元へと歩を進めた。
大聖堂と肩を並べるように建つカリヨン塔は、これまた素晴らしいゴシック様式の建物なのだが──アンリはギョッとした。
カリヨン塔の開け放たれた入り口の階段に座り込んで、なにやら笑い声を上げている二人の少年の片方は──あれは国民管理委員のドミニクじゃないか!
どうしようかとアンリが迷っているうちに、ドミニクの方が早速来客の存在に気が付く。
「いよう! こんな所へ何しに来たんだい、配給食堂の眼鏡くん!」
すっかり顔を憶えられてしまったようだ。国民管理委員の少年は、勢いよく右手を上げた。
「い、いえその……。ここのカリヨン弾きの一家の方に、お願いがあって……」
「うちになにか用か?」
ドミニクの隣に座っていた体格の良い少年が、いぶかしげに訊いてくる。その少年を、ドミニクはアンリに紹介した。
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