第41話 悪夢 006

 


 どれだけの時間が経過しただろう。


 俺は『悪夢ブラックカーペット』の力によって眠りに落とされ。

 魂を――悪夢の中へと連れていかれた。



「――はっ……、ぐっ……」



 体をミキサーにかけられてぐちゃぐちゃにされるような激痛と、永遠に続くと錯覚する終わりのない絶望が、全身をぐるぐると駆け巡る。


 そうして苦しみ喘いでいる俺の様子を見て、石島煉瓦は笑っていた。



「さて……どこまでこの悪夢に耐えられるか、見せてもらおうじゃないか」



 余裕ぶった奴の声が鼓膜に届く。非常に不快で、聞く人間の神経を逆撫でするような声だ。



、現実世界の君の肉体も、右足の先が消えかかっているよ」



 奴に言われて、自分の右足が薄っすらと消えかかっていることに気づく。石島にしてみれば俺を動揺させて痛ぶるための発言だったのだろうが――そのお陰で。


 『悪夢』の能力を突破するための、糸口が見えたような気がした。


 ……まだ諦めるな、思考しろ。

 この状況を打破する方法を考えろ。



「っ――くっ……」



 俺は循環する痛みを抑えこもうとはせず、むしろその逆――思考を張り巡らせるためのカンフル剤として利用する。苦痛を敵としてではなく、自分の一部として認識する。


 ……あいつの能力は、言うなれば精神を破壊する攻撃だ。壊された心は、その反動で肉体をも蝕んでいく。魂という本質が欠けちまったら、その入れ物も砕けていくのだ。


 だから、この痛みに屈した瞬間に――俺の精神と肉体は、同時に消え失せちまうのだろう。今はまだ右足の一部だけで済んでいるが、全身が消えてなくなってしまうのも時間の問題だ。


 そしてその未来は、非常にまずい。


 叶凛土が死んでも復活できているのは、右腕に宿っている橙理のペット――『飼い犬ハンター』が、。原理はわからないし知ろうとも思わないが、橙理がそう言っていたので確かである。


 だが、『悪夢』の能力で精神を破壊されてしまった場合、j


 それは即ち、『飼い犬』が食べるはずの俺の肉体が無くなってしまうということだ。


 恐らく、俺の体が塵となった後でも、『飼い犬』はその姿を現すことができるだろう。あの獣は俺の右腕を間借りしているだけで、本質的には叶凛土と別個体なのだから。そして獣の手にかかれば、現実世界にいる石島煉瓦の本体を喰うことなど朝飯前だ。


 『悪夢』を殺し、復讐を遂げられることは確定事項と言ってもいい。それは大変喜ばしいことで、余裕ぶった態度の石島が獣に屠られるのを想像するだけで溜飲が下がる。


 だから問題は――俺が生き返れないこと。

 復讐を成し遂げた、その後のことだ。


 自分が死ぬのは別に構わない。元々自殺しようとしていたんだし、両親の仇を討ったとなれば、あの世に錦を担いでいける。


 だが――妹はどうなる? 


 俺のエゴで神様に魂を抜き取られ、あの狭い部屋に隔離されている彼女。もし俺がこのまま消滅してしまえば、橙理が凛音を生かしておく理由はなくなる。


 可愛い妹に、二度も理不尽な死を経験させるわけにはいかねえ。

 凛音を助けるために――俺は絶対に、生きていなければならない。



「はっ――はぁ……、ふぅ――」



 問題が明確になったことで、痛みに意識が持っていかれる割合も減っていく。息をするのも辛かった状態から、何とか呼吸を整えられるくらいには落ち着きを取り戻す。



「この悪夢の中で冷静さを取り戻すとは……さすが、



 俺が冷静になっていく様子を見て、『悪夢』はそう呟いた――神様? 今確かに、そう聞こえた気がするが……。



「『凶器の愛トリガーハッピー』が接触してきた時には何事かと思ったが、あの女の妄言も案外聞いてみるものだ」



 『凶器の愛』が接触してきただって? 


 まさかこんな状況で彼女の名前が出るとは思わなかったので、俺は落ち着きかけていた精神を一瞬乱してしまう。



「……どういう、ことだ。渚さんから、何を聞いた」



 辛うじて動かせるようになった口を使い、俺は石島に疑問をぶつけた。


 奴は陽炎みたいにその身を揺らしながら、にやりと笑う。



「何を聞いたかと問われれば、面白い話だよ。なんでも、、と……その上、と、そう言っていたのさ」



 ピースがカチッとハマる音がする。


 なぜ『悪夢』が再び菱岡市に現れ、凛音のいる地下病棟までやってきたのか。


 全てあの真っ白な神様――俺の主人、天津橙理が仕組んだことだったのだ。


 橙理はわざわざ渚さんを使って、『悪夢』にコンタクトを取ったということになる……江角さんが彼女と連絡がつかないと言っていたのは、そのおつかいを実行していたからなのだろう。



「実は、。その時は停戦協定を結んだのだが……惜しいことをしたと思っていたんだ。俺の悪夢の中で神はどう足掻くのか、確かめることができなくなってしまったから」



 『悪夢』は俺の元へと近づいてくる。この世界では遠近感がグニャグニャに歪んじまっているので定かではないが、どうやらすぐ目の前までやってきたようだ。



「だから君で試させてもらうことにしたんだよ、叶凛土くん。神様から力を貰った君が、悪夢にどう立ち向かうのか。予想よりは地味だが、しかしこうして話ができる程度に抗えるのは賞賛に値する」



「そりゃ……どうも」



 こいつと昔会った神様とやらの間にどんな因縁があるのかは知らないが、それを俺で解消しようってんだから迷惑な話である。しかもそれが、自分のゴシュジンサマによって仕組まれたっていうのは笑えない冗談だ。


 だが、しかし。


 この状況に橙理が噛んでいるのだとすれば――やはり突破口はある。


 なぜなら、ことを目的にしているからだ。


 だとしたら今回の一件も、橙理にとってはただの「食事」の一環に過ぎないはずである。俺に嫌がらせをしたいという気持ちも大いにあるだろうが、それよりも自分の腹を満たす方が重要だろう。


 まあ、俺が死んでも『飼い犬』が『悪夢』を食べればそれでいいのだろうが……欲張りな神様のことだ、きちんとデザートまで堪能したいと思っているに違いない。


 だから必ず、攻略法はある。

 俺の肉体を消滅させずに、この悪夢から抜け出す方法が……。



「だがもう充分楽しませてもらった。外には四脳会の蠅たちも沸いている頃だろうし、そろそろ俺はお暇するとしよう。君の体が消えるところを見られなくて残念だったが、それも時間の問題だ」



 現実の世界では結構な時間が経過しているらしい。神様相手に能力を試したいという目的を果たした『悪夢』は、颯爽と逃げることを宣言する。



「……そうだ。君の妹だが、どうやら肉体から魂が抜き取られているようだね。このままでは寝覚めも悪いだろうし、探し出して悪夢の中に引き戻しておいてあげよう」



「――!」



 右腕から感情の奔流が流れ込んでくる。


 今すぐにでも奴を喰い殺せと、怒りが全身を包み込む。


 その爆発寸前の怒りは、悪夢による激痛を遥かに超え。


 見えかけていた糸口――その突破口を、俺に告げてくる。



「なあ、あんた……一つ、教えておいてやる」



 俺は『悪夢』に語り掛ける。本当なら男が惚れるようなセリフでも吐きたいところなのだが、生憎とそんな風に格好よく生きてはこなかった。咄嗟の場面では飾り気のない本心が現れるようで――実に格好悪い言葉しか出てこない。


 だが、それでもいい。

 これが叶凛土の生き様なのだと、受け止めよう。



「俺は妹を守るためなら、相手が誰であっても殺すぜ。もちろん――俺自身もな」




 ゴリッ




 そんな聞き馴染のある小気味良い音を立てながら――


 右腕の獣は、叶凛土の頭部を食べる。


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