12・森林迷彩
放課後、私たちは一応片付けられた科学室に集合した。
科学部唯一の部員、サイリックも呼ばれ、化学実験器具一式となにかの薬品らしい黒茶色の粉末を、テーブルの上に準備している。
ちなみにシュバルトは保健室でうなされたままだ。
そしてリプター先生がレネー先生に連れられて入室する。
レネー先生と同じく白衣を着用した、私より頭一つ分低いウェンディより、さらに頭一つ分低い小柄な体格の女の人で、ブラウンの長い髪をポニーテールにしている。
一つ一つの要素を見れば可愛らしいような気もするけど、全体として見ると可愛らしさの欠片もなく、気だるそうなのに尖った目は、なんとなく不良教師という言葉を連想させる。
実際現場監督を放棄しているのだから間違ってないだろう。
なお、年齢不詳。
特に童顔というわけでもないのだが、具体的に何歳なのか特定しようと観察しても、まだ十代にも見えるし、四十歳を過ぎているようにも見える。
「それじゃリプター、あたしはシュバルトの手当てがあるから、後は頼んだよ」
この二人の組み合わせは、飛び級制で博士号を修得した子供と、古株の教授という雰囲気がある。
あるいは、祖母に叱られてすねている子供。
「時間外労働になるんですけど」
「あんたが生徒だけに薬物処理を任せたりするから、こんなことになったんじゃないのかい。職員会議の議題にかけてあげようか?」
ささやかな主張は完全否定されて、渋々リプター先生は仕事を受け入れる。
「わかりました、懇切丁寧に指導します」
「よし」
皮肉混じりの返事に、レネー先生は満足そうに頷くと、私たちに、
「それじゃ、頑張るんだよ」
「はーい」
ピスキー一人だけが元気良く返事をした。
そしてレネー先生が去って言った後、リプター先生はあからさまにやる気のない表情で、黒板の前に立つ。
「えーと。じゃあ、これから薬物取り扱いに関する課外授業、別名媚薬解毒剤調合教室を始めるわね」
最後あたりに混じる皮肉は、やる気のなさを主張しすぎだ。
こんなんだから危険物取り扱いを生徒だけに任せるのだろうけど、なんでこんな教師が採用されているんだろ。
「イェー」
クラッカーを鳴らしラッパを吹いて囃し立てるピスキーは、頭にパーティー用のカラフルな三角帽子をかぶり、なぜか鼻髭眼鏡までかけている。
アッシュは険のある半眼で問う。
「おまえのために集まったんだぞ。ちゃんとわかってるのか?」
「勿論わかってるよ。恋はいつか消えてしまうんだよね。だから二人は一瞬の思いに全てをかけて、永遠の愛に変えるんだ。だから、アッシュくん、ボクたちもアツーイ恋愛を一生懸命しようね❤」
「……」
アッシュはピスキーがいつも持っている学生鞄の中を勝手に探ると、一把の縄を取り出した。
「やだ❤ アッシュくん❤ いきなりそんなプレイから始めるなんてダメだよ❤」
言葉とは裏腹、嬉しそうなピスキーを縛り上げて、さらにアッシュは口も聞けないようにタオルを轡にして噛ませた。
「わかってない奴は黙らせましたので、続きをお願いします」
「ありがと」
リプター先生は特に興味もなさそうにピスキーを見て、まったく感謝していないように感謝の言葉を述べると、
「じゃあ、サイリック、アルコールランプに火をつけて、ビーカーに水を500㏄入れて」
「はい」
助手として手馴れているサイリックは、手早く指示通りに動く。
それを横目でリプター先生は見ながら、説明を始めた。
「さて、ピスキーがかぶった媚薬だけど、問題はなぜ同性に効果が現れたのかよ。あ、サイリック、それ沸騰させないで、九十五度で止めて」
細かい指示を出してから、続けて、
「まあ、別に原因を考える必要性はないんだけどね。あの惚れ薬、廃棄処分決定していたんだから。ようするに、製造日が百年以上前なのよ」
「つまり、古くて薬の成分が変質してしまっていたんですね」
ウェンディの答えに、端的に一言。
「正解。だから、通常の解毒剤じゃ効果ないわ」
「ええ!」
アッシュが悲鳴に近い叫び。
「じゃあ、こいつ永久にこのままなんですか?!」
「やっぱりボクたち結ばれる運命なんだよ❤ 諦めて結婚しよ❤」
いつの間にか轡を口から外したピスキーに、アッシュは改めて轡を噛ませた。
それをどうでもよさそうに見届けてからリプター先生は、
「大丈夫よ、精神に働きかける魔法薬は基本的に浄化されることを前提に作られてあって、変質してもそれだけは変わらないから、時間が経てば効果は消えるわよ」
アッシュとウェンディは安堵の息をついたが、私は重要箇所を聞き逃さなかった。
「時間が経てばって、どれくらいの時間で消えるんです?」
リプター先生は軽く答えた。
「まあ、二、三年かな」
「そんなに待てるか!」
アッシュは叫んで、体を机に乗り出しリプター先生に迫る。
「なにか方法はないんですか?! 今すぐ現状から脱却する方法は!」
「一つだけ。薬の成分を調べ直して、それに合った解毒剤を調合すれば、薬物の効果は解除される」
付け加えて、
「たぶんね」
「もう少し確信を持って言ってください!」
「大丈夫よ」
甚だ説得力に欠ける軽い口調で請け負って、
「じゃあ、早速成分調べましょうか。薬品拭き取った布はそこにあるわね。指示するから各自器具の準備をしなさい」
そしてサイリックに、
「温度は?」
「大丈夫です」
リプター先生は耐熱手袋をはめてビーカーを持つと、テーブルに用意してあった、計測器で正確に分量を測った粉末状の物体を湯の中に入れ、ガラス棒で掻き混ぜる。
珈琲の香りが科学室に漂い、リプター先生は一口啜ると、顔を顰めた。
「サイリック、温度は95度って言ったでしょ。熱すぎるわよ」
「すみません」
うなだれて素直に謝るサイリック。
「「……」」
沈黙のアッシュとウェンディに代わって、私は質問した。
「それ、成分調査のために用意したんじゃなかったんですか?」
リプター先生は質問の意図が理解できないといったふうに答えた。
「珈琲を作るために決まってるじゃない。それ以外になにがあるのよ?」
あるだろ。
っていうかビーカーで珈琲飲むな。
そして私たちはリプター先生の指示の元で成分調査を開始した。
しかし口で指図するだけで、自わからなにもしないあたり、教師という職業に情熱をまったく傾けていないのが如実に表されている。
これは教師生活に倦怠感を持っているのではなく、最初からこんな態度だったに違いないという確信が私にはあった。
確信しても、別に抗議しようという気はなかったけど。
「くっそー、早く解毒剤作らないと、学校中に変な噂が広がる」
アッシュは親の敵でも取るような表情で作業していたが、実のところ教室で見せつけたピスキーの求愛行動の成果で、一時間も経過しないうちに噂は広がっていた。
そして科学室内の様子を、PFCの三人が廊下から伺っていた。
なぜか草や木の枝を体中に貼り付けた迷彩処置を施して。
「このままじゃ、ピスキーちゃんの幸せが終っちゃうわ」
「なんとかして止めないと」
「僕は早く元に戻って欲しいんだけどな」
三年生が比較的まともなことを発言すると、残り二人が睨みつける。
「なに言ってるのよ。ピスキーはアッシュの恋人になるの」
「あんたは見た目からして不合格〈ヒド〉なんだから」
「うう、ひどい。でも僕は挫けないんだ。ピスキーくんが他の男のところへ行っても僕はピスキーくんを思い続けるんだ」
しくしく泣きながら、永遠の愛を誓うが、はっきり言って気持ち悪い。
「とにかく私たちの、元気いっぱい甘えん坊と拗ねた不良くんの恋愛成就大作戦が、このままじゃスタート開始から躓くわ」
「どんな手段を使ってでも解毒剤の完成を阻止しないとね」
私は尋ねる。
「いつの間にそんな計画立てたのよ?」
「「ピスキーがアッシュに恋をした瞬間からよ」」
当然のように答える女生徒の二人。
薬物効果なんだけど、それは些細なこととして気にしないらしい。
「あ、そう」
不意に三人は驚愕の表情を私に向けた。
「どうして私たちに気が付いたの?」
「こんなに完璧に隠れてたのに」
「もしや特殊訓練を受けたスパイ?」
私は真剣に疑問に思い尋ねた。
「隠れてるつもりだったの?」
建物の中で森林迷彩を施せば、逆に目立つ。
訓練を受けなくても、自分の身を見ればわかるだろうに。
私の質問に三人は悔しそうな表情になった。
「クッ、ここは一先ず退却よ!」
一年代表が叫ぶと、脱兎の如く走り去るPFC三人衆。
そしてウェンディが科学室から顔を出した。
「なんだったの?」
「さあ?」
私は肩を竦めて見せた。
成分調査が完了し、リプター先生は複雑な化学式やテープで貼り付けたグラフの前でタバコに火をつけた。
勿論化学式などを書いたのはリプター先生ではなく、全てサイリックの手によるものだ。
少しは働け。
「じゃあ、説明を始めるわね。元々の媚薬の成分は、アプラチーノ、スニトクフィーズ、ラルポトキルノが90%を占めて、残りはウィキーボナリス、ミオーナクサート、アマノカリノドが10%入ってるわ。だけど変質した媚薬にはアプラチーノ、スニクトフィーズ、ミオーナクサートの量が減少し、アマノカリノドは完全消失している。基本的に薬物は化学変化を起さないもので合成されるのが基本なんだけど、アプラチーノとアマノカリノドは結合するの。強引にやれば二百℃近くの高温が必要だけど、長時間に亘る温度の上下変化が繰り返されて同じ効果が起きたんでしょうね。このアプラチーノとアマノカリノドが結合された化学物質をヨセイフスコフって言って、こいつはスニクトフィーズと結合し、そのさい含まれるクリアクリスを分離して、クリアクリスはミオーナクサートと結合する。結果一部の減少と、消失が起きた。そして新たに発生した成分だけど、スファイリキッドとスジャビマキートが形成されている。スファイリキッドはそれ単体じゃなんの作用もないけど、こいつはスニトクフィーズと一緒に体内に投与すると、神経薬のヒクルサルトと同じ効果が得られるの。ヒクルサルトは脳の前頭葉部分に刺激を与え、ある特定の脳波、ウィシャースパターンを発生させる。ウィシャースパターンは理知的な感情が発生した……」
「先生」
説明を遮ってウェンディが手を上げた。
「どうしたの?」
「もう少しわかりやすく説明してください」
その通り。
やる気がないくせに、専門的説明を軽々とこなしてくれるさまに、なぜか腹立たしいものを感じた。
そしてリプター先生は心外そうに答えた。
「わかりやすく説明したつもりだったんだけど」
「「「どこが」」」
私たちは同時に反論した。
「えーと……」
困ったように頭をかき始めたリプター先生に、サイリックが助け舟を出す。
「結論から先に説明してみたらどうですか」
「そうね」
リプター先生は同意して、
「結論から言うと、変質した成分のせいで、同性異性問わず、最初に目にした人間に対して効果が出るようになってしまったわけ」
「それで、解毒剤は?」
身を乗り出してアッシュは聞いた。
「アイノンビクル40%、ゼイドラド30%、ヒルトキーリ15%。アクアウェイタ4%、ビージー10%。そしてデビルティア1%の合成薬を投与すればピスキーは治るわ」
「成分説明はどうでもいいですから、それ作れるんですか?」
「無理」
「断言しないでください!」
蓑虫のように縄を巻かれ窓の桟にテルテル坊主よろしく吊り下げられていたピスキーが、轡を口から外して求愛活動開始。
「アッシュくん、やっぱりボクたちは結ばれる運命なんだよ❤ 結婚式はいつ挙げよっか❤」
アッシュは轡を噛ませた。そして改めてリプター先生へと机に身を乗り出す。
「本当に無理なんですか?」
「入手不可能の薬品があるのよ。アイノビクルとゼイドラドは製薬会社に注文すれば二時間ほどで配達して来るし、ヒルトキーリは薬品庫にあるわ。アクアウェイタも校長が保有しているからなんとかなる。でもデビルティアは、ちょっと、ね」
「ちょっと、ってなんです。もっとはっきり説明してください」
「デビルティアは地獄の知性体、いわゆる悪魔の中で、特に強大な力を有する魔神と称される者の体液の一種。つまりその名の通り魔神の涙のことなのよ。魔神の涙を入手するのにどれだけの危険と困難が伴うのか、具体的に説明しなくても簡単にわかるでしょ」
アッシュは途方にくれた顔をしたが、しかし次の瞬間には強固な決意を秘めた瞳で訊ねた。
「どこにありますか?」
「は?」
理解できずに聞き返すリプター先生。
「どこにあるんです? 入手に危険と困難が伴うって言いましたよね。つまり場所はわかっているってことでしょう。教えてください、俺が自分で直接取りに行きます」
「あんた、自分がなに言ってるのかわかってるの?」
「わかっています。でも俺は取りに行きます。止めても無駄ですよ。俺はどんなことがあっても絶対に手に入れて見せます。どんな場所でも、どんな遠くでも、どんな危険でも、どんな罠があっても! どんな敵が待っていても!! どんな手段を使っても!!」
興奮してきたのか、次第に声が大きくなり、ピスキーを指差して、
「学校生活全部こいつに言い寄られ続けられるなんて冗談じゃない! 俺は平穏な学園生活を送りたいんです! だから先生、場所を教えてください!!」
凄まじい剣幕のアッシュに、ちょっと怯えた表情で体を引いているリプター先生は告げた。
「運動部の十三番用具室の奥だけど」
「無茶苦茶近くじゃないですか! どこが入手困難なんです!?」
リプター先生は、物を知らない人間に解りきっていることを一から説明しなければならない時、説明する前から疲労を感じてしまう現象特有の嘆息をする。
「十三番用具室を甘く見ないで貰いたいわね。それはけして開けてはいけない禁断の扉。一度入れば二度と出ること叶わぬ死の入り口。デビルティアを手に入れるには、命を失う覚悟が必要よ」
「用具室で?」
私は訊いたが返答はなかった。
野球部が練習しているグラウンドから少し離れた場所にある、運動部専用用具室は全部で二十八室あり、十三と数字が書かれたプレートが貼り付けられた鉄製の扉の前に、私たちは集まった。
案内したサイリックが、隣の十二番用具室の鍵を開け、そこから装備品を幾つか持ってきて、地図と一緒に私たちに渡した。
サイリックが問題の十三番用具室にかけられた十三個の鍵を一つ一つ外しているうちに、私たちは装備する。
「場所は地下十三階層、つまり最下層です。ダンジョンクラブが既に調査してありますので、地図に従って進めば問題ありません。ああ、ヘルメットのベルトはちゃんと締めてください」
今一つ意味が理解できないことを説明しながら、鍵を全部外し終えたサイリックは、言いつつ私の顎に手を伸ばしてベルトをしっかりと締める。
私は自転車用のヘルメット〈かっこ悪い〉の他に、釘バット〈木製バットの上部に無数の釘を長さ半分ほど打ち付けた武器。単純ながら殺傷力は侮れない〉にラグビーのプロテクターを装着
ている。
ウェンディは剣道の防具に、なぜかフェンシング。
アッシュは帝都警察採用防護服に、武器はモーニングスター〈鉄球に棘々が付いた、鎖による遠心力を利用する武器〉だ。
ピスキーは大学の野外研究チームが良く着る探索スーツ〈防具じゃないよね〉に、ヌンチャク。
「わーい、コスプレだねー❤」
嬉しそうにアッシュに抱きつくピスキー。
「違うだろ。っていうか離れろ」
押し返して距離をとるアッシュ。
「っていうか、なんで用具室に入るのにこんな装備がいるの?」
とウェンディ。
「だいたい用具室なのに、なんで地下十三階もあるのよ」
そして私は隣の十二番用具室を指差して、
「それに、この放課後ダンジョンクラブって、なに?」
サイリックは涙を堪えるように表情を歪める。
「みんな、短い付き合いだったけれど、というか半日しか付き合いがなかったけど、みんなと過ごした時間は本当に楽しかった……いえ、あんまり楽しくなかったけど、ぼくは絶対に君たちのことを忘れない」
いつしか溢れる涙を拭って、
「でも、できることなら無事に帰ってきて欲しい」
「だから、なんで用具室に入るのにそんな大袈裟な別れ方になるわけ。この先になにがあるのよ? っていうか、本当に用具室なのこれ?」
私は重ねて訊いたが、ピスキーの抱擁から一秒でも離れたいアッシュが遮って、中へ入るのを促した。
「そんなこと戻ってから聞けばいいだろ。早く魔神の涙を探しにいくぞ。男に抱き付かれるなんざすっげえ嫌な気分だ」
頑丈な鉄製の扉と厳重な鍵について、疑問に思う余裕もなかったか、アッシュは軽率な行動を採ろうとしていることに気が付かないでいた。
「そんなこと言わないでボクの愛をたくさん受け止めてよー❤」
「薬物使用だろうが。離れろ! はーなーれーろー!」
そうして私たちは十三番用具室の扉をくぐった。
野球部のバッティングの音が一際大きく聞こえたような気がした。
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