第43話 悪夢 008



「おはようございます、凛土先輩」



 うんざりする程眩しい白色に包まれながら、俺は目を覚ます。


 薄ぼんやりした意識でも、この場所がどこだかすぐに検討がついた――「六十四研究室」。俺の主人である天津橙理が根城にしている、存在しない第四研究棟の中の一室。



「どうやら無事に仇は取れたようで。こちらも満腹になれて大満足ですよ」



 橙理はぺろっと真っ赤な舌を出して、満足げに微笑む。相変わらず人を魅了する仕草だが、一々反応している俺の方にも問題があるのかもしれない。



「復讐を成し遂げた気分はどうですか? こういう機会はあんまりないですから、是非胸中を聞かせてくださいよ」



 ソファの上から興味津々で語り掛けてくる神様を見て、俺は溜息をこぼす。彼の口ぶりからすると、俺の思惑通り『悪夢ブラックカーペット』を殺すことには成功したらしいが……先に死んでいた身としては、特に実感はわかなかった。



「……別に、これといって何もないな。石島が死ぬ場面を直接見れたわけでもないし」



 まあきっと、この目で奴の死に様を目撃したとしても、そこまで感じるものはなかっただろう。そう思えてしまう程、今の俺は平常心を保っていた。


 『悪夢』を殺すと決めた時の、燃えるような怒りや復讐心は――すでに、叶凛土の中から消え去っている。



「そうですか。それは実につまらないですが、まあいいでしょう」



 俺の返答を聞いた橙理は興が削がれたのか、ソファに仰向けで倒れこむ。彼が興味を無くすのは勝手だが、しかしこちらには訊きたいことがあるのだ。



「なあ、橙理。渚さんを使って『悪夢』に接触したってのは、本当なのか」



 腹の探り合いをするのも疲れる。俺はドストレートに疑問を投げつけた。



「ええ、本当ですよ。今の凛土先輩なら彼を喰えるだろうと見越して、先手を打ったんです。『悪夢』の思う通りに動かれていては、いつ彼を食べられるかわかりませんから」



 橙理は一切悪びれることなく答える。下手したら俺は生き返ることはできなかったし、凛音がどうなるかもわからなかったのに……奴隷に対して冷たい主人だ。



「……だったら、あらかじめ俺に教えといてくれてもよかっただろ」



「そんなことをしたら嫌がらせサプライズにならないじゃないですか。それに、凛土先輩の感情が大きく振れたからこそ、『悪夢』を倒すことができたんですから……心の準備ができた状態では、ああいうなまの感情は動きづらいですからね」



 グダグダと御託を並べやがるが、要は俺を驚かせて嫌がらせをしたかっただけだろう。本当に、敵なのか味方なのかわからない奴だ。



「僕は誰の敵でも味方でもありませんよ。先輩にとって僕は主人で、カワードにとって僕は捕食者……それだけのことです」



「あっそ……」



 俺はカワードの殺人行為に理由を求めるのは無駄だと考えているが、この神様の行動原理こそ、人間の思考が及ぶ範疇ではないのだ。


 神の考えを読もうなんて――傲慢すぎる。


 俺たち人間はただ、彼らの暇潰しの道具でしかない……その認識すらも、間違っているのかもしれないが。



「もしかして、怒ってますか? 家族の仇をこの町に呼び戻したこと」



「……怒ってはないよ。ただ、やっぱりお前は人間じゃないんだって再確認しただけ」



 自分の食欲を満たすためだけに、凶悪なカワードを呼び戻すなんて……普通の頭じゃできるはずがない。今回の「食事」は病院にいた人間を巻き込む形で、結果的に多くの被害者を出した。


 そんな悪行ができる奴は――人間じゃない。


「ああ、『悪夢』の力で眠った人たちなら、。欠けてしまった体の部位は戻りませんが、魂は無事です。今回の件で死者は出ませんでした」



 橙理は事も無げにそう告げる。実際、彼にとっては人間が生きていようが死んでいようが関係ないのかもしれないが……そうか。

 誰も、死んでいないのか。



「ほっとしてますね、凛土先輩。『食事』のせいで死人が出たら、間接的ではあれ自分にも非があるとか、そんなことを考えていたんですか?」



「……」



 見透かしたようなことを言う……そして実際、その通りだ。


 橙理の傍若無人な振る舞いの責任は、ほとんど彼にあるとは言え。

 神様の手となり口となっている俺にも――その一端はある。



「ですから、『悪夢』を殺した先輩は、実はヒーローなんですよ。あの病院にいた大勢の命を救った、英雄的存在なんです。これが物語なら、堂々のフィナーレを飾れる活躍ぶりですね」



 嫌になるくらい清々しく笑いながら、橙理は言う。悪いが、その意見には全く賛成できない。



「やめてくれ。俺はただ、自分の復讐のためだけにあいつを殺したんだ」



 ヒーローなんて、柄じゃない。

 他人のために行動できる程――俺は強くない。



「まあ、今はお腹一杯で気分がいいので、そこら辺のセンシティブな部分には触れないであげましょう」



 すでに充分過ぎる程こっちの内面にズカズカ入り込んできている奴の言うセリフではないが……しかしこいつ、妙に上機嫌だ。酒を飲んでいるわけでもなさそうなのに。



「僕はいつだって上機嫌ですよ……まあ今日に限っては、のが大きいかもしれませんね」



「……邪魔者?」



 文脈的に『悪夢』――石島煉瓦のことだろうが……その言い方だと、まるで奴のことを以前から知っていたみたいじゃないか。



「お前、『悪夢』と知り合いだったの?」



「はい? ああ、そう聞こえましたか……まあ、知り合いという程でもないんですけどね。数年前に会ったことはありますが」



 まじか……いや、もうこんなことでは驚いていられない。この神様が俺に重要なことや必要なことを何一つ教えてはくれないのは、わかりきったことだ。



「邪魔者っていうのは、どういう意味なんだ」



「そのままの意味ですよ。彼の能力を受けた者は肉体が消滅してしまいますから……カワードを食べる僕にとって、目の上のタンコブみたいなものだったんです」



 なるほど、そういうことか。もし石島がカワード相手に能力を使えば、そのカワードの肉体は魂と共に消滅してしまう。橙理にしてみれば、食料をむざむざと無駄にしているようなものだ。



「あの時食べてしまってもよかったんですけど、まあ面白い能力だし、泳がせておくことにしたんです。その甲斐あって、大変美味になってくれましたよ」



 先行投資ですね、と橙理は笑うが。

 俺は全然――笑えない。


 だって、その時橙理が『悪夢』を殺していてくれれば――俺の両親と妹は、奴に襲われることはなかったのだから。


 しかし、そのことについて彼に文句を言うのは筋違いである。神様にの話をするなんて、滑稽すぎて目も当てられない。


 数多の選択肢の中で、彼が選んだものが正解であり――世界なのだ。


 それが、神様という存在。


 傲慢にもその存在に楯突いてしまえば。


 天罰が下るのは――目に見えているのだから。




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