11・合格ラインギリギリOK
「アッシュくん」
「ピスキー」
二人は愛情を充溢させた瞳で、熱い言葉を交わしあう。
「ボクはこの気持ちをどうすればいいんだろう?」
「なにも考えなくてもいいんだ。心の流れに身を任せてしまえばいい」
「それができたらどんなに素的だろう」
「そうとも、恋の運命を委ねるのはとても素晴らしいことなんだ。さあ、迷うことはない」
「でも禁じられた恋が結ばれることはない。それが物語の結末だよ」
「かまうものか。全てが俺たちを引き離そうとしても、俺はけしてその手を放したりしない」
「悲恋の終りになったとしても?」
「そうだ、たとえ悲劇が訪れようとも、おまえの手も心もきっと手放したりしないさ」
「ああ、信じていいんだよね」
「勿論だ。さあ、二人で世界の果てへ行こう。そして愛は成就される」
「アッシュくん」
「ピスキー」
感極まったように二人はお互いを抱き締め合う。
そしてアッシュは最後の言葉を告げた。
「止めろ」
言いつつ怪しいお芝居を熱演していたPFCの女子二人を蹴り倒す。
床に転倒した二人に、アッシュは舐めるような、しかしギラギラと危険な光が宿った目で睨み付け、教室一同、何事かと注目している中、ドスの効いた声で尋問する。
「テメェら、本人目の前にして随分不愉快な真似してくれるじゃねえか。どういうつもりなのかちょっと話を聞かせてもらおうか。ああん!」
午後の最初の授業が終了し休憩時間に入ってもリプター先生が見つからないので、仕方なくレネー先生は一旦教室に戻れと指示した。
そして魔導帝国コンビを保健室に残して教室に戻ってみれば、別の世界の光景を情感たっぷりに熱演するPFCがいたのだった。
当然癇に障ったアッシュは、自分の感情を抑制するなどという努力をまったくせず、曲がった性格でも歪んだ心でもない彼は、とても率直で素直でわかりやすく感情を表現した。
つまり、上っ面の〈無駄な〉優等生の振りを止めて、暴力的素行不良学生と化した。
元からだけど。
「アッシュ、堅気に手を出しちゃ駄目でしょ」
ウェンディが窘めると、アッシュは心外極まりないといった顔で抗議する。
「なんだその堅気ってのは!? 最近おまえら俺をヤクザかなにかだと思ってないか?!」
「思ってるわよ。っていうかそれ以外なにがあるの?」
「俺は真面目な優等生だ! シュバルトが絡んでこなけりゃ問題児扱いもされないで済むし、入学最初の学年テストで密かに十番台に入ってたりするんだぞ!」
学力に関しては一応本当だけど、インテリヤクザという言葉を知らないのだろうか。
「アッシュくん!」
唐突にPFC一年代表が起き上がり、
「あなたはそのままでいいの!」
「なにが!」
「つまりぃ」
PFC二年代表も起き上がり、
「ちょっと不良入ってる拗ねた感じの男の子と、元気いっぱいの可愛い男の子の恋愛が、超萌え萌えなのぉ!」
ピスキーがアッシュに取られたことに憤慨して、PFCは妨害工作でも行うかと思っていたが、どうやら彼女たちの精神的腐敗の方向性は、私の予想の斜め上を行っていたらしい。
当然アッシュは、理解不能といった様子で、否定する。
「ちょっと待て! 俺はピスキーとそんな関係になるつもりはビタイチないぞ!」
「なに言ってるのよ?! 可愛い男の子を恋人にできる素的なチャンスを見逃すっていうの?!」
「そうよ! みんながハンカチ噛んで悔しがるくらいのビックチャンス! ほら、あれを見なさい!」
指差した教室の隅では、PFC三年代表男子生徒がハンカチを噛みながら泣いて悔しがっていた。
「うう、どうして僕はピスキーくんの前に行かなかったんだ。ああ、僕のバカ。ボクのバカバカ」
自分で自分の頭を叩いたりしている。
改めて一年代表は、
「どう? このチャンスを逃しちゃダメってことがわかった?」
「わからん」
アッシュは即座に否定する。
「じゃあ、もう一回説明するわね」
と二年代表が、
「つまりこれがあんな感じの〈PFC三年代表を指差して〉ブッ細工な男だったらゲエだけど〈ヒド〉ピスキーは超美少年だし」
「アッシュくんも、まあ、とりあえず合格ラインぎりぎりOKだから、私たちが応援するってこと」
「するな!」
アッシュは拒絶して、
「俺は男を恋人にする趣味はないって言ってんだよ! つーか合格ラインぎりぎりOKってところがすげぇムカツクし!」
「アッシュくーん❤」
唐突にピスキーが教室の戸を開けて現れた。
「アッシュくん❤ そんなこと言わないでボクのこと好きになってよー❤」
相変わらず能天気な調子だが、本質的なところで劇的な変化があるのは一目瞭然。
わざわざ魔法で周囲の空間にハートマークを投影して余すところなく感情表現している。
媚薬の効果は確実にピスキーの精神を侵食し、アッシュが近くにいるだけで相当深刻な症状が発現されてしまう〈つまり人目をまったく気にせず最後までヤろうとする〉ので、保健室から出ないように指示されていたはずだが、しかし薬の誘惑には勝てなかったらしい。
レネー先生の隙を見て脱走してきたようだ。
「うわぁあああ!」
そして保健室で散々洗礼を受けたアッシュは、ピスキーの姿を見た途端、条件反射的に恐怖で壁際に全力で後退する。
アッシュの頬や首筋、胸に至るまで、体中にピスキーの唇がつけた無数の聖痕があるが、肝心の部分は死守した。
ここまでされたのだから、無意味な貞操だという気もしないでもないが、本人的には絶対に譲れない一線なのだろう。
「待て! ストップ! 近づくな! 止まれ!」
接近を掌で制して、冷静を促す。
「ピスキー、落ち着け。自分がなにをしようとしているのか、ちゃんと考えるんだ」
拒絶されたピスキーは悲しそうな、捨てられた子犬が縋るような潤んだ瞳をアッシュに向ける。
「考えるって、なにを?」
祈りを捧げる時のように胸元で両手を組み合わせ、少しずつ足を進めながら、
「ちゃんとわかってるつもりだよ。ボクはね、アッシュくんと一緒にいたくて、触りたくて、抱きしめて欲しくて、それでね、なんだか、ボク……ボク……」
幸福に満たされたような顔は、もはや蕩けきっている。
「おまえがどんな気持ちでいるのか、よーくわかる。うん」
アッシュは科白を遮って同意してから、しかし否定する。
「でもな、それは薬の効果なんだ。わかるか、薬物効果だ」
「……クスリ」
ピスキーは足を止めて、その単語を繰り返す。
「そうだ、薬のせいなんだ。おまえは薬物の影響で変な感情が湧いて出てるだけなんだ。ほら、それ以前に男同士がヤバゲだってのは冷静に考えればわかるだろ」
「う、うん」
ピスキーは説得に押されたように頷く。
「解毒剤を投与すればすぐに治るから、それまで耐えろ。いいか、もし薬の誘惑に負けてみろ。正常な精神状態を取り戻してから、自分がなにをしたのか振り返れば、後悔で身悶えることになるぞ。忘却の彼方へ葬りたいだろうが、嫌な記憶ってのは後々まで残るもんだ。わかるか?」
「うん、わかるよ」
「なら、耐えるんだ。冷静を保って常識を常に念頭に置けば、薬物症状にも耐えられる。な」
「うん、わかった。一生懸命我慢する」
冷静を完全に取り戻したのか、ピスキーは強靭な精神力を宿した瞳で頷いた。
「よし、頑張れ」
アッシュは激励の言葉を送り、一つ安堵の息を吐く。
「ふう」
しかし次にはピスキーの顔は恍惚に弛緩して、アッシュの胸に抱きついた。
「やっぱりダメー❤ アッシュくん好きー❤」
「だあああ! 少しは耐えろぉお!」
こうしてアッシュの受難は本格的に始まった。
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