夢の中で、祖父に再会

 夢を見ているのだと、自身が認識できるほどの浅い眠りの中──アンリ・パルデューの視界には、窓際の安楽椅子に腰掛けた祖父の姿が見えていた。

 いや、四年前夏の訪れを待たずに亡くなった祖父が居るからこそ、これが夢だと判るのだ。

 幼い頃から遊び場にして慣れ親しんだ祖父の書斎も、今は病身の兄のために改装され、夢のとおりの部屋ではないことをアンリは知っている。


『まったく、おまえという子は。選りにもよって「五人の魔女の館」などという、厄介な場所へ飛び込んでしまったなぁ』


 長い白髭をたくわえた長く白髪を伸ばした老人は、片眼鏡(モノクル)をちょいと指先で調節しながら苦笑いした。

 金縁の片眼鏡の下では、夏の終わりの頃の、まだ緑色のハシバミの実そっくりな瞳が、孫息子の現状に困り果てている心境を現している。


(……夢、なんだよな。僕がアウステンダムに来たこと、とっくに亡くなったおじいちゃんが知っているはずはないし……)


 安楽椅子から祖父は立ち上がり、杖を付きつつ、アンリの方へと近寄ってくる。そして孫息子の麦藁色の髪の毛を撫でるように、皴深い手を置いた。


『たしかに私は、広い世界を見て、おのれの頭で考えることを覚えろと教えたが。だがしかし選りにもよって、この聖クラースの丘から世界を眺め渡そうとは……』


 登ってゆく場所が高ければ高いほど、おまえの頭で考えなければならぬ問題は大きくなってゆくのだぞ──と、祖父はつぶやき膝を折る。アンリの瞳の奥を覗き込むがごとく、その眼差しを合わせた。


『実の娘ですら、これほど強く私の血を受け継いではおらんかったのに』


 緑色の瞳をしているのは、パルデュー家の人間では祖父とアンリの二人だけだった。そのせいか、家族や知り合いの誰からも、末っ子のアンリが一番祖父に似ていると言われたのは確かだ。


『おまえがそうやって、困難な道を歩むことを選んでしまうのも、やはり私の血を引いたためか?』


 どういう意味だろうと、アンリが祖父へ問い返そうとした時だ。急に、視界が霧にでも閉ざされたかのように、乳白色に濁る。


『人生とは、一人の人間に一度しか与えられない──だから、おまえはおまえの人生を生きるんだよ』


 頭の上に置かれた手のひらの温もりだけが、やけに生々しく感じられる中、祖父の声は牛乳を流したかのごとき濃霧の中に混じり、消えてゆく。



 刹那、夢は突然途切れて記憶の河へと霧散し、アンリは現実の側へと覚醒した。


「あれ? 」


 気がつくと、屋根裏部屋のベッドに寝かされていた。気を失ってから随分と時間が経過しているようだ、陽光灯を点していない部屋はすでに暗い。


「……僕、どうやってこの部屋まで戻ってきたんだろう」


 枕の脇には巨大猫も寝転んでいて、まるで十数時間分の時間を撒き戻したような、奇妙な錯覚にアンリは囚われた。けれど長袖のシャツに半ズボン、靴下を履いた外出着のままだから、今朝に戻ったわけではないとすぐに分かりはしたけれど。


(朝に巻き戻ってくれていたら、よかったのに……)


 もう一度「今日」という日を過ごせるならば、公開裁判になんか行かなかった。それだけは断言できる。

 あの子供たちは今頃、どうしているのだろう。そう考えると滂沱と涙があふれてきた。


(人間って……。同じ人間に対して、なんて残酷なことができるんだろう……)


 そしてなによりもアンリが恐ろしいと思うのは、自分も、子供の腕を切り落とした者と同じ、ルブランス人だという事実だった。

 学校では「ルブランス人として生まれたことを誇りに思え」と、教育されてきたのだけれど。だがしかし、あんな残虐な者たちがおのれと同じ国の人間なのだと思うと、胃袋に氷塊を詰め込まれでもしたかのような嫌な悪寒に全身が震える。


『ぅにゃあ!』


「……ゾティ?」


 ぐしゅぐしゅと泣き濡れるアンリには付き合ってられないとばかりに、ベッドから飛び降りた猫が、本棚が作りつけられた壁の隅でなにやらごそごそやっている。


「なにしてるの?」


 ベッドの上に座ったままアンリは眼鏡を掛け、ゾティがやることを見ていた。するとゾティは前足の爪を羽目板の隙間に引っ掛けると、おのれの体重を掛けて、壁に嵌め込まれた小さな引き戸を器用に開く。

そして、その先に続く暗い空間に姿を消してしまった。

 その直後、小さな扉はするりと閉じてしまい、また元の壁板の姿に戻る。


「……なに、これ?」

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