7 騎士たちの集合


7 騎士たちの会合


 屋根裏部屋のアンリのベッドの上、三分の一を占領する金色の巨大猫の耳が、ぴくりと動いた。

 夜明け間近。天窓のガラス越しに見える空では、すでに星々は藍色のカーテンに駆逐され、そろそろ太陽にその座を明け渡そうとしている。

 ゾティは身を横たえていたベッドから飛び降りると、窓際の勉強机を足がかりにし、天井近くに作られたお猫様専用出入り口から、スレート葺きの屋根へと這い出す。

 四方を見渡せば、白々と明けゆくアウステンダムの暁の空に、悠然と弧を描き、一羽の鴉が飛んでいる。

 猫と鴉──お互い、魔法使いや魔女のお供にぴったりの外見をしているが、その相性はすこぶる悪い。

 なにしろ、この世に創造主が猫という種族を生み出した時から、鴉は猫の天敵と定められている──少なくとも『聖クラースのお守り猫』の間では、代々そう言い伝えられているものなのらしい。

 教会の尖塔をひとめぐりするように大きく滑空し、大鴉は黒い翼を二、三度上下させる。すると、街のゴミ箱をあさるハシボソガラスより二回りは大きな全身を、誇らしげに見せ付けるふうに「五人の魔女の館」の屋根の上に降りてきた。

 しかし天敵の猫が天窓から身を乗り出しているため、威嚇のように翼は広げたままだ。金属的な光沢を持つ、太く長い嘴が細く開き「アゥルルル……」と、鳴き声が上がる。その姿は、まるで猛禽類のごとき威圧感を漂わせていた。

 一方の、屋根の上に上がってきたゾティも自然と全身の毛が逆立ち、尾が太くなる。瞳の虹彩も針のように細くなって、完全に戦闘態勢に入った。


「フッシャーッ!」


 ゾティの後足が屋根に葺かれたスレートを蹴る。咄嗟に飛び上がり、嘴と脚の爪とで大猫の眼を狙おうとする大鴉と、ゾティの姿が一瞬、交錯する。

 黒い翼から、はらりと一枚の羽根が舞い落ちた。

 巨大猫の身体からは金色の綿毛がひとかたまり、ふわりと風に流される。

 ゾティが着地した衝撃で、スレート屋根が激しく軋んだ。体勢を立て直す隙を狙って、大鴉が爪を打ち込もうとするのを、間一髪、横っ飛びで避ける。

 身体を半回転させ、今度は大鴉の無防備な背後へと回り込むと、ゾティがもう一度力強く、スレート屋根を蹴った。

 その時だ。


「……あの、お取り込み中申し訳ないんだけど。喧嘩なら別の場所でやってもらえないかな」


 屋根が落ちてきそうで、怖いんだけど──と、頭上の騒動に叩き起こされたばかりの夜着姿のアンリが、天窓から顔を出しながら言った。

 仲裁者の登場に、不完全燃焼の闘志をくすぶらせる金色の大猫は、名残惜しげに振り向きつつ屋根裏部屋へと引き上げた。けれど、もう一方の大鴉は、天敵が姿を消してもそこから動こうとしない。

 不思議に思ったアンリが、魔法仕掛けの眼鏡のつるを持ち上げながら、よくよく大鴉の姿を観察してみると──。


「あれっ?」


 人間の姿にも物怖じもせず、屋根から飛び立とうとしない大鴉の脚には、皮製のベルトでしっかりと括りつけられた伝信筒があった。

 しかも猫の姿が完全に視界から消え去るのを待っていたかのごとく、大鴉のほうから、アンリの居る天窓へと寄ってくる。

 そして大鴉は、まるで鷹狩り用に調教されたハヤブサのようにおとなしく、アンリの握りこぶしの上に止まったのだった。





「そうよ、この子は伝書鴉。アトゥっていう名前なの」


 すでに台所の大鍋はもうもうと大量の湯気を上げていた。とうに食堂の仕込みをはじめていたガルド・ルルゥのところへ、大鴉を抱えて連れていったら、そんな答えが返ってくる。


「このアトゥは、オオガラスとかワタリガラスとか呼ばれる種族の鴉でね、海をも越える強い翼と渡りの本能を持っているのよ」


 やはり体格といい闘争本能といい、そこいらの街角でゴミ箱を漁っているような、並みのカラスではなかったのだ。

「はい、ご苦労様。ご褒美よ」


 クリスティーネが、小さな器に生魚の内臓を入れて、オオガラスに与えている。鱈の肝臓を喜んでついばんでいるのを見ると、どうやらアトゥは、こういった魚の内臓が好物らしい。


「普通はこういう連絡任務って、伝書鳩の役目じゃないの?」

 ガルド・ルルゥは台所仕事で忙しそうなので、自然と、クリスティーネを相手に会話は始まった。


「ええ、本来はね。でも今は伝書鳩が通りそうな海岸線で、ルブランス軍が鷹を使って伝書鳩狩りをしているの。だから、鳩を使うのがだんだん危険になってきたのよ」


 しかしカラスを襲う鷹はいない。集団で襲われれば、自分よりもカラスの群れのほうが強いことを、鷹は本能で知っているのだ。


「それに伝書鳩って、飼育されている鳩舎(きゅうしゃ)に戻る時はいいんだけれど、情報を伝えたい側の人間が居る場所まで、運んでゆくのが結構大変なのよね」


「ああ、そうか。餌とか飲み水とか世話してやらなくちゃならないもんね、生き物だから」


「そうなのよ。わたしも何度か、バスケットに入れた伝書鳩を地下活動家の元に届けたことがあるけれど。伝書鳩って特別に栄養価を高く配合した餌を与えなきゃならないし、狭いバスケットの中に何日も閉じ込めておくと翼の筋力が低下するから、とにかくできるだけ早く情報を託して、鳩舎へ帰さなきゃならないのよ」


 もっと無線機の性能がよくなって、電信設備が整えば、鳩なんかに頼らずともいいのに──と、クリスティーネが本音を漏らす。


「しかも伝書鳩に使う種類の鳩って、本能的に海越えはしない鳥なのよね。でも、ハドニアの亡命政府と連絡を取ろうとすると、どうしても海峡を渡らなければならない。海峡超えができる伝書鳩っていうのは、優秀な血統と才能に恵まれている上、厳しい訓練に耐え抜いた、ほんの一握りのエリートだけなのよ」


 ルブランスとローランドとの開戦直後、翼の一部と片脚を散弾銃で傷つけられ、それでもなお、海を超えてハドニアの首都・トリンドンの鳩舎にたどり着いた「サムソン号」という伝書鳩には、人間並みに勲章が与えられたほどだという。


「で、伝書鳩の代わりになにか使える鳥はいないかと、考えた末の結果がこのオオガラスなの。正確には伝書鴉ではなくて、魔女の使い魔として育てたのだけど」


 けれど、それはまだまだ実験段階だ。なにしろ警戒心の強いオオガラスの巣から雛鳥を盗み取ってくるのは、並大抵の苦労ではないのである。雛鳥捕獲の任務に向かう者は、猛禽類並みに凶暴な親鳥に襲われ、流血し、針葉樹の梢から落下するのを覚悟の上で、巣まで登って行かねばならない。


「ふぅん……。それで、今朝はどんな情報を持ってきたの?」


 伝信筒の中には、数字がびっしりと書き連ねられた紙が入っていた。アンリにはさっぱり意味が分からないが、クリスティーネは手馴れたものだ。


「一番簡単な暗号よ。数字の1はA、2はBっていう具合に、書いてある数字をアルファベット順に置き換えればいいの」


 そう説明している間にも、すらすらと暗号を解読し、傍らの紙に鉛筆で活字体の文字を連ねてゆく。

 そして作業が終わり、改めて文章となった暗号文を目にしたクリスティーネは、これまでにアンリが見たこともないような、喜びの表情を浮かべた。


「やだ! 今夜、船長が帰ってくるわ! ガルド・ルルウ! 船長が帰ってくるんですって!」


 暗号を解き終わった途端、なんだかこれまで聞いたことがないような、うれしそうなクリスティーネの声が響いた。

 もしかして、今夜帰ってくるという「船長」という人に対し、クリスティーネが強い好意をもっているのだろうかとアンリは考え込む。それくらい弾んだ声をしているのだ。


「あらまぁ、そろそろ帰ってきてもおかしくないだろうとは思っていたけれど、今夜かい。それじゃあ、ベッドの用意くらいはしておいてやらないといけないね」


 大鍋をかき回す手は休めないガルド・ルルゥがそう言うのを聞いて、アンリは椅子から腰を浮かせた。


「あ、それじゃ僕、部屋空けます。今、僕が使っている屋根裏部屋って、本来はその船長さんが暮らしていたんでしょう?」


「そんなに心配しなくてもいいわ。あの屋根裏部屋は、もうあいつには狭すぎるもの。アンリが気に入っているなら、そのまま使ってくれてかまわないわよ」


 それに──と、ガルド・ルルゥが言葉を続ける。


「あいつは秘密警察の連中が狙いを定めている大本命だからね。隠れ住むにしても、公安や秘密警察のやつらに踏み込まれた時、すぐに逃げ出せる地上階や地下水路とつながっている部屋のほうが安全だわ。屋根裏部屋なんて、外への逃げ道のない場所に寝起きさせるわけにはいかないわね」


 またもや占領軍の指名手配者を館に受け入れなければならないガルド・ルルゥの瞳には、いつになく険しさが漂っていた。素直に船長の帰りを素直に喜んでいるクリスティーネとは、あまりにも対照的な姿だ。


「船長が帰ってくることは、風車小屋のおじいさんにも連絡行ってるはずよね。今夜はマクシィも定時で帰宅できるっていっていたし、ひさしぶりににぎやかな夕食になりそうだわ」


 がんばってご馳走を用意しなくちゃ──と、はしゃいでいるクリスティーネの笑顔があまりにもうれしそうなのを見て、アンリの胸に、なんとなく『嫉妬』という言葉が過ぎってしまった。


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