第四章 一角獣の騎士

4 一角獣の宮廷騎士


「舵、中央・ミジップのまま。機関、微速・テッドスロー」


「ヨーソロ、機関微速」


 船の先導役である水先案内人の声に、機関士が復唱した。

 敵国ハドニアと、ローランドの親国王派レジスタンスが仕掛ける輸送船狩りを警戒し、軍籍にある「スナーク号」はもっぱら夜間航行を専門にしている。

 しかし、夜の海を水先案内人の耳と眼のみを頼りに進むのは至難の技だ。

 これで嵐でもくれば、積荷を満載した老朽船が無事に目的地に到着できるかどうかあやしいものだと、水先案内人のギョーム・コラテオルは気難しげに唇をひん曲げる。


「そろそろ左手に三番瀬の灯台の明かりが見えてくる。そいつが見えたら、機関巡航速度を五ノット減速──」


「おいコラ、水先案内人!」


 傾きかけたオンボロ貨物船にはそぐわない、海軍士官学校を卒業したての若造が、神経質な小型犬のようにきゃんきゃんと吠え立てる。


「なんですか、船長。えー、二十四時現在、本船はライデン湾大堤防の通用閘門まで、あと約三カイリの海上を航行中」


 禿頭にやぶにらみの水先案内人は、おのれの孫といっても差し支えない年代の下士官をちらと振り返る。


「そんなことはどうでもいいっ! なぜ、この船の乗組員は、ルブランス語を使わないのだ!」


 正規の軍人は、「スナーク号」ではこの新卒下士官だけだ。ぱりぱりに糊の効いた制服の若造は、民間から徴用された乗組員に対し、高圧的な態度ばかりとる。


「それだけではない、軍の法規ではキロ、メートル法を使用することになっている。なのにこの船の者ときたら、カイリだフィートだノットだと、前時代的な計測単位ばかり口にしおって!」


「ンなこと言ったって、船長。二百七十年ばかり前、ガスパニオの無敵艦隊がハドニア帝国に破れてからこっち、船乗りにとっちゃ、ハドニア語が海の上での共通語なもんでね」


「わしらみたいな年寄りは皆、新しい法規を覚えられるほど、頭も柔らかくないしなぁ」


 などと、こちらはすでに本物の孫もいる一等航海士がぼやく。

 無理もない、軍用物資輸送に徴用された「スナーク号」の船員は、みな四十代から五十代。

 水先案内人のギョームに至っては六十過ぎなのである。

 立派に隠居爺となれる年齢だが、戦争で男手が足りないからと、こんな年寄りまでが軍属として狩り出されているのだ。


「おっと、三番瀬の灯台が見えてきた。ちょっくら舳先へ行ってきまさぁ」


 操舵指示は伝声管を使うから──と、ギョームは水先案内人としての職務を口実に、さっさとブリッジの操舵室を逃げ出した。

 船は、アウステンダムの西の港を目指して航行中だ。明日の正午までには港に接岸できる予定だが、北海とライデン湾を仕切る大堤防までは、海上の狭い水路を外れることは許されず気が抜けない。ここいらの海域は地形的に暗礁が多く、船はいつでも難破の危険と隣り合わせなのである。


「……帰ってきちまったんだなぁ」


 舳先に立って懐かしい北海の潮の香りを吸い込むと、ギョームはすっかり白くなった髭で覆われた口元に、複雑な微笑を浮かべる。新大陸の温暖なペドロ湾の暮らしに鈍りきった老体には、春とはいえまだ冷たい北海の風が凍みた。


「まったく、四十年ぶりだぜ。まさか、ふたたびアウステンダムへの沿岸航路へ帰ってくるとは夢にも思わなかったのによ」


 独りごちていると、周囲にやはり船長と反りの合わない、軍属の乗組員たちが次々と寄ってくる。


「爺さん。あんた、アウステンダムの生まれなんだって?」


「おうよ。こう見えても昔は、この辺りの海じゃ『海乞食・シーゴイセンのギョーム』ってな、ちっとばかり名を売ったこともあった海賊だぜ」


 昔々の話しだが──と、六十二歳にもなって故郷の海に戻ってきてしまった、元海賊という経歴を持つ老人は苦笑した。


「俺(おり)ゃあ、二十二歳の時に新大陸に渡ったんだよ。四十年ぶりに帰ってきたら、ライデン湾は大堤防で締め切られてるし、すっかりこの辺りの水路も様変わりしちまって、途惑ってばかりだ」


 噛み煙草をくちゃくちゃとやり、顔なじみになった船員たちにも煙草の箱を回しながら、ギョームは渋い顔をする。


「しかも船長は、尻に卵のカラをくっつけたヒヨッコだしな」


「あの野郎は、海軍が士官不足だからって、卒業を半年繰り上げて、ここへ回されて来たって話しだぜ」


「なんであんな、ろくに海図も読めないようなボンクラ寄越しやがるんだが……」


「腕っこきは、ハドニアとの海上封鎖合戦で忙しい地中海やタリー海峡側に配置したいんだろう。

 ま、今のところこのアウステンダム航路は比較的安全だし。新卒をこっちへ回して、そこそこ実務に慣れたらご栄転って寸法さ」


「その時はこんなチンケな貨物船じゃなく、立派な巡洋艦勤務ってわけかい」


 何十年もその貨物船の吹きっさらしの甲板に立ち続けてきた男たちは、揃ってため息をついた。この先、あの若造の勲章がいくつ増えても、自分たちの生活が変わることはないのだろうな、と。


「──ん?」


 夜陰にキラリと光るものを感じて、ギョームは咄嗟に遠くへ視線を向けた。


「右舷五時方向、船影……かな?」


 それにしては機関音が聞こえない。だが、なにかが夜の中に居ると勘がささやく。レーダーなどまだない時代、航海の安全は船乗りの五感に掛かっていた──ギョームはその時代を生き抜いてきた男なのだ。

 ギョームの嫌な予感は的中した。何の前触れもなく、突然「スナーク号」のブリッジは火の玉に包まれ、衝撃が船体を揺らす。


「敵襲―っ!」


 乗組員の誰かが、夜の中へ雄たけびを上げる。

 そうだ、こいつは俺たち「海乞食」の常套手段じゃないか──と、ギョームは舌打ちした。機関音を察知されないギリギリの水際で魔法機関を切り、手漕ぎオールで至近距離に忍び寄ってきたなら、再度機関を始動させると同時に大砲をぶっ放す。

 一撃でブリッジを潰した後は、小船から縄梯子で商船に乗り込み、銃を片手に通行税という名目で積荷を略奪する──暗礁が多いため、大型船がそれほど速度を上げられないこのアウステンダム航路だからこそ通用する手で、かつて「海乞食・シーゴイセン」と呼ばれた沿岸海賊が得意としたゲリラ戦法だった。

 夜の海上に白い航跡が現れた。五隻分の機関が、全速前進・フルアヘッドの唸りを上げているのを、ギョームの耳が捉える。


「ブリッジ! 被弾状況を報せろ!」


 応答はない。だが幸い、砲弾直撃でブリッジ全滅という事態は免れたようだ。あの新卒下士官がきゃんきゃんと吠えまくっている声が、伝声管を通し聞こえる。

 敵は水雷船よりも小さい、むしろ手漕ぎボートの大きさだ。だが、高出力の魔法機関を積載した短艇は、水を切り跳躍する小石ような軽快さで、海面を疾走していた。


「ったく! こんな暗礁だらけの狭い水路で、ミズスマシみたいにちょこまか走り回りやがって!」


 しかもそいつが五隻もいて、統率の取れた攻撃を仕掛けてくる──気休めに甲板に取り付けられている機関銃に取りすがりながら、ギョームは伝声管に向かってわめいた。


「ブリッジ! 敵の旗ァ、見えるか?」


『旗っすか? 夜なんで、そんなもの見えるかどうか……』


 今度は応答があった。情けない声を上げる一等機関士に、苛立ち混じりの罵声をぶつける。


「夜でも昼間のように見える、魔法仕掛けの双眼鏡でもなんでも使え! とにかく旗を確かめろ!」


 予感がするのだ。攻撃の際の手法から、相手は昔の馴染みだとの。

 もしもそれがおのれの予想通りなら、抵抗するだけ無駄だとギョームは腹を括る。


『相手の旗は、上からオレンジ、白、緑の三色旗。中央に盾の、ローランド王国の国旗っす』


「もう一枚、昔の海賊と同じで、船長個人の旗があるはずだ! そっちを確認しろ!」


『えーと、一角獣っす。ローランド王家の守護精霊の、一角獣に間違いない!』


「なにぃっ! 色は何色だ、まさか黒ってんじゃ──」


『そうっす、黒の一角獣っす! それじゃ、もしかしてアレ……』


「うーわーあーっ、機関停止! 白旗揚げろ! この航路で、あの黒い一角獣を相手にして無事に済むわけがねぇんだ!」


 ギョームの脳裏に、かつて北大西洋でその名を知らぬ船乗りはいないと怖れられた、隻眼の大海賊の面影が浮かぶ。


「やっぱり出てきやがったかよ、こン畜生め!」

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