オズ魔法学園奮闘記

神泉灯

プロローグ

 気だるい昼下がりの午後、私は燦々と陽光が降り注ぐ洒落たカフェの二階テラスでアップルティーを口に含んだ。

 ほんのりとした甘味と芳醇な味わいが広がり、それはささやかな至福を齎してくれる。

 眼下の街道には無数の笑顔の人々で埋め尽くされ、これからやって来るパレードを待ち構えている。

 街の主要道を進むパレードの喧騒と音楽がここまで届いて、あと十数分もすればこの通りまで来るだろう。

 宮殿や中央公園から花火が打ち上げられ、様々な色のスモークが空を彩り、気の早い人が窓や屋上から紙吹雪を撒き散らしている。

 アスベルト帝国建国祭。

 この国の人々はよほど自分たちの国を愛しているのか、それとも平凡な日常に刺激を与えてくれるイベントに心を躍らせているのか、私がこの都市にやってきてからこれほど楽しそうな住人の表情を見たことはなかったように思える。

 そして私も世界有数の祭典を楽しみにしていた。

 さて、ここで自己紹介しておこう。

 私はクレア・フィルゴートン。

 西塔の魔女の後継者だ。

 現在は後継修行の一環として、世界唯一の公立にして最大の魔法使い養成学校[オズ魔法学園]に在学している。

 私がオズ魔法学園に入学してから現在までに出会った人達や、関わることになった様々な事件をこれから語ろうと思う。

 なにより私が伝えたいのは、彼のことだ。

 私たちのクラスメイトであり平凡な学生にすぎない筈の彼は、世界魔術師連盟ならびに各国政府機関、さらには国連にまでその名が知れ渡り、同時に畏怖の対象となっている。

 その世界的危険性を保有しているがゆえに、逆にあらゆる組織が手出しできないでいる、人類史上最高にして最大の脅威と断定された人間。

 アッシュ・スカーディノ。

 テーブルを挟んで目の前にいる男の子だ。

 金色の髪に、瞳は魔力に覚醒した者特有の深淵の紫。

 体格は年齢平均を逸脱しておらず、顔の造作も至って平凡。

 しかしその不機嫌な眼差しの奥底に、厳格な軍人の強靭なる精神と、温和な芸術家の繊細な心が同居しているような、矛盾した雰囲気を併せ持つ、不思議な印象を感じさせる。

 だが実際はどちらでもなく、神秘性の欠片もない、ただのチンピラモドキだ。

 ちなみに先に不機嫌と私は表現したが、これは別に比喩ではなく、今の彼は大変機嫌が悪い。

 その原因は、アッシュに抱きついている人物にある。

「ねーねー、アッシュ君。パレードもうすぐだね」

 少し癖のある羽毛のように柔らかい金色の髪に、瞳はやはり魔力覚醒者特有の深淵の紫。

 可愛らしい中性的な童顔は、よく中学生に間違われ、時折小学生と勘違いされることもある。

 愛しい人に触れているのがよほど嬉しいのか、先程からずっと微笑みを絶やさず、周囲の人目をはばかることなくアッシュの胸に頬をすり寄せている。

 ピスキー・フィフス。

 学園に私達が入学した時に、上級生が自主的に(というか勝手に)行った新入生対象人気投票にて、ダントツで一位を獲得した経歴があり、可愛らしい子犬に似た魅力は、ファンクラブが学校非公認、本人未承諾のうちに結成されるほどである。

 誰もがピスキーを恋人にしたいと切望し、そして白羽の矢が立ったのがアッシュなのだが、その幸せ者は言い寄られるのを嫌がっている。

 今もピスキーが話しかけつつさりげなく顔を近づけ、かつわざとらしく口付けに挑戦したが、一年間の付き合いから行動パターンを熟知しているアッシュは、唇に唇が触れる寸前、掌で防御した。

「クレア、黙って見てないでこいつをなんとかしてくれ」

 接近しているピスキーの唇を押し退けつつ、アッシュは私に救助を求めたが、私は即座に拒否した。

「嫌。ファンクラブの連中に文句言われるの、鬱陶しいし」

 そのピスキーファンクラブ(以下PFC)の中心メンバー三人が、店内からこちらの様子を(正確にはピスキーとアッシュを)観察しながら、お互いの顔を近付けてなにやら小声で話し合っている。

「あーん、あともうちょっとだったのにー」

「もう、焦れったいわね。いい加減に諦めれば良いのに」

「まったく、僕が代わりたいくらいだよ」

 囁き声なのに距離のあるここまで明確に聞こえるという、少し考えると信じられないような発声技術で、二人の(というかピスキーの)恋愛模様を楽しんでいる。

 PFCの中心三人は常にピスキーの周辺に生息しており、ピスキーの行動を観察し続けその様子を楽しそうに話し合う。

 睡眠食事などの生活行動はいつ行っているのか、謎だ。

 というか授業にはちゃんと出ているのだろうか?

 三人の会話はアッシュの耳にも当然届き、不愉快が怒りを誘発させつつあるのか、拳を握り締めた。

「アッシュ君」

 ピスキーがアッシュの胸に埋めていた顔を上げた。

「なんだ?」

「そんなに照れなくていいんだよー❤」

「誰が照れるか、とっとと離れろ」

 牙を剥いた猛獣に似た表情でアッシュはハートマーク付きの科白を(実際魔法でハート型の映像を周囲に投影している)否定するが、勿論ピスキーは離れずに、逆に強く愛しそうに抱きしめる。

 アッシュは苛立ちと疲労による深い嘆息。

 穏便に事を済まそうと一時間ほど努力し、全て無駄に終った結果、忍耐力の限界に来ている、その兆候だ。

 そんな二人にカフェテラスから路上に至るまで全ての人々が、様々な視線を投げかけている。

 微笑ましそうにしている人もいれば(私たちと同年代の女の子が多い)、羨ましそうにしている人もいるし(恋人がいないのだろうか?)、なぜか恥ずかしそうに顔を伏せつつも目だけはしっかり向けている人もいれば(こういったことに慣れていないのだろう)、人前でなんて破廉恥なことをしているのだと憤慨した様子の人もいる(装飾品を過度に身に付けた厚化粧のおばさんだ)。

 しかし大半を占めるのは、奇異な者を見る目つきだ。

「あー、くそ」

 アッシュは毒吐くと、子犬のように首筋にキスしようとしているピスキーを押し退けて、向かって左側に座っている三つ編みの女子に顔を向けた。

「おい、他人の振りしてないでこいつをなんとかしてくれ。いつもの規律が云々はどうしたんだよ?委員長」

 バリンッ!

 彼女の手に握られていたオレンジジュースのグラスが握り潰された。

「アッシュ君、私は委員長じゃないって、何度言えば分かるのかしら?」

 彼女は、微笑みはしたけれども、その瞳には殺意と呼ばれる種類の危険な意思が宿っていた。

 ウェンディフィールド・モレンタニア。

 黒髪を三つ編みにし、黒ぶち眼鏡をかけた、頬に残すそばかすがチャームポイントの女の子だ。

 親しい人間は省略してウェンディと呼び、親しくない人間は委員長と呼ぶ。

 教室や生徒会での役職についているわけでもないのに、なにかと口を出しおせっかいを焼くことから、外見と合わさってそんなあだ名が付いた。

 しかし彼女の人生において委員長であったことは一度としてなく、それにもかかわらず委員長と呼ばれ続けた結果、委員長という単語は彼女の感情を爆発させる起爆剤となっている。

 ちなみにクラスの正式な委員長は私だ。

 みんな忘れてるけど。

 アッシュは迂闊に竜の逆鱗に触れてしまったことを悟り「すみません」と蛇に睨まれた蛙のように、というかチンピラに絡まれて逆に頭を下げる情けない中年親父のように、謝った。

 それでウェンディの怒りは収まったのか、手の中に粉々に砕けた硝子をハンカチで拭い、ショートケーキを黙々と食し始めた。

 硝子破片による怪我は一切なかったようだが、ウェンディは手に関して外見からは想像もつかないほど頑強かつ強靭で、今更心配する必要はないのは知っている。

 寧ろ私が心配なのは、コップの弁償を店から請求される可能性だ。

 まあ、一つくらいなら大丈夫だと思うけど。

 それまでどれだけ拒まれようと、頑なにアッシュから離れようとしなかったピスキーが、不意に心配そうな顔でアッシュの顔を覗きこんだ。

「アッシュ君、なんだか随分機嫌が悪いみたいだけど、どうしたの?」

 言葉とは裏腹、必要以上に顔を近づけているあたり、なにを企んでいるのかよく分かる。

「おまえのせいだよ」

 アッシュは答えと一緒にピスキーを蹴り倒した。

 面倒臭くなったので直接的に腕力(脚力?)で解決することにしたらしい。

 椅子から転がり落ちたピスキーは、一瞬なにをされたのか理解できないように呆け、しかし次第に顔に悲しみが浮かび、捨てられた子犬のような声を出す。

「アッシュ君、なにするの?イタイじゃないかぁ」

 見る者の心を締め付けるその様子も、アッシュには効果はなく、声を張り上げて抗議する。

「やかましいわ! いいか! 俺は、抱き付くなっていうか引っ付くなっていうか纏わり付くなっていうか近付くなっていうかできれば俺の視界に入るなっていうか、とにかくそういうことは止めろって何回言えば分かんだお前わ!!」

 ピスキーは目に涙を溜めて口許を手で覆いしなだれる。

「どうして、どうしてそんな酷いこというの? こんなに君のことが好きなのに」

「それを止めろツっとんじゃ!」

 アッシュは絶叫に近い声で、コーヒーカップを床に叩きつけた。

 勿論カップは砕け散る。

 まあ、二つくらいなら弁償しないで済む、と思う。

「やーん、ひどーい」

「凄い剣幕よ」

「でも大丈夫。ピスキーちゃんはあれぐらいで諦めたりしないから」

「そうよ、喧嘩するほど仲が良いって言うしねー」

「ピスキー、ファイト」

「でも僕としてはあんまり頑張って欲しくないな」

「どうしてよ」

「失恋したところを狙う計画を立ててるから」

「あー、そんなこと考えてたんだー」

「でもダメー」

「そうよ、ピスキーはアッシュと結ばれるの」

 PFC三人衆がこちらに聞こえるように囁き合うという高等発声技術で、声援なんだか宣言なんだか内容が掴めないことを話し合っているが、どうでも良い。

「ちょっと、いい加減にしなさいよ」

 委員長が……訂正。

 ウェンディがアッシュを窘めた。

 彼は自分が注意されるのは予想していなかったのか、その顔に戸惑いが生じる。

「な、なんだよ」

「あなたね、自分を好きになってくれている人にそんなこと言うなんて、いくらなんでも酷すぎるわ。もう少し優しくするくらいのことはできないの」

「……いや、そんなこと言われても」

「良いじゃない、いっそ付き合ってあげても。こんな可愛い子のほうから好きだって言って来てくれるんだから、あなただって別に嫌じゃないでしょ」

「嫌に決まってるだろ」

 一秒もかけない即答に、ウェンディは理解不能を余すことなく顔に表した。

「なんでよ?」

「……なんでと訊くか、なんでと」

 アッシュは人生に疲れたような顔でテーブルに腕を組み、それに顔を埋めた。

「もうヤだよう、こんな学校生活」

「なにがあったのか知らないけど、元気出してよ、アッシュ君❤」

 さっきまで泣いていたはずのピスキーは、何事もなかったかのようにアッシュの側に寄って慰めの言葉をかける。

「おまえのせいだっての」

 アッシュはすぐさま蹴り倒す。

「あー!また!」

 ウェンディが立ち上がり叫ぶが、周囲の注目が自分に転じたことに気付き、気まずそうに咳払いをしてから、腰を落ち着けた。

 彼女は基本的に目立つことが嫌いらしい。

 その割には目立つことばかりしているような気もするけど。

 私は特に理由もないのに、なんとなく疲労を感じ短く溜息を吐いた。

「あんたさ、そんなにピスキーが嫌いなの?」

「当たり前だろ」

 やはり即答したアッシュに私は重ねて尋ねた。

「なんで?」

「おまえまでなんでと訊くか」

 返答は、生温い溜め息混じりの、独り言に近かった。

「男ってさ、まあ好みは色々あるんだろうけど、基本的に可愛い子が好きなんじゃないの?なんか、可愛くて守ってあげたくなる恋人が欲しいって聞くんだけど。その点、ピスキーは可愛いし、保護欲を刺激してくれるし、恋人にしたいって奴何百人いるか分からないわよ」

「そうよ」

 ウェンディが後を引き継いで、

「あなた理想の恋人が目の前にいるのに、そうやって撥ね除けるの小学生の子供みたいよ。だいたいあなた付き合ってる人いないんでしょう。だったらOKすれば良いじゃない。あなたには勿体無いくらいなんだから」

「そうそう」

 私は同意して頷く。

 「あんたに恋人ができるなんて逆立ちしたってありえないんだから、今のチャンス逃したら、一生一人身ね」

 そしてPFCからも、遠距離まで届く囁き声が上がる。

「そうよねー」

「素直にピスキーちゃんの気持ちを受け止めてあげれば良いのに」

「僕が恋人になりたいくらいだよ」

「どうしてあんなに嫌がるのかしら?」

「もしかして、本心の裏返しって奴じゃない?」

「口ではああ言ってるけど、本当の気持ちは?」

「ということは」

「やっぱりアッシュ君も」

「キャー」

 バキンッ!

 実に綺麗な音と共に、アッシュの拳が叩きつけられたテーブルは見事に真っ二つに割れ、当然テーブルに置かれていたお茶類一式は無残に床に落ちてしまう。

 ちなみに私のケーキは端に置いてあったためか、割れた反動で結構な飛距離を示した。

 テーブルと食器の七八個くらいなら……駄目ね。絶対請求されるわ。

 アッシュは、怒りの為か(たんに痛かったのか)拳を震わせる。

「おまえら……おまえら、黙って聞いてりゃ好き勝手言いやがって。なんでそうなにかっちゃ俺とこいつをくっつけたがんだおまえらはっ!」

 ウェンディはやれやれという風に頭を振ると、アッシュの両肩に手を置いて諭し始めた。

「いい、アッシュ君」

「なんだ?」

「そうやって突っ張ってばかりいると、大人になった時、恋人と一緒にもっと思い出をたくさん作るべきだったって、後悔することになるのよ。エッチなことは大人になってからでもいくらでもできるけど、制服着てプラトニックでドキドキは今のうちにしかできないの。だからピスキーの気持ちを受け止めてあげなさい」

「なんでそういう話になるんだ! っていうかおまえ何歳だ?!」

 確かに年寄り臭い話だ。

 しかもちょっとマニアック。

 PFCの三人はエッチという言葉に過敏な反応を示して、

「「キャーキャー」」

 と奇声を(小声で)上げている。

 たぶんピスキーとアッシュがそういうことをしている場面を想像でもしたのだろう。

 気がつけば眼下の大通りにパレードが到着していた。

 帝国軍編成音楽隊は一矢乱れぬ歩調と共に行進曲を奏でているが、見物人たちはそちらには目もくれず、このカフェテラスに視線を集中している。

 パレードカーの上で誇らしげに自らの美貌を披露している、今年の建国の女王に選ばれた美女(ようはミスグランプリ)は、急に誰も注目してくれなくなったことに戸惑いを感じ始めているようだ。

 その美女の代わりに注目を集めているピスキーは、不意にウェンディの手を握る。

「ありがとう、委員長」

「委員長じゃないって」

 ウェンディは訂正したが、ピスキーは無視して続けた。

「アッシュ君が振り向いてくれるまで頑張るね」

「頑張るな」

 端的に否定してアッシュはピスキーを殴り倒した。

 見事な左ストレートだった。

「あー! また! しかも今の手加減してなかったでしょ!?」

 ウェンディが抗議の声を上げる。周囲の目はどうでも良くなったらしい。

「最初からしてねぇよ!」

「どうしてこういうことをするのよ?!」

「だから! なんでとか、どうしてなんて疑問が出てくるんだよ?!」

「こういう酷い事をするからに決まってるでしょ! 自分を好きになってくれる人に、どうしてこんなことができるの!? 性格歪みすぎよ!!」

「うがぁあああああ!!」

 アッシュは癇癪でも起こしたように、絶叫して頭を掻き毟った。

「なんでお前ら当然のように受け入れるんだよ!? なにか致命的な問題があるだろ!?」

「問題って、そんなものどこにあるのよ?! いったいなにが不満なの?! 可愛くて一途で献身的で、それに運動神経は抜群、成績優秀、品性は……まあちょっと問題あるかもしれないけど、でもそこだって見方を変えれば良いじゃない。もうやりたい放題よ」

 最後あたりに問題発言があったような気がする。

「あーはいはい、そうですね」

 アッシュは投げやり気味に、

「可愛いし、一途で、献身的で、人気もあって、自分から誘ってくるような積極的な恋人ができれば嬉しくて涙が出るね俺は!」

「じゃあ、どうして拒絶するのよ?」

「こいつは! こ、い、つ、は……」

 アッシュは一呼吸の間、自分の感情を抑制することに努めたが、次の瞬間には爆発し、己の全人生と魂を賭けた主張を叫んだのだった。



「こいつは男だろうが!!」



 ……

「……」

「……」

「「「………」」」

 なんというか、改めて指摘されると実に納得のいく事実らしく、周囲皆様一様にうんうんと頷いちゃったりしてる。

 しかしウェンディは腰に手を当て、胸を張ると、必要以上の自信を持って断言したのだった。

「可愛いんだから男の子でも良いじゃない」

「ダメだろ!」



 と言うわけで、人類史上最大の危険人物と目されている状況下で、なんか違う方向で危険な状況に追い込まれているアッシュの話をしようと思う。

 その前に、改めて自己紹介。

 私はクレア・フィルゴートン。

 西塔の魔女の後継者だが、これからする話とはあまり関係ないので忘れていい。

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