第5話 夫と恋人と異臭部屋
コンコン
まずは右手で軽くノックしてみる。…はい、出るわけないわよね。
ゴンゴン!
次は強めにノックしてみる。
それでもやはり無反応。きっといつもの2人きりの甘〜いイチャイチャタイムに突入しているのだろう。だから当然この部屋の中は人払い済み。ラファエルとアネットの2人きりというわけだ。
「す〜…」
大きく深呼吸すると…。
ダンッ!
ダンッ!
ダンッ!
拳を握りしめ、身体を海老反り?にそらして両手で思い切りドアをノックしてやる。
その名も『必殺!管理人ノック』。
これは私が当時5歳の息子を抱えて住み込みの学生寮の管理人をしていた時に培った技だ。このノックをすれば、どんなに寝坊助の学生さんだって起こすことが出来た。
「うるさいっ!誰だっ!」
流石にたまらないと思ったのか、ガチャリと乱暴にドアが開かれた。目の前に現れたのは着衣が乱れた夫のラファエル。
「おはようございます、旦那様」
「げ!ゲ・ゲ・ゲ…ゲルダッ!!」
「…朝のご挨拶に参りました」
ロングスカートの裾をちょっとつまんで朝の挨拶をする。それにしても…。
『げ!ゲ・ゲ・ゲ…ゲルダッ!!』とは一体何よ。
そんな風に呼ばれると何だか非常に下品な名前に聞こえてくる。第一今の私は『ゲルダ』と呼ばれるよりは前世の名字、『小林さん』と呼ばれたほうがしっくりくるのに。
そしてじっと私は目の前に立つラファエルを見上げる。
「…何だよ?」
ラファエルは金色の巻毛の美しい青年だ。ラファエル…三代天使の1人と同じ名前。
確かに外見は天使のようだが、その実態は天使というよりはむしろ小悪魔に近いだろう。今世の私はこの外見に惚れ込んで、多額の持参金を持ってノイマン家に嫁いできたのだから。
私がだまってラファエルを見つめていたからだろう。突然彼はイライラしながら言った。
「おい!何なんだよっお前はっ!さっきから黙って人の顔を見つめて…!まぁ、僕が美しすぎるから見惚れるのも無理はないと思うが…大体表の張り紙が目に入らなかったのかよっ!」
バンッ!と扉を手のひらで叩く。
「張り紙ですか?さて…そんな物はありませんでしたけど…それより…」
私はラファエルの首元にくっきりつけられたキスマークを見ながら言った。
「やれやれ…駄目ねぇ…これから人前で仕事をしないといけない人にそんな目立つ場所にキスマークなんかつけたりして…」
「な、何だってっ?!」
私の言葉に慌てたようにラファエルが首筋を手で抑えた。
「そっちじゃないわよ、逆。左側だから」
私は自分の首を指差し、キスマークの場所を教えてあげた。
「取り敢えず、そのマークが消えるまではスカーフか何かを巻いてごまかしたほうがいいんじゃないの?」
「お、お前…僕を馬鹿にしてるのかっ?!女じゃあるまいし男がそんなもの巻けるはずないだろうっ?!しかも何だよ!お前のその口の聞き方は!…あっ!」
その時、ラファエルは気づいたようだ。この部屋に勝手に出入りしたら二度と私とは口を聞いてやらない、とメモに書いたことを。
いいじゃない、やれるものならやってみなさい。
それよりも、私にはもっと気なることがある。それは部屋の中から強烈な異臭が放たれていることだった。食事の匂いと、恐らくはアネットと、そしてラファエルのつけている香水の匂いが混ざり合って部屋の中は異臭を放っている。
「な、何よ…この鼻をつくような匂いは…」
換気!部屋の換気をしなくちゃ!
ラファエルの脇をすり抜けて部屋の中へと入っていく。
「お!おいっ!勝手に俺とアネットの部屋へ入るなっ!」
背後でラファエルの声が追っかけてくるけど、私の歩みは止まらない。
「な、何よっ!勝手に私達の部屋へ入ってこないでよっ!」
部屋の中央のテーブルには食事中だったのか、半分以上は手つかずの料理が残されており、椅子に座るアネットの姿があった。肩にかかるふわふわな金色の髪に紫の瞳の彼女をちらりと見ると言った。
「あらいたのね。あまりにも静かだったからいないのかと思ったわ」
「な、何ですって!誰に向かってそんな口を叩くのよ!」
普段からまるでお人形のように美しいともてはやされているアネットが私の前で本性を現す。眉を釣り上げ、歯をむき出しにして睨みつける姿はさながら…。
「まるでハイエナみたいね」
小声でポツリと言ったのに、アネットにはばっちり聞こえてしまった。
「ちょっと誰がハイエナよっ!」
「おい!待てっ!ゲルダッ!」
全く…うるさい若者たちだ。私は返事もせずにバルコニーへ続く掃き出し窓の側へ寄ると大きく窓を開け放った。途端に3月のまだまだ冷たい風が部屋の中に一気に吹き込んでくる。
「さ、寒いっ!」
「ちょっと!は、早く閉めてよ!凍え死んじゃうわっ!」
背後で寒さで悲鳴を上げるラファエルとアネット。でも、私は寒さに強い人間。
「あ〜気持ちい」
両手を広げて冷たい風を身体に受ける。前世では1年中乾布摩擦をしていた私にとってはこのくらいの寒さどうって事ない。それより新鮮な空気を取り入れる方が重要だ。
「さて…2人とも」
私はクルリと振り向くと2人に言った。
「後最低でも10分は部屋の窓を開けて換気をしておくのよ?空気が悪すぎるから」
「「は?」」
寒さで震えながらラファエルとアネットが同時に首を傾げる。
「それじゃ、私はこれで失礼するから」
それだけ言うと部屋の扉に向かった。
「おいっ!ゲルダッ!」
ドアノブに手を触れた時、ラファエルが声を掛けてきた。
「何?」
振り向いて返事をするとラファエルが寒さでカタカタ震えながら尋ねてきた。
「お、お前…、一体…何しにこ、ここへ来たんだよ?!」
「はぁ?」
何を今頃言い出すのだろう?
「私…最初に言ったわよね?朝のご挨拶に参りましたって」
「え…?そ、それだけ…か?」
「勿論、それだけよ?」
ラファエルの言葉に肩をすくめて返事をする。
「それだけって…」
なおも引き留めようとするラファエルに私は言った。
「あの…もう行ってもいいかな?確認は済んだから自分の部屋に戻りたいんだけど?」
「か、確認って何の確認よっ!」
アネットが喚くが、どうしてそれを私が答えなくてはならないのだろう?
「それじゃあね、2人とも」
そして私は部屋の扉を閉めると言った。
「よし、あの件は確認が出来たから…これで離縁の準備に入れるわ!」
私は右手拳を握りしめると、意気揚々と異臭部屋を後にした―。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます