女運の悪さには自信がある

 世の中に、運の悪い男というのは星の数ほど居るのだろうが。こと女運に限定するなら、自分もその悪さには自信がある──と、隻眼の風車小屋の番人は腕組みした。


(なにしろ四十年間、ひとりの女に振り回されつづけているわけだからな)


 そう、手の中のマドロスパイプを感慨深げに眺め遣る。

 そこには自分が昔、心底愛した女の横顔が彫り込まれていた。

 あいつに出会ったのは、自分が二十三の時だ。向こうは五つ年下で、最初から、お互い暮らす世界が違っていると判りきっていた仲だった。

 それでも惚れた。

 惚れ込まずにいられないくらい、あの小娘の姿が輝いて見えたものだから、悔しいほど、ただ純粋にその姿を目で追うしかない日々が始まった。

 その娘はローランド王国の女公爵の地位にあったが。十八歳の時、結婚で海を渡ることになった。

 ところが国の摂政でもあった父親は、女王命令のその結婚には反対しており、なんと北大西洋を中心に海賊稼業で顔と名前を売っていた自分のところへ「娘のマリエンヌを誘拐してほしい」と依頼してきたのだった。

 複雑な事情があり、マリエンヌ女公爵は当時ローランド王国と植民地紛争を起こしていたハドニア連合王国との間での、和平協定用の政治的戦略な結婚のための姫君として望まれていたのだ。

 しかも、マリエンヌ女公爵はドレスを着ていれば社交界の花になりそうな美人だったが。

 性格はとんでもないじゃじゃ馬で、海賊仲間たちの中でも「二丁拳銃のマリー」という二つ名が通用したほどの、荒くれ男にも負けない帆船乗りだった。


(けれども、一緒に居られたのは、ほんの一年くらいだったがな……)


 今にして思えば、それは嵐のような一年間だったとため息つくしかないが。


「もしも、あたしが夫婦別れして出戻ってきた時、実家が無くなっていたら困るじゃない。だから、しっかりうちの実家の面倒見ておいてね」


 そう言い残しあのじゃじゃ馬は、海を越えた隣国ハドニアの名門公爵家へと嫁いで行った。

 誰の目から見ても政略と分かる縁談だったけれども、それでも三人も子供を残したのだ。夫婦仲はそれなりに良好だったに違いない。

 やがて──あいつが目の前から消えて十年後。三人目の子供を出産した時に、産褥出血が止まらなかったため、あいつがこの世からも居なくなってしまったと聞いた。

 その噂を聞いて一年ほどの後、おのれの元に届けられたのは、彼女の横顔を刻んだ海泡石のマドロスパイプと、「もしかしたらそのうち、あたしの息子か娘が厄介事起こして、実家を頼ることになるかもしれないから。悪いけど、もうちょっとうちの実家の面倒見ておいてね」との、遺言だった。

 それから三十年経った。長年使い込んだパイプはすっかり煙草のヤニが回り、本来白くあるべき海泡石も、なめらかな琥珀色に染まっている。


(……ったく。なんで、あの時『指輪の誓い』なんてものを立てちまったのかなぁ。孫の代まで、その誓い通り面倒みる羽目になろうとは思わなかったぜ)


 ごうごうと風を切る回転羽根と、トウモロコシを粉に挽く石臼の音が響く小屋は、風車塔部分と、番人が暮らす居住部分に分かれている。

 今、風車塔の石臼周りで、トウモロコシ粉をハケで集めて袋詰めしている少女が、件のじゃじゃ馬の孫娘だ。

 その横顔を眺めながら、先月見たときよりもクリスティーネが少し痩せたのではないかと、風車小屋の番人は心配した。

 きっと市街地では肉類の配給も滞っているのだろう。ここへ来た時くらい、腹いっぱい食わせてやりたいものだと親心に似た感情が胸中にあふれてくる。


「すまないな。いつものように気前良くウサギ料理をご馳走してやりたいんだが。今日の昼飯は、こいつで勘弁してもらわなけりゃならん」


 台所の水桶の中には、ナマズが泳いでいる。グロテスクな姿とは裏腹に、切り身を焼いたりフライにすると意外と淡白な味わいで、遊水地ではコイやウナギと共に日常的に食卓に上る魚だ。


「わたしは構わないけれど。アンリは魚料理が苦手なのよ、骨を取った切り身を料理してあげないと食べないわ」


「そうか……。ならばもう一品作ろうか」


 さすが、船乗りが己の手で料理も出来なければ一人前とされていなかった時代の人間の考えだ。食料庫に吊るされている乾燥肉を白インゲン豆と煮込もう──などと、風車小屋の番人は腕を組む。

 パン種を発酵させるのも忘れていたから、蜂蜜とバターをたっぷり添えたパンケーキを子供たちにふるまうしかないだろう。

 もっとも子供たちにとっては、黒パンよりそのほうがご馳走に違いない。


「ウサギ料理をご馳走してやれなくなった訳はな、今月から軍へ供出しなければならないウサギが、十羽から一気に倍の二十羽に増えたからだ。やつら、ウサギをなんに使うと思う?」


「なににって……。食肉用でしょう、ここで育てられているウサギは」


「だが、肉にするついでに良質の毛皮も取れるのが、あの品種のいいところだ。どうやら軍の連中はその毛皮を欲しがっている。軍服の防寒着に、毛皮は必要不可欠だからな」


 ハドニア植民地でありながら、自治権とルブランス系移民の多さを盾に、今回の戦争に対して中立の立場を貫く新大陸の植民地・キャロラインでも、毛皮の値が高騰しているらしい。

 ルブランスの商人どもが、血眼になってキツネやラッコの毛皮を買い漁っているとの話しだ。


「毛皮が要るのは、冬将軍との戦いも想定しているからに違いない。どうやらルブランスのお偉方は、本気でこの冬、北の黒熊の巣穴を攻める考えだぞ」


「北の黒熊って、まさかバルクレイド帝国?」


 風車小屋の番人の言葉に、クリスティーネが眼を見開く。地球儀を北極側から眺めると、球体をほぼ四分の三周するほどに広大な領土を誇る北の大国バルクレイドは、その頂点に「ツァーリ」と呼ばれる皇帝を戴く絶対君主制国家である。

 我らこそ民主主義の啓蒙者、と信じ込んでいるルブランスの革命政府にとって、バルクレイドは民衆を奴隷として扱う、邪悪な独裁者が支配する帝国だ。当然、倒さねばならない。


「そんな馬鹿な。東部でのドルンベルガー帝国との戦いですら、泥沼に入り込んでどうにもならなくなっているのに。これ以上戦線を広げるつもり?」


 愚か者のすることよ──と、クリスティーネが表情をこわばらせる。


「まぁ。このままで行けば、ゴドフロアは世界中を敵に回す男になるんだろうな」


 独立戦争を支援されたコロンバイン合衆国でさえ、ルブランスの革命政府にはそろそろ愛想を尽かしはじめている。現在のところ、ルブランスが新大陸に有する植民地が首枷となって、コロンバインも大西洋のこちら側の戦いには口を挟まないが。

 それでも最近は、武器弾薬やその原料となる資源に関して、輸出規制を言い出しはじめた。


「前々から、戦費欲しさにルブランスが、新大陸の植民地すべてをコロンバインに売り渡すという噂はよく耳にする。もしそれが現実味──」


 二人の会話を遮るように、突然、「うわわぁーっ」と、悲鳴じみた叫び声が響いてきた。

 なにごとかと、二人が急いで窓から外の様子を見遣ると、黒犬に引っ張られた自転車が、ものすごい勢いで農道を突き進んでいる。悲鳴は、暴走自転車を止められないアンリが発したものだった。


「……古代スパルタ式の特訓か?」


 風車小屋の番人が、呆れたふうにつぶやいた。坂道がないローランドの自転車には、一般的にブレーキがない。普通に走っている分にはペダルを漕ぐのをやめればいいのだが、この場合、犬が走り止んでくれない限り、自転車も停止しようがない。


「男の子ですもの、少しくらい荒っぽい方法でも、バランスを取りながらスピードに乗ることを身体に覚えさせたほうがいいと思って」


 しれっと、クリスティーネが突き放したように言ってのける。


「そうだとしても、ちょっと乱暴すぎるんじゃないか?」


「わたしが自転車に乗れるよう練習した時には、後ろを船長が支えてくれていたけれど。けれど、そうやって補助者の手を頼りすぎると、かえって転倒するのが怖くなってしまうもの」


 安全に倒れる術を身体が憶えこまなければ、一人前の自転車乗りではないとのクリスティーネの物言いに、やっぱりあのじゃじゃ馬の血を引いた娘だ──と、隻眼の老人は苦笑させられた。

 先日、「五人の魔女の館」に新入りが来たことは、すでに風車小屋にも伝えられていた。

 ルブランス人だというのに、革命政府に対し悪印象を抱いている、中産階級出身の利発な少年と聞いたから、小屋の主人も興味を持ってその到着を待っていた。

 だが、やって来たのは頼りないほどにやさしい顔立ちの、いかにも世間知らずそうなぼうやだったので、拍子抜けした。眼鏡を外し、もうちょっと磨いて着飾らせたら、貴族の館にお小姓係として飾っておくといい感じの男の子だ。


「ああ、そうだ。船長から、昨日荷物をことづかっていたんだった」


 思い出したように風車小屋の番人は、防水紙で厳重に梱包された小包を、少女の手に渡した。「お父上からだ」との、ひとことを添えながら。

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