第20話 凶器の愛 004
菱岡市の外れの住宅街から、更に車を走らせること三十分。
渚美都が殺し合いの場として指定したのは、今年に取り壊されるらしい、山の中にある古びた廃校だった。
「ここなら邪魔は入らねえだろ。それにほら、うちの前でおっぱじめたら家に帰りづらくなるじゃん?」
とのことらしい。
渚さんは目的地に着くなり車を飛び降り、校庭の真ん中でごろんと寝そべった。いや、ほんとにわけわかんねえ。
「……」
運転を終えて一息ついた江角さんは、車に寄りかかりながら目を閉じている。
「あの、江角さん……」
「あ、はい。なんでしょう」
反応は至って普通だが、その冷静さがこの場では逆に不釣り合いだった。なにせ、俺たちはこれから切った張ったの殺し合いをするのだから。
「えっと、作戦とか、そういうのあったりします?」
「ありません。彼女の前ではそんなものは無意味なので、元々立ててもいません」
ズバッと言い切った。まあ、念入りな準備をして返り討ちにあった過去を持つ彼女からすれば、そう言いたくもなるのだろう。
「『
江角さんは腰に備え付けていた警棒を手に持つ。なるほど、それで殴ることはできないが、防御に使うことはできるらしい。それでも、気休めにしか思えないが。
「叶さんは付かず離れずの距離を保ちながら、私が作った隙をついて彼女を仕留めてください」
「……それって、江角さんが囮になるってことですよね」
「はい、そうです。彼女の美学とかいうわけのわからないもののお陰で、私は絶対に殺されないそうなので。本気で殺しにこないなら、いい勝負ができると思います」
江角さんは俺に心配をかけまいと笑顔になる。
四人の仲間と共に『凶器の愛』と戦った時、彼女だけは生き延びることができた。渚美都の美学に則れば、「殺し損ねた相手は、今後絶対に殺さない」らしいので、江角さんが殺されることはないのだろう。まあ、あの殺し屋をどこまで信じていいのかは疑問だが。
「っし、じゃーやるかー!」
そのまま寝ちまうんじゃないかという程静かだった渚さんは、急に大声を出して飛び上がる。
……仰向けの状態から、腕を使わずに筋肉のバネだけで跳躍しやがった。どうやら身体能力も常人を遥かに超えているらしい。
「どっからでもかかってこいよ。ただし敵意を向けた瞬間、あたしはあたしの美学に従って、お前らを殺すぜ」
朱里ちゃんは殺さないんだけど、と彼女は笑う。
今まで相対してきたカワードとは、明らかに一線を画す余裕と佇まい。殺し屋としての自信か、はたまた異能への信頼か……どちらにせよ、渚美都から溢れる強者感は、攻撃を仕掛けるのを躊躇わせる。
「……叶さん、いきますよ」
だが、江角さんは。
彼女に完膚なきまでに叩き潰されたことのある江角さんは、毅然とした態度で前を見据えていた。その足には、一分の震えもない。
……戦ったこともない俺が、ビビッてどうする。
「っす……いきましょう」
『凶器の愛』が美学に則り人を殺すのなら。
俺は俺の目的のために――妹のために人を殺そう。
それが、奴隷の役目なのだから。
「『
俺は右腕の獣を呼び起こす。
皮膚は裂け、骨は軋み、肉は溶解し――露になった叶凛土の内側が、獣の産声と共に白く覆われていく。
意識を持っていかれる激痛に耐え、無限の苦痛を刻まれ。
右腕は――獣の頭へと変貌する。
真っ白な異形へと。
「はーん。やっぱり変な奴」
くくくっと笑う『凶器の愛』は、俺の右腕を見ても少しも動じない。それは隣にいる江角さんも同じだった。
「……!」
戦闘開始の合図はなかった。いや、それで言うなら、渚美都が車の窓を叩いたあの瞬間から、江角さんは戦闘状態だったのだろう。
『凶器の愛』との距離約百メートルを一気に詰めるように、江角さんは駆け出す。そのスタートダッシュを見てから、遅れて俺も追随する……って、足はええ。
普段の物腰柔らかな態度や言葉遣いからは想像もできない速度で、江角朱里は猛進する。
一瞬出遅れたとはいえ、全く追いつける気配がない。それどころか、彼女との距離は開く一方だ。
「そういう馬鹿正直に突っ込むところ、好きだぜ。美しくはないけどな」
言って。
渚美都は、腰から一丁の拳銃を取り出し、江角さんの両膝を撃ち抜く。
「……っ!」
だが江角さんはその場に倒れこむことなく、すぐにバランスを立て直して走り出す。
四脳会の特注品であろう防弾性のあるスーツは、中々の性能を持っているようだ……つーか俺にも着させろ。
「ありゃ。便利じゃん、その服」
対して渚さんも慌てることなく、今度は俺に向けて銃口を構え、ノールックで射撃してきた。
「っぶねえ」
撃ち出された弾丸を何とか食べ、俺はそのまま距離を詰める。
「へー、ちったぁやるな、変なのくん」
渚美都は感心しつつも、次なる弾丸を撃ち込もうと右手で銃を構え直すが。
「はっ!」
そんな彼女の腹部目掛けて、江角さんは飛び蹴りを繰り出した。
『凶器の愛』には、あらゆる武器が通用しない。俺はまだその現場を目撃していないが、その身に染みているであろう江角さんは、徒手空拳で攻撃を仕掛けるしかない。
しかし、渚美都は違う。
「相変わらずの健脚だな、朱里ちゃんは」
彼女はその異能を余すことなく使うことで、美しい殺戮を目指している。素手の相手に武器を使うことを、美しいと自負している。
「おら!」
飛び蹴りという捨て身の特攻に対し、渚美都はいつの間にか左手に持っていたナイフで応戦した。勢いそのままあの大振りの刃に当たれば、切り裂かれるのは目に見えている。
「くっ」
だが、その刃先が江角さんの脚に届く前に、彼女は下半身を捻って無理矢理蹴りの軌道を変え、逆の脚で渚美都の脳天に踵落としを繰り出す。
「ちっ!」
不意を突く攻撃の軌道修正は敵の頭を捉えるかに思えたが、渚さんは右手の拳銃をその場に捨て、手品のように袖口からもう一本のナイフを取り出した。
「っ!」
江角さんはギリギリで踵落としの角度を変え、刀身の側面を踏み抜く。
ナイフは右手を離れ、勢いよく弾き飛ばされていった。
地面に着地すると同時に、江角さんは後方にステップして距離を取る。
「ははっ! 相変わらずやるねぇ!」
『凶器の愛』は左手のナイフを握り直し、間合いを詰めて猛攻を始める。その見惚れてしまう程華麗な連撃は、確かに彼女が美学だと豪語するだけのことはある。
しかし、江角さんの体捌きも全く引けを取っていない。彼女は上下左右から襲いくる凶刃を、時にはいなし時には躱し、警棒一本とは思えない防御を見せる。
「……」
そして俺こと叶凛土はというと、そんな二人の女性の目まぐるしい戦いを、一定の距離を保ちながら傍観することしかできなかった。
我ながら情けなさが極まっているが、しかしあそこに加わったところで足手まといになるのは明白だ。
俺はただ、喰らいつく隙を待つしかない。
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