七人のクリスティーネ

 亡命先で、自分と同じ年頃の十代の少女も抵抗運動に加わっているという話しを聞き、心を押さえつけておくことができなくなった。周囲の制止に耳を貸さず、病床の父には一方的にレジスタンス活動に加わると告げて、危険を承知でクリスティーネは帰ってきたのだ。


「けれど、クリスティーネ。あなたは王位継承者である以前に、王様のたった一人の娘なんでしょう。万が一、身の上になにかあったら、どれだけ王様や国民が悲しむか……」


 感情論に訴えようとするアンリに対し、涙をぬぐい去ったクリスティーネは異様なまでに冷静だった。


「それじゃあ、あなたには特別に、ルブランスの革命政府軍が国境を越えて雪崩れこんできた時、どうして五日目で、首都アウステンダムが無条件降伏したか、その理由を教えてあげるわ」


 そう前置きしてクリスティーネは、なぜルブランス軍の電撃侵攻が成功したのか、その事情をアンリに解説しはじめる。


「この国にはね、正式には首都が二つあるの」


「はぁっ?」


 この緊張感あふれる場面で、アンリは間抜けな声を上げてしまった。


「だって、首都って、当然このアウステンダムじゃ……。辞典や地図にだってそう書かれているんだし……」


「ええ、法律上でもアウステンダムの聖クラース教会で戴冠した者でなければ、国王とは認められないと明記されているくらいだから、本質的に首都はアウステンダムってことになっているけれど」


 手近に地図があればもっと説明が楽なのに──と言いながら、クリスティーネは続けた。


「でも、王宮や国会議事堂や外務省などの政治的中枢機能があるのは、フォンデルという、ここから東部へ八十キロ程度行った所にある小都市なの」


「それって、首都機能を分散させてあるってこと? 一体、どうしてそんなことを」


「理由は単純。フォンデルの街は内陸部にあって、アウステン川の河口とライデン湾に囲まれたアウステンダムが洪水で水没しても、フォンデルは無事だから」


 つまりフォンデルは、最初からアウステンダムが簡単に水没する地形にあることを念頭に入れた上で、リスク分散のために造られた政都なのだ。


「それで話しは戻るけれど──ルブランスがローランド侵略を開始した時。その目的は、予想以上に長期化した、ドルンベルガー帝国との戦いで底を尽きかけていた軍資金欲しさだった。

 それを見越して、『世界一裕福な自由都市』と称えられていたアウステンダムの当時の市長は、わざとルブランス軍に無条件降伏することを申し入れ、交渉をできるだけ引き伸ばして、フォンデルから敵の目を逸らせたの」


「どうしてそんな無茶を……」


「その時フォンデルには、わたしが居たからよ。現国王直系のたった一人の王位継承者が」


 ぎりりと、クリスティーネが強く奥歯を噛み締めた音が聞こえる。

自分ひとりの身の安全のため、アウステンダムに暮らす八十万人の市民が犠牲になったのだ。

 そう思うと、これまで「すべての人間は平等である」と家庭教師に教えられてきたことが、あまりに虚しく聞こえてしまった。


「それに、フォンデルの政府機関に保管されていた王室準備金や政府備蓄金も、すべて運び出さなければならなかったし。とにかく大急ぎで脱出用の船に乗せられたわ。もしあの時、フォンデルから北海に通じる運河をルブランス軍に封じられていたら、わたしの命は無かった」


 どうやらクリスティーネには、物事を客観的に見る癖があるようだ。自分の身の上に起きた出来事だというのに、さらりと怖い台詞を吐く。


「ねぇ。そこのサイドテーブルの上に、写真があるでしょう?」


 言われてアンリが、安楽椅子の横にあるサイドテーブルに視線を落とす。と、絵はがきよりも一回り大きなサイズの写真(ポートレート)が、レース編みのテーブルカバーの上に写真立てに飾られ、載せられている。


「それ、わたしが六歳の誕生日に撮影した写真なの。そこに写っている七人の女の子の中の、誰がわたしだか分かる?」


「……ごめん、全然分からないよ」


 しばらくためらったが、正直にアンリはその質問に降参した。なぜなら写真に写っている少女たちは、全員似た顔立ちで同じくらい年齢の上、同じデザインの服を着て、同じ髪型に髪を揃えてリボンを結んでいるのだから。


「でしょうね。それは『七人のクリスティーネ』といって、昔からローランド王家につたわる風習なの。暗殺者や、呪いを仕掛ける魔法使いたちの目を紛らわすためのまじないの一種で、王位継承者には六人の影武者を仕立てて、成人するまで一緒に育てられる習慣なのよ」


「さすが三百五十年も続いている王家なだけはあるね。こんなに小さい頃から影武者まで揃えて、いろいろ大変なんだ」


「そうね。影武者の女の子たちも、みんな同い年でファーストネームはクリスティーネだったから、お互いを呼ぶのも結構ややこしかったわ。髪の色や顔かたちや背格好も似た者ばかりが選ばれて。着せられる服も、履かされる靴も、髪型どころか、髪に結ぶリボンの色までみーんなお揃いで」


 今思うと笑っちゃうわね──と、言葉とは裏腹に、まるで大切な肉親でも亡くしたかのような、ひどく沈んだ口調でクリスティーネはつぶやく。


「もっとも、その写真を撮った頃はみんな子供だったから、わたしにも彼女たちが影武者だなんて意識はまるでなかったわ。同い年の遊び友達が、一緒に暮らしているみたいな感覚だった」


 早くに母親を亡くし、他に兄弟もなく、父親も国王としての執務で忙しかったクリスティーネには、遊び相手の彼女らは無くてはならない存在だったのである。


「でも、ある時見てしまったの。影武者のクリスティーネたちの家族が面会に来た時、家族と別れなければならないという頃になって、アグネス・クリスティーネが、一緒に家に帰りたいと大声で泣き出したのを……」


 やはりまだ年端もいかぬ少女ばかりである。一人が泣き始めたら、後は堰を切ったかのごとく、影武者を務める全員が泣きじゃくりだした。

 物陰からその様子を隠れ見ていたクリスティーネは、言い表せぬ罪悪感に駆られた。


「わたしは、わたしの幸せのために犠牲になっている者がいるということを、その時知ったのよ」


 その時からクリスティーネの内には、『位高き者、務め多し(ノブレス・オブリージュ)』の精神が芽生えた。いつか彼女らの身の上に危険が迫ることがあるなら、自分がみんなを守らなければと、幼いながら固く心に誓った。

 しかし──その誓いは叶わなかったのだ。


「その写真に写っているうち、わたし以外に、今、消息が分かっているのはハドニアへ渡って影武者を勤めてくれている二人と、ルブランス軍にわたしの身代わりとして捕らえられた一人の、計三人だけ。あとの三人は、ルブランス軍のフォンデル侵略時に行方不明になったわ。たぶん、もうこの世の人ではないと思う……」


 その告白に、アンリは絶句せざるをえなかった。

 ある意味、それはそれで「七人のクリスティーネ」の一員として、立派に影武者役を果たしたと言えるけれど。けれどクリスティーネは、幼い頃から一緒に育てられてきた、家族同然の大切な人を何人も同時に失ってしまったのだ。


「だから、わたしは『務め』を果たしに帰ってきたの。占領下のこの国で、ルブランス軍の手により、どんなことが行われているか確かめるために戻ってきたの」


 自分だけ、犠牲にした数多くの生命の上にのうのうと暮らしている──そんなこと、耐えられなかった。多くの国民が密かに抵抗運動に係わっているのなら、おのれ自身も同じ状況に身を投じなければならないはすだ。それが位高き者であるがゆえ、自分に課せられた義務だからと、そう決意して。


「……そんな事情があったんだ」


 この少女の両肩には重すぎる十字架が担わされている。同情でもなく、哀れみでもなく、アンリはただ純粋に、背負わされた重責ごとクリスティーネを抱きとめてあげたいと思った。

 でもその想いは、すぐさま彼女の言葉の下に打ち砕かれる。


「少ししゃべり疲れたわ。悪いけれど、独りきりにしてくれない ?」


「うん、分かった──」


 今のアンリには、そう答える以外なかった。 

 今日は日曜日。全知全能の至高神すら、すべてを投げ出して安らぎを得た安息日なのだもの。このローランドの王位継承者とて、束の間の休息を与えられてもいいはずだ。

 本当は、できることならば、今はクリスティーネを只の十五歳の少女として相手してあげたいとアンリは思っていた。

 慰めてあげられなくてもいい。ずっと傍に付き添っていてあげたい──ほんの少しでもクリスティーネの力になってあげたい。

 でも、それは無理だ。彼女の側から一線を引かれてしまって、アンリは自らの至らなさを痛感させられる。

 アンリの知っているクリスティーネは、外面は人当たりがよく如才なく、でも実は可愛げがなくて高飛車で、頑ななまでに負けず嫌いな女の子だ。

 ようするに、自分の弱みを誰にも見せたがらない。

 多分、クリスティーネはこの隠し部屋で、独り泣いていたことさえ不本意で──。

 だとすれば、もはや今のアンリにできるのは、おとなしく自分の部屋に帰ることだけだった。

 だが屋根裏部屋への階段へと戻るべく、本棚で作った迷路のような部屋の角をひょいと曲がった途端、あの青毛の一角獣が──先のパートナーだと言っていたアジール・ダブリエの肖像画の前に、それを睨みつけるように立っていた。

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