樹と美月

筒井

第1話 踏切の先 ルート美月

 灰色の雲が空に隙間なく敷き詰められている。予報では、雨はふることはないらしいが、今にも雨が降りそうだ。

 美月みつきは、小さく溜息きをついた。雨がふりそうだからではない。コンビニへ行く途中で出会った同行者が、美月の表情を曇らせていた。

 「美月殿。今日もお美しい。ここで出会ったのも何かの縁でありましょう。ここは私と一緒に近所の公園でお茶でもいかがですかな。桜が咲いたそうですぞ。美しい女性と綺麗な花を見る。なんとも素晴らしい一日ではないか」

 拒絶の意味をこめて沈黙に徹する美月だったが、同行者はわかっていないのか、滔々とうとうと語る。

 美月は速足で歩き、同じ速度でぺたぺたとあたる音が聞こえる。美月の隣には、一頭の鹿が歩いている。

 美月は鹿と会話する異様な光景を、誰かに見られたくなかった。

 カンカンカン、と静かな住宅街に踏切の警報機の音がなり響いた。美月と鹿との間の距離が縮まり、すぐ隣に茶色いまだら模様の獣が立っている。踏切の周囲には、一戸建ての住宅が並んでおり、住民は、この踏切を嫌いにならないでいるのだろうか。踏切を撤廃する運動をしているなら自分も加えてほしいと、美月は思った。

 「そういえば、聞いたことがありますかな」

 話しかけてきた鹿をにらみつける。しかし、鹿はお構いなしに話し続けた。

 「最近この踏切のあたりで、よろしくない噂があるようですぞ。なんでも別の……」

 鹿の話を、電車の横切る音が遮った。集中して聞けば、聞き取れなくもなかったが、美月にはその気がなかった。

 美月は、が好きでなかった。美月と兄の樹に小さいころから人でないものに好かれた。樹は特にそれらを気にせず人間と同じように接しているが、美月には信じられなかった。普通の人には、人でないものが見えず、美月とそれらとやりとりを奇異の目で見られることが耐えられなかった。

彼らが好きでない理由はそれだけではなかった。彼らは、美月がいくら関わりを避けても、向こうから積極的に関わってくる。

 隣にいる鹿は特に厄介で、自称神を名乗る存在のため力が強いらしく、彼は普通の人から見ることができるらしい。

 鹿は、結婚相手を探しているらしく、女性を見かけると、口説きにやってくる。さきほど出会った時も、プレゼントととして謎の木の実を受け取った。美月は帰ったら捨てようと思って、パーカーのポケットにしまい込んだ。

 長い警報音が鳴りやみ、踏切が空いた。鹿がまだ話し続けているが、美月は黙って前へと進んだ。

 踏切を渡るときに男とすれ違った。

 美月が踏切の反対側へついたとき、すれ違った男が急に気になりだし、後ろを振り返る。振り返った先に男はいなくなっていた。一本道だ。男はどこに消えたのかと考えるうちに、もう一つ違和感を覚えた。静かだった。

 警報機の音が消えたからではない。先ほどまで隣にいた鹿がいなくなっているのだ。

 美月は言い知れぬ不安を感じたが、胸の内にしまいこんだ。鹿がいなくなることは自分にとっていいことじゃないか。

 お目当てのコンビニはすぐそこだ。一本道を抜けて、大通りを右に曲がる。歩いている間に、また奇妙な違和感を覚えたが、それが何かわからぬままコンビニに辿りついた。

 入店音を背にして、美月は冷蔵の棚から食べたかったコンビニ限定のチョコケーキを手に取った。テレビの情報番組で紹介されていて、食べたくなり、家を飛び出してきた。

 手に取ったスイーツはプラスチックの丸いカップに入っており、ドーム状の蓋からチョコレートの上にまぶせられたアーモンドの欠片が見えた。テレビで見た包装と違う気がしたが、構わずカウンターに持って行く。

 「!’&’$&%(&」

 店員の活舌が悪いのか聞き取りづらかった。レジの表示を見ると、150と表記があった。美月は、手持ちにお札しかなかったため、千円を出した。

 なぜだか、店員が驚いた声をあげた。たかだか150円の商品に千円札を出したことに対してではないことはすぐわかった。奥のバックヤードから人が出てきて、最初の店員と話すと美月をにらみつけた。

 「なによ」

 「(’&%(&!(#)&&#>>>」

 怒ったように声をあげて、カウンターから店員が出てくる。美月をつかまえようと手を伸ばしてたが、腕を振り回し、美月は走り出した。

 「!”?#__‼」

 後ろから二人の店員が必死の形相をして追いかけて来た。美月は無我夢中で走った。大通りから、路地に入り、何度も曲道を曲がった。

 追いかけてくる者の気配がないことを確認し、美月はひざをついた。

 「なんなのよ、もう」

 激しく上下する肺に、酸素を補給する。美月は狭い路地裏にいた。ゴミ箱やゴミが散らかっていて綺麗とは言い難かった。

 なぜ美月を追ってきたのかはわからなかった。なにより彼らのしゃべっている言葉がわからなかった。ただ一つ言えるのは、美月に対して怒りとか憎しみとかの感情を向けていたことはわかった。

 美月はよろよろと歩き出す。歩き出した矢先に、ゴミの中に長財布が落ちてあった。その落とし物を拾い上げ、中を見る。美月は、やっと自分のなかにあった違和感の正体をつかんだ。

 財布の中にあるお札の絵柄が全く違うのだ。テレビでよく見る昔のお札というわけではない。見たことのない絵柄と文字が書かれているのだ。

 思い返せば、コンビニに着くまでの道中、普段見る景色とところどころ違いがあった。

 美月は自分がいる場所が、違う世界だということの思い至った。いわゆるパラレルワールドだろう。美月は深い溜息をついた。

 「帰り道は……」

 意気消沈しても始まらない。美月は自分の頬を叩いた。

 一本道の踏切を目的地に決めて歩き出した。どうすれば帰れるのかわからなかったが、あそこが美月にとっての最初の違和感だった。

 しばらく歩くと、甲高い悲鳴のような音が何度も鳴り響き、数人の声も聞こえた。音は近く出なっている。美月はほっておけず、音の発生源へ急いだ。

 音が聞こえた先は、小さな遊具のない公園で、男たちが群がっていた。よく見ると、男たちの中に、立派な角を持った鹿がいた。男たちがつかまえようとするのに対し、鹿は角を振り回して抵抗している。甲高い鳴き声を鹿があげる。美月が効いた声は、鹿の鳴き声だとわかった。

 男たちの包囲網はじりじりと狭まっていく。鹿を押さえつけられるのも時間の問題だろう。

 美月は焦った。あれは美月の鹿だ。いくら好きでない相手とは言え、見殺しは美月にはできなかった。

 ――あいつを逃がすにはどうすればいい。

 美月が必死に頭を開店させているとき、パーカーのポケットに硬い感触があった。それは鹿にもらった木のみだった。美月の腹は決まった。

 「おまえら、そこまでだ!」

 美月の大声に、男たちが音の方へ顔を向ける。美月は振りかぶって木の実を男たちに投げつけた。鹿が逃げれるスキを作れればそれでよかった。だが、思わぬことがおきた。

 男たちに向かった木の実は突然光り輝いた。眩しさに目を閉じ、開いてみると男たちは地面に倒れていた。

 「ありがとう、美月殿」

 いつの間にか、近くに白く光り輝く鹿がいた。

 「あんた一体どうしちゃったの」

 「美月殿が投げた木の実が、私に力を取り戻したんですよ。あれは神の力がつまった実でしてね。……そんなことより、早く私に乗ってください。彼らももう気づき始めた」

 鹿の言う通り、男たちがゆっくりと立ち上がっていた。美月は、なにがなにやらわからなかったが、鹿の言う通りに、鹿の背にまたがった。

 「では、つかまっていてくださいな」

 鹿の首に手を回す。ごわごわとした感触が感じられた。

 鹿は、とたんにはじけて跳んだ。眼下には、夕暮れに染まる住宅や道路が見える。

 「あそこですな」

 しばらく宙にとどまった鹿が、行先を決めると急速に、下へ駆け出した。

 美月は怖くなって、両目と口をぎゅっと固く閉じた。

 かんかんかん、と踏切の警報音が聞こえ、目を開ける。

 「美月殿つきましたぞ」

 そこは、美月が向かおうとしていた踏切だった。

 「おりないで、危ないですからまだつかまっていてください」

 美月は鹿の忠告に素直に従った。鹿の体に美月は重いだろうに、全くそんな素振りはみせない。

 「あんた、一体どこに行っていたのよ」

 「この世界の神につかまっていたのです。美月殿と離れて私、海をつくれるほどの涙を流しましたとも」

 美月と再開できたことが嬉しいのか、声が弾んでいる。

 「神さまにつかまっていた?」

 「そうです。ちょうどきましたぞ」

 鹿がそう言うと、美月たちの目の前を電車が通過し始めた。しかし、鹿は電車を見ておらず、後ろを振り向くと暗闇が人の形をしてゆっくりと近づいてきた。

 「あの神は怒っている。おそらく、我々が世界の境界を超えてしまったことが許せないのでしょう。あれに捕まるとなにされるかわかりませんぞ」

 耳元で鹿の声が聞こえる。

 「じゃあ、早く逃げなきゃいけないじゃない。のんきに電車を待っている場合じゃないんじゃないの!」

 こうしている間にも、人影は迫っていた。あと数歩もちかつけば美月たちに触れられる距離になる。

 「いいえ。帰り道は同じでなければなりません。それから縁の糸も大切です。幸い、この世界の神はもう使

 美月は鹿の言っている意味が理解できなかったが、彼に従うことにした。

 電車の音はまだ終わることはない。警報音はまだ鳴りやまない。人影はゆっくりとした足取りで向かってくる。

 黒い手が美月たちに伸ばされる。もうだめだと思った時、騒音はなくなっていた。

 「いきますぞ」

 鹿が線路を飛び越えた。

 美月は、反対側から誰かすれ違うのを見た。

しかし、向こう側へ渡ったとき、振り返ると人影のひとつもみえなかった。

 「もう大丈夫ですぞ」

 鹿の毛はもう、輝きがなくなっていた。美月は倒れるように鹿から降りた。

 「あれ、美月にカクさんじゃん」

 見ると、兄の樹が美月を見下ろしていた。

 「なにしてんだ。こんなところで」

 「ちょっとコンビニにね」

 怪訝な顔をして、樹は美月を見つめる。すると、目を丸くした。

 「おい、美月それ」

 兄の視線をたどり、美月の右手にいつの間にかにぎられていたのか、別世界のお札が握られていた。

 「美月殿、それをこちらに」

 右手を鹿の前に出す。鹿が紙幣に向かって息を吹きかけると、粉々に砕け散った。

 「縁の糸は残してはいけませんからね。ついでにお呪いもしておきましょう」

 鹿の角が、踏切に近づくと光り輝いた。

 「これでもう安心ですね」

 「鹿、ありがと。花見、今度いっても良いよ」

 美月は小さな声で言った。今回の一件のお礼をしたい、そう思った。

 「本当ですか。いつ行きます! 今生きましょう。さあ善は急げ、花見は今!」

 鹿はよっぽど嬉しいのだろう、美月の周りを飛び跳ねる。

 「なあ、なにがあったんだよ」

 「兄貴、コンビニに一緒にいくよ」

 美月は兄の背中を押した。

 「おい、ちょっと美月」

 「もう一人でコンビニは嫌なの」

 2人と一匹で、見知った一本道を歩いて行った。

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