第4話 前世の記憶が上回る
「全く広すぎる屋敷と言うのも考えものよね…」
真赤な絨毯を敷き詰めた長い廊下を歩きながら私はブツブツ言っていた。それにしてももっと活動的な動きやすい服は無いのだろうか?現在私が着ている洋服は襟元や袖口にフリフリがついた真っ白なブラウスに、足首まで届くロングスカートである。どうやら今の私は前世の記憶の方が勝っているらしく、この服装が不便でたまらない。
「何でこんな足さばきの悪いスカートを履かなくちゃならないのかしら。袖のフリルも邪魔だし…。ジーパンを履きたいわ」
しかし私の知る限り、この世界にはジーパンなるものが存在しない。この時代は恐らく時代的に見ると19世紀頃かも知れない。馬車は走っているが、自動車もバスも存在している。電気はまだなく、明かりはガスランプか石油ランプを使っている。電話もちらほら使用できるようにはなっているけれども、庶民にはまだまだ手が届かない高嶺の花?的存在だ。
それにしても…。
「前世の記憶が強いと困るわね。ネットが恋しくてたまらないわ。電子レンジだって無いんだもの…」
他にもあれこれ前世の世界と今の世界の事をあれこれ考えつつ歩き続ける。
「全く、いくら私と顔を合わせたくないからと言って、ちょっと部屋を離し過ぎじゃないかしら?」
ちなみにノイマン家の屋敷はコの字型の作りをしており、私は東塔、夫とアネット、それに義父と義母も南塔に住んでいる。その為、使用人の配置も圧倒的に南塔に集中している。東塔は閑散としているけれども、南塔には大勢の使用人が働いており、何人もの使用人達にすれ違ったが、皆遠巻きに私を見るだけで誰一人として挨拶すらしてこない。
つまりそれだけ私はこの屋敷に歓迎されていないという現れだったのだ―。
****
「ふう〜…やっとついたわ…」
ここまで歩いてきた息を整えながら部屋の扉をノックしようとした時…。
「ああっ!お、奥様!いけません!」
何処から現れたのか、夫の専用フットマンであるリックがバタバタと足音を響かせてこちらへ向かって走って来た。
「おはよう、リック。何がいけないの?」
「おはようございます、奥様。ほら、この部屋に張り紙がありますよね?お読み下さい」
「張り紙?」
リックの指さした部分には約5センチ四方の紙が画鋲で止めてある。この大きさはどう見ても張り紙と言うよりは単なるメモ紙だ。メモ紙には小さな文字で何か書き込んである。
「どれどれ…おおっ!」
若いって素晴らしい!老眼鏡が無くても小さな文字がはっきり読めるじゃないの!
「若さっていいわね〜…」
ウキウキしながら文章を読み進め…徐々に眉間にシワが寄ってくる。
「何よ、これ…」
そのメモ紙にはこう書かれていた。
『警告:ゲルダ・ノイマン。今後一切、この部屋への出入り禁止を命ずる。もし破った場合は二度とお前とは口を聞いてやらないからな』
「ふん、バカバカしい」
ピッとメモ紙を剥がし、くしゃくしゃに丸め…スカートのポケットにしまった。元清掃員のプライドとホコリに掛けてこんな小さなゴミでも私は決してポイ捨てしないのだ。
大体25歳にもなって何がお前とは口を聞いてやらない、よ。まるで小学生男児並の思考力の持ち主だ。私の実家から巨額の資金を援助してもらっているのに、堂々と恋人と暮らす非常識男め。
「お、奥様…何て事を…」
リックは涙目になって私を見ている。…確か、彼はまだ22歳だったわよね…?
「ほらほら、これくらいのことで恐れないの。貴方は何も見ていない、ここには私しかいなかった。それでいいじゃない。それにしても何故こんな小さなメモ紙に書いたのかしら?リックが教えてくれなければ気付かなかったわ」
そして背伸びしてリックの頭を撫でてやる。
「こ、子供扱いしないで下さい!だ、大体奥様は私より年下じゃないですか!」
リックは顔を真っ赤にさせた。
「あら、ごめんなさい。つい…」
駄目だ、リックを見ているとパート先で一緒に働いていた学生さんを思い出してしまう。
リックは咳払いすると言った。
「その…メモ紙の件ですが…ラファエル様があまり大きな張り紙だと、景観を損なうからと仰って、小さく目立たないようにしたのです」
「へぇ〜…」
何てくだらない話なのだろう。そもそも目立たなくしては相手に気付かれない可能性があるという発想に至らなかったのだろうか?
「そう言えば…今気付きましたが、何だか奥様…雰囲気が随分代わりましたね?」
リックがじっと私の顔を覗き込んできた。
「ええ、そうなの。色々思うところがあってね…今日から心を入れ替えることにしたのよ。さ、それじゃもうここから去った方がいいわよ。これから旦那様に会ってくるから」
「承知いたしました。あの、くれぐれも…」
リックはビクビクしながら私を見た。
「ええ、リックの事は黙ってるから安心して」
「はい、よろしくお願いしますっ!」
リックは頭を下げると、逃げるようにその場を走り去って行った。その後ろ姿を見送る私。
「さて、旦那様とアネットに朝のご挨拶をしますか」
そして私は部屋の扉をノックした―。
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